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・・・で
あの日から、ちょうどひと月後。
我が国の皇女殿下と、隣国王太子殿下の婚約が発表された。
慶事だ。
確かに慶事なのだが。
もともとは小さな国だった隣国は、今ではこの大陸一の大国だ。
歴史的に古いとはいえ、武力も経済力も負けている我が国へ。皇女殿下を賜りたい、と先方からの強い要望があったことを。
民はみな自分の事のように自慢している。
・・・どんどん大きくなる隣国に恐怖していた歴史など無かったかのように。
近い将来、我が国から大国の王妃様が生まれる。
その皇家の英断に。各貴族家の当主たちもまた、大喜びしていると聞いた。
・・・成り上がりの国のくせにと隣国を馬鹿にしていたことは、忘れたかのように。
我が国は・・・非常に閉鎖的だ。
他国との婚姻は、歓迎されない。婚姻に関する我が国独自の風習も多い。
貴族が、違う色の髪や瞳の者を嫌うのも、その理由のひとつだ。
他国の人との婚姻で、違う髪色の子どもが生まれることは多いから。
それなのに、自分たちの利になる、となれば。皇女殿下を差し出すことを厭わないのか?・・・これが自分の娘であったなら、躊躇するんだろう?
勝手な奴らだ、と怒りさえ覚えてしまう。
今回のこの婚姻話は、あまりにも早く好意的な噂が広まっていく。
貴族たちの浅ましさを隠すために、彼らは画策しているのだろうか。
婚約の発表より2週間後には、隣国へ向かう皇女殿下の迎えに、王太子殿下自ら我が国へやって来られて。
我が国を尊重し、皇女殿下を尊重してくださるのだ、と。
皇都民の盛り上がりは最高潮に達した。
・・・隣国との関係は、今。蜜月と言って良かった。
歓迎の夜会では、ふたりのダンスも披露されたと聞く。
もちろん俺がそれを見れるはずは無かったけれど・・・。
おふたりが、庭を散策なさる様子は見た。
金髪碧眼の隣国王太子殿下は、見目麗しく。背も高く。所作も美しく。
何より・・・皇女殿下を見る目が優しかった。
やはり黒髪を最上と考える侍女たちも、隣国王太子殿下には文句のつけようも無いらしく。あちこちで誉めそやしていた。
我が国へ5日滞在された王太子殿下は、皇女殿下を連れて帰国の途に就かれる。
皇女殿下は、隣国でお妃教育を受けたのち王太子妃となられるのだ。
皇女殿下とのお別れの日。
警備の騎士を除くすべての使用人が、そのお見送りを許された。
皇城の窓という窓から、手を振る人々。
皇女殿下のお名を呼び、そのお幸せを祈る。
そんな我々みなをくるりと見上げ、美しい礼を披露してくださる皇女殿下。
凛とした所作。すべての者にお気遣いくださるその精神。
わざわざ馬車を中途半端なところへ停めさせ、皆のためにと皇城広場を歩いてくださった。
エスコートをしているのは、正装に身を包んだ隣国王太子。
十数人の侍女たちが、皇女殿下にお供して隣国へ行くが。
残りはすでに出発したらしい。数人だけが、おふたりの後ろを進んでいく。この数人は、特別な侍女。
生涯婚姻することなく、皇女殿下にお仕えする。
通常はひとりとされる役職なのだが、他国へ嫁ぐ皇女殿下のためにと人数が増やされていた。
皇女殿下は手を振って万雷の拍手に応え・・・とうとう馬車へと乗り込まれた。
結婚式は数か月後、隣国大聖堂で厳かに行われるという。
まだ出発しない馬車を見つめる人々の間を抜けて。
さて、と俺は厨房へ急ぐ。
出入りの商人との約束はそろそろだ。最近ほぼ毎日顔を合わせている。
料理酒に、ワインなど。酒類の納期遅れが続いている。
皇后さまのご実家領地のワインは、皇都でもよく売れる。皇宮での晩餐にも飲まれている。
・・・毎日足りるか?とドキドキしっぱなしだ。
少しでも早く手に入れたいと。入荷するごとに持ってきてもらってる。
こんな事態は初めてだ。でも理由には、料理長までもが納得してる。
皇都で酒類が不足した理由。それは、貴族令息や騎士達のやけ酒。
・・・わかるぜ。
たった今、見てきたばかりの凛とした美しさを想う。
継承権第2位の皇女殿下は。もともとは、兄上である皇太子殿下に第一子誕生後、ご降嫁の予定だった。
スペアとしての立場を鑑みて、居たのは婚約者”候補”のみ。
情勢によって、婚約者は代わる。自分にも望みはあると思っていた令息も多いだろう。
芙蓉様のお姿を見られ、警護の職に就けることを喜びとしていた騎士だって多い。
まだまだ、ご結婚は先の話と思っていた第1皇女殿下、芙蓉様が。まさか他国へ嫁して行かれるなど・・・。誰も考えていなかったはずだ。
やけ酒に走りたい気持ちは、俺にもわかる。
”お姉さまはほんと、綺麗だし、お強いし。サマートが憧れるのわかるわ”
第2皇女殿下だって・・・そう言っていたっけな。
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