生と死の狭間

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生と死の狭間

 どこまでも続く花畑の一角に建つ、白亜の宮殿。開け放たれた門扉(もんぴ)から、女性に手を繋がれた小さな女の子が出てくる。女性が何かを耳打ちすると女の子は嬉しそうに花畑へと走り出した。そんな女の子の背中を見つめていた女性は、女の子が見えなくなると(きびす)を返し、ゆっくりと別の方角へと歩き出した。  花畑の丘からのびる小道を下っていけば、大きな河が見えてくる。その大河に浮かぶ数え切れないほどの船。風もないのに対岸へと歩みを進めていく船は、七色に輝き、目にも鮮やかに写る。  不思議な光景を見つめ、女性がつぶやく。 「あっちは、あの世よねぇ。それで、この河は、三途の川ってところかしらぁ」 「アイシャ、ここにいると危ないよ。お家に帰ろう」  川の中へと歩みを進めようとしていた女性は、いつの間にか現れた女の子の声に動きを止める。我に返った女性は、女の子に手を繋がれ、白亜の宮殿へ向け歩き出した。 ♢  今でもあの日の事を思い出す。グレイスに刺され、血溜まりの中に崩折れたリアムの事を。  生気を失い、閉じられていく瞳。  徐々に冷たくなっていく体温。  ドクドクと流れ続ける血。  このままリアムの命が尽きると感じたとき、アイシャの中で何かが弾けた。  リアムの傷口を押さえていた血濡れの手が青白く光り、気づけばアイシャ自身が輝き出していた。そして、手から溢れ出した光の粒が、リアムの全身を包んだ時、奇跡が起こった。  温かい……  生気を失い青白くなったリアムの顔に血の気が戻り、冷たくなった彼の身体が徐々に熱を持ち始める。リアムを助けたいと念じれば念じるほど、強くなる光の粒は、ドクドクと流れ落ちていった血を補うかのように、傷口から彼の体内へと入り、刺し傷までをも消し去った。  徐々に力が抜けていく。  漠然と死ぬのだろうと感じていた。  それでもよかった。自分の命と引き換えにリアムが生きられるのであれば……  そして、アイシャの意識は闇へと溶けていった。  リアムはあの世界で幸せに笑っているだろうか? ――――、私の最期の望みは彼を生かすことだった。 「アイシャ、話があるの」  ゆっくりと花畑を進むアイシャに、彼女の手を握っていた女の子が話しかける。 「なぁに? マリア。お腹でも空いちゃった??」 「いいえ。違うわ。時が近づいている……、貴方を元の世界へ帰してあげられる」 「えっ!? どういう……」  パッと繋いでいた手を離したマリアがアイシャを見つめる。そして、アイシャがマリアへと声をかけようとした時、異変は起こった。マリアの身体が青白く発光し出したのだ。 ――――この光って!?  一瞬にして、小さな女の子だったマリアの身体が成長し、目の前には髪と瞳の色だけが違う、アイシャに瓜二つの女性が立っていた。 「――――っ、誰!?」 「この姿で会うのは初めてではないわ。貴方には夢の世界で何度か接触しているもの」 「まさか………………」  何度も何度も夢で見た真っ白な女性。  あれが、目の前に立つマリアだとでもいうの? 「わたくし、マリア・リンベルって言うの。貴方の大昔のおばあちゃんね。やだぁ~ポカンってしないで。最後の白き魔女と言った方が、わかるかしら」  異様にテンションが高い、大人になったマリアに気圧され、とりあえずコクコクと頷いておく。 「百年振りにまともに人と話すから、テンション上がっちゃったわ。まぁ、余り時間もない事だし、サクッと話をしましょ。まずは、この世界が何処かという話ね。簡単に言うと、あの世とこの世の狭間。そして、あの川が三途の川よ」 「――――やっぱり、あの川は三途の川だったのね」 「あら、やだ。気づいてたの?」 「えぇ、まぁ。明らかに現実離れした光景だもの」 「そう。でも、大変だったんだから。アイシャは、目を離すと直ぐにあの川に入ろうとするし。あの川に一歩でも入ってしまったら、元の世界へ戻してあげられなかった。――――貴方は、元の世界へ帰りたい?」 「えっ!? ……元の世界って?」 「そうね。貴方にとっての元の世界は色々あるわね。現代日本も、乙女ゲームに似た世界も、貴方が生きていた世界よね」 「えっ……、マリアさんは、私が日本人だった頃を知っているの?」 「厳密には知らないわ。ただ、あの乙女ゲームに似た世界に、貴方の魂を転生させたのは、私よ」 「どういう事ですか!?」  マリアさんが私をあの世界に転生させた張本人?  突然突きつけられた現実に、アイシャの頭に疑問符ばかりが浮かぶ。  いったい、何のために? 「急にこんな事言われても混乱するわね。ただ、当事者である貴方には知る権利がある。どうして、前世の記憶を持ったまま、この世界へと転生することになったのか? それには、私の過去を話さなければならない。貴方にとっては、見ず知らずの女の過去など興味もないだろうけど、聞いて欲しい。全ては、過去の私のエゴによって引き起こされたことなの」  頭の中が疑問で一杯になっているアイシャを前に、マリアのもの悲しい過去が明かされる。  最後の白き魔女だったとアイシャへ明かしたマリアは、あの当時、白き魔女としての力を使えた唯一の魔女だった。生まれた時から桁外れの魔力を有していたマリアは、未来を見通す力『さきよみの力』をも有していた。しかし、彼女はその力を持っていたがために、自分が本当の意味で最期の白き魔女になると知ってしまった。    当時、リンベル伯爵家は白き魔女を生む家として、王家から特別な優遇措置がとられ、それで成り立つような特殊な貴族家だった。もし、白き魔女がマリアの代で(つい)えてしまうと判れば、王家はリンベル伯爵家を見捨てるかもしれない。大切な家族を路頭に迷わせる事になると考えたマリアは、ある計画を実行する事にした。    莫大な魔力を有する白き魔女は、転移魔法を扱う事が出来る。それは、自分の命と引き換えに行う、禁忌の魔法だった。リンベル伯爵家を救うため、いつか白き魔女を復活させるため、マリアは自分の命と引き換えに転移魔法を発動させる事に決めたのだ。  当時の白き魔女の立場がどのようなものだったかは分からないが、悲しみを瞳に浮かべ無理をして笑う彼女の表情が全てを物語っていた。自分が本当の意味での最後の白き魔女だと知った時、家族を守るため、自分の命を投げ出す決意をするまでに、どれ程の覚悟をマリアはしたのだろうか。  自分の手で人生を終わらせる決意をしなければならないなんて、想像を絶する恐怖があっただろう。  目の前に立つマリアの暗く沈んだ表情が、その恐怖を物語っていた。 「でも、当時私には愛する人がいた……、その人を遺し、死ぬのがとてつもなく悲しかった。いつか彼は私の事を忘れてしまう。きっと私を忘れ、他の女性と幸せになるだろうと。悲しくて悲しくて仕方がなかった。だから、禁忌を犯してしまったの……」    愛する人に忘れられてしまう現実。    きっとマリアさんは『白き魔女』になど、なりたくなかったのだ。莫大な魔力を持ち、多くの偉業を成し遂げて来たであろう彼女の本心は、ただ愛する人と幸せになりたかっただけなのかもしれない。  愛する人と結婚をし、子供を産み、幸せな家庭を築くことを夢見る普通の女の子に、なりたかったのではないだろうか?  そんな些細な夢すら叶わないと理解したとき、そして愛する恋人にすら忘れ去られるかもしれと考えた時、想像を絶する絶望に襲われたのではないだろうか?  私だったら耐えられない…… 「白き魔女は、子を成すと急激に力を失う。でも、彼の子が欲しかった。私が生きた(あかし)を彼の元に遺したかった。結果、私は男の子を生み、数日後に転移魔法を発動させ、あの世界から私の肉体は消滅した。転移魔法は成功し、私の魂を器にし魔力はリンベル伯爵家に生まれる次代の白き魔女へと受け継がれる筈だった。しかし、子を成した事で魔力が不安定になった影響かとんでもない事が起きてしまった」  顔を覆い、その場へと膝をついたマリアの声が震える。痛いほどの後悔の念が伝わってきて、アイシャの心を震わす。   「アイシャ、貴方は日本人としての生を終え、あの世界のリンベル伯爵家のアイシャとしての生が始まる事は定めで決まっていた。そして、私の魂から魔力を受け取り、白き魔女として復活することも定められていた。  日本人としての生を終えた貴方の無垢な魂が、生と死の狭間に来た。そして、私の魂と混ざり合い魔力のみを受け渡そうとした時、事件は起こったの。貴方の魂と私の魂が融合し、そのままあの世界へと転生してしまった。その影響か、貴方は前世の記憶を残したまま転生することになった。そして、私の魂が融合した事で、一部の魔力が弾き出され、とんでもない影響を及ぼす結果となったの。グレイスとクレア、あの二人も前世の記憶を残し転生した。乙女ゲームの世界に執着していたグレイスと前世の貴方に強い悔恨を残していたクレアの魂を呼び寄せてしまったの」 「だから、あの世界に前世の記憶を持った転生者が三人も生まれてしまったのですね?」   「えぇ。結局、私のエゴで貴方達を巻き込み、あの世界を歪める結果となってしまった。アイシャ、本当にごめんなさい。前世の記憶がなければ貴方はあの世界で、もっと生きやすかったでしょうに」  前世の記憶がなければ、あの世界が乙女ゲームの世界だと思い込み、苦しむ事もなかったのだろうか? ――――いいや、違う。  前世の記憶があったからこそ梨花にも会えたし、わかり合うことが出来たのだ。  前世の記憶がなければ、今のアイシャはいなかった。貴族社会の柵に囚われた平凡な令嬢だったかもしれない。  今まで出会ってきた人達との関係性も変わっていただろう。リアムとの関係も…… 「マリアさん……、辛いことや苦しいことも沢山あったけど、前世の記憶があって良かったと思います。そうじゃなきゃ、アイシャとして生きた世界を全て否定することになる。私は、あの世界をアイシャとして生きられて幸せでした。人を愛する喜びを知ることが出来たんだもの」  アイシャの顔に、自然な笑みが浮かんでいた。 「マリアさん、あの世界へ……、リアムのいる世界へ帰りたいです!」  その時だった。アイシャの身体が、マリアと同じように青白く輝き出した。 「もう時間ね。間に合って良かったわ。アイシャの最期の望みが、愛する人を生かす事で良かった。リアムの中にある魔力の残滓(ざんし)が貴方を呼び寄せる。彼が貴方を取り戻したいと強く願えば願うほど、魔力の残滓は光り輝き、アイシャがあの世界へ帰る道しるべとなるわ」 「リアムは私を取り戻したいと思ってくれているのですか?」  あの世とこの世の狭間に来てから時間の間隔がよく分からない。リアムのいる世界とこちらでは時間軸が全く異なる事だってあり得るのだ。  すでに私は死んだ事になっているのではないか?   リアムは私の事など忘れて、新しい恋人と幸せな家庭を築いているかもしれない。そんな事を考え始めると急に、あの世界へ戻るのが怖くなる。  マリアは、自分の生きた(あかし)を愛する人の元へ残すことが出来た。しかし、アイシャはリアムの元に何ひとつ残していない。  リアムをアイシャに繋ぎ止めておくものは何もないのだ。  愛する人に忘れ去られる現実が、アイシャの心を不安へと突き落とす。 「リアムは、今でも私のことを愛してくれているのでしょうか? ここに来てから、かなりの時間が経ちました。私がいなくなってから、あちらの世界の時間がどれほど進んだか分かりません。もうリアムは私の事など忘れて、他の誰かと幸せになっているのではないでしょうか? 私は、このまま死後の世界へと旅立った方が……」 「アイシャ! 何を言っているの!! そんな事をしたら、リアムだけでなく、キースやリンベル伯爵家の家族、そしてクレア。貴方を大切に思っている大勢の人達を悲しませる事になる。もし仮に、リアムが貴方の事など忘れて他の誰かと幸せになっているのなら、彼の中にある魔力の残滓は反応しない。彼の中に残る魔力と貴方の持つ魔力が共鳴し、今のように青く光輝く事もないのよ。だから、安心なさい。今でも、リアムはアイシャを心の底から愛しているわ。ふふふ……、仮死状態の貴方の身体を毎日撫でまわすくらいには、愛しているわよ」 「えっ!? 撫でまわすって……」 「冗談よ。まぁ、毎日キスくらいはしているんじゃないかしら」 「えっ、キス!? えぇぇぇぇぇ…………」 「それくらい許してあげなさい。そのおかげで貴方はあの世界へ戻れるのだから」  キス…、撫でまわす………………、リアムはいったい私の体に何してんのよぉぉぉぉ 「ほらっ! 手を繋いで。今度こそ失敗しないわ。貴方の中に私の魔力を全て注ぎ込む。アイシャがリアムの元へ戻りたいと強く願えば願うほど、お互いの魔力が共鳴し、導いてくれる。さぁ! 願いなさい。リアムの元へ帰りたいと」  リアムとの日々は、楽しくて、辛くて、苦しくて、切ない日々だった。それら全てが愛おしい想い出。  もう迷わない。彼の元へ帰りたい……  お願いリアムの元へ帰して……  アイシャの身体の中へと、強烈な光が流れ込んでくる。視界いっぱいに、キラキラと輝く光の粒が広がり、大流となってアイシャの周りをクルクルと回り出す。 「アイシャ幸せにね……」 「――――、マリアさんも」  私の最後の言葉は彼女に届いただろうか?  消えゆく世界の中でまた、彼女も消え去る。  美しい笑顔だった。  やっとマリアもアイシャという(しがらみ)から解放され、愛する人の元へ行けるのだ。  光の粒が竜巻きのようにアイシャの周りを駆け巡り、宙に舞った花びらが視界を覆ったと思った時、アイシャの意識は弾け飛んだ。  リアムの元へ――――
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