皇女の第5厨房で

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皇女の第5厨房で

「手伝おうか?サマート」 おじさんの声は心配げで。俺は首を横に振って答える。 「それほど、置いてあった食材は無いから。ひとりで大丈夫。 調理器具の掃除も、きちんと毎回やってきたから大した手間は無いし。 1日かけて掃除していいと言ってもらって、申し訳ないくらいだよ」 ふたりで話すときには、子どもの頃のようにタメグチ。 「・・・人手が必要になったら言えよ」 心配してるのは、人手じゃなくて俺のメンタルのほうだろうな。おじさんは変わらず、料理のこと以外では優しい。 おじさんにも言えないが。第5厨房には、許された者しか入れない。 手伝ってもらいたかったとしても無理なんだ。 入れるのは俺と、アンナと。猫と。 ・・・あの猫はどうしたんだろうな。聖獣は、契約していた人間が亡くなれば、森に還るのだと聞いた。 今日俺は、料理長から。第5厨房を片付けろと言われてる。 急に来なくなった第2皇女殿下。 それでも、勝手に食材を片付けることは許されなかった。どんな手続きが必要なのか、偉い人間の考えることは間抜けてる。 許可が出たのが、やっと今日。置かれていた食材はすでに腐っている・・・と料理長たちからは思われてる。 いつものように第5厨房の扉を開けようとして。鍵がかかっている、とびっくりする。 ・・・そうか。猫が施したという許された人間しか入れない魔法はもう。解除されていたのか・・・。 俺は預かった鍵を使って、扉を開けた。 しばらく放っておかれたはずなのに、清浄なにおいしかしない。アンナの結界魔法はそのままらしいな。 まず無事な食材を。真ん中の大きな調理台へ乗せていく。 アンナの魔法は必要ないだろうと、重ね掛けてなかった根菜類は、傷んでた。 ・・・アンナとも、ずっと会ってない。ひどく悲しんでいないといいけれど。 芙蓉様のご婚約の発表に隠れて。皇宮では弔いがあった。 慶事のために、静かに行われたのか。 静かに行いたいために、慶事を大きく喧伝したのか。 いくら皇族とはいえ、成人していない皇女だ。国を挙げての大げさな儀式などはもとから無いものの。 ・・・第2皇女の死は、あまりにも人の口にのぼらなかった。 ただ静かに。皇族の方だけでお別れののち、葬られたそうだ。 発表は病死。 まさか、まだまだ背の低いガキが。死んでしまうなんて思ってもみなかった。 あんなに元気で言いたい放題のガキと。もう会えないとは思ってもなかった。 あまりに急すぎる。事故ではないかと誰かがこっそり言っていた。 あのクソガキは・・・結局自分を信じてやれなかったんだろうか。 あんまりにも急な訃報に、悪いことばかり考える。 決めた、というあの言葉は前向きなものじゃなかったのかよ。 俺は・・・余計なことを言ってしまったのか? みずみずしいままのトマト、そのままガブリと口に入れる。 最後に会う少し前、これで・・・何を作ろうと話していたんだっけな。 眼を輝かせて早口にしゃべるクソガキが浮かぶ。 一番最初に・・・ああやって一生懸命に伝えてくる料理の名前や見かけの話を。 俺は真面目に聞いていなかった。だってお前、説明が下手なんだよ。 いつだって、俺が想像したものとあまりにも違うものが出来ていくから。最初から固定観念が無いほうが作りやすかったから。 ・・・おかげで、トマトの使い道が出てこねぇや。 食材の処分をしてしまうと、今度は調理器具を丁寧に拭いて片付ける。 ”小物を拭くくらい手伝え” 自分の言葉を思い出す。どれだけ不敬だったんだ俺は。 皇女は、渡された布巾を物珍しそうにしてたっけ。初めて拭いてもらったあの時はだめだめだったよ。 アンナが来るようになってからは、調理小物はひとつひとつ魔法をかけてもらった。 ええと確か”抗菌仕上げ”。 おかげで今も、手入れは簡単だ。 次は大物。オーブンの鉄板を取り出して。潜り込むようにして掃除する。 ほんの少し焦げた匂い。皇女たちふたりに任せたクッキーが失敗したことを思い出す。 ここで作った料理の・・・三分の一は失敗だったよな。 いや、基本俺の腕のせいじゃないぞ! 材料が無かったり、あいつらに見てろと言ったのに見てなかったりしたせいだ。 ひとりで言い訳する。 どうしても、手に入らない食材や調味料があった。いつか見つけてみせると皇女は笑ってた。 そうだよ、見つけるって言っていたじゃないか。 ・・・掃除も、片付けも。すべてを済ませた俺は。 ゆっくりと。厨房を見回す。 しばらくこの厨房は使われない。また料理好きな皇族がお生まれになるまで。 ここに。 初めて入った時を思い出す。 ガキどもが、フルーツを落としたことを思い出す。 ”いい加減、腕が疲れた。お前、もう少し体力のあるやつに憑りついてくれよ” ”いやだ、またわたしをお化け扱いするのね” ”料理の手伝いはもう嫌だ。何度言ったら諦めてくれるんだよ” ”ほんと、サマートって変ね。いつだって、平気で文句を言うんだから” ”サマートはしちゅれいよっ”アンナの最初の文句を思い出す。あいつ、噛みやがったっけな。 これから、第5厨房の扉は閉じられ。もう俺が生きてる間に開くことは無いだろう。 ・・・俺には余計な仕事が減ったというだけの事だ。 もう、あれを作れ、これを作れ。言われなくても済む。 ただそれだけの話だ。 もう二度と、なにひとつ。料理を作らされることはない。 それは・・・。ほっとする事態のはずなのに。 どうして俺は、この厨房から出たくないと思うんだろうな。 動かない足を、引きずるようにして扉の外へ出る。こんなことなら・・・。 ・・・こんなことなら。 皇女が言う、わけのわからない料理をもっとたくさん。 作ってやればよかった。
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