8人が本棚に入れています
本棚に追加
皇女の第5厨房で
「手伝おうか?サマート」
おじさんの声は心配げで。俺は首を横に振って答える。
「それほど、置いてあった食材は無いから。ひとりで大丈夫。
調理器具の掃除も、きちんと毎回やってきたから大した手間は無いし。
1日かけて掃除していいと言ってもらって、申し訳ないくらいだよ」
ふたりで話すときには、子どもの頃のようにタメグチ。
「・・・人手が必要になったら言えよ」
心配してるのは、人手じゃなくて俺のメンタルのほうだろうな。おじさんは変わらず、料理のこと以外では優しい。
おじさんにも言えないが。第5厨房には、許された者しか入れない。
手伝ってもらいたかったとしても無理なんだ。
入れるのは俺と、アンナと。猫と。
・・・あの猫はどうしたんだろうな。聖獣は、契約していた人間が亡くなれば、森に還るのだと聞いた。
今日俺は、料理長から。第5厨房を片付けろと言われてる。
急に来なくなった第2皇女殿下。
それでも、勝手に食材を片付けることは許されなかった。どんな手続きが必要なのか、偉い人間の考えることは間抜けてる。
許可が出たのが、やっと今日。置かれていた食材はすでに腐っている・・・と料理長たちからは思われてる。
いつものように第5厨房の扉を開けようとして。鍵がかかっている、とびっくりする。
・・・そうか。猫が施したという許された人間しか入れない魔法はもう。解除されていたのか・・・。
俺は預かった鍵を使って、扉を開けた。
しばらく放っておかれたはずなのに、清浄なにおいしかしない。アンナの結界魔法はそのままらしいな。
まず無事な食材を。真ん中の大きな調理台へ乗せていく。
アンナの魔法は必要ないだろうと、重ね掛けてなかった根菜類は、傷んでた。
・・・アンナとも、ずっと会ってない。ひどく悲しんでいないといいけれど。
芙蓉様のご婚約の発表に隠れて。皇宮では弔いがあった。
慶事のために、静かに行われたのか。
静かに行いたいために、慶事を大きく喧伝したのか。
いくら皇族とはいえ、成人していない皇女だ。国を挙げての大げさな儀式などはもとから無いものの。
・・・第2皇女の死は、あまりにも人の口にのぼらなかった。
ただ静かに。皇族の方だけでお別れののち、葬られたそうだ。
発表は病死。
まさか、まだまだ背の低いガキが。死んでしまうなんて思ってもみなかった。
あんなに元気で言いたい放題のガキと。もう会えないとは思ってもなかった。
あまりに急すぎる。事故ではないかと誰かがこっそり言っていた。
あのクソガキは・・・結局自分を信じてやれなかったんだろうか。
あんまりにも急な訃報に、悪いことばかり考える。
決めた、というあの言葉は前向きなものじゃなかったのかよ。
俺は・・・余計なことを言ってしまったのか?
みずみずしいままのトマト、そのままガブリと口に入れる。
最後に会う少し前、これで・・・何を作ろうと話していたんだっけな。
眼を輝かせて早口にしゃべるクソガキが浮かぶ。
一番最初に・・・ああやって一生懸命に伝えてくる料理の名前や見かけの話を。
俺は真面目に聞いていなかった。だってお前、説明が下手なんだよ。
いつだって、俺が想像したものとあまりにも違うものが出来ていくから。最初から固定観念が無いほうが作りやすかったから。
・・・おかげで、トマトの使い道が出てこねぇや。
食材の処分をしてしまうと、今度は調理器具を丁寧に拭いて片付ける。
”小物を拭くくらい手伝え”
自分の言葉を思い出す。どれだけ不敬だったんだ俺は。
皇女は、渡された布巾を物珍しそうにしてたっけ。初めて拭いてもらったあの時はだめだめだったよ。
アンナが来るようになってからは、調理小物はひとつひとつ魔法をかけてもらった。
ええと確か”抗菌仕上げ”。
おかげで今も、手入れは簡単だ。
次は大物。オーブンの鉄板を取り出して。潜り込むようにして掃除する。
ほんの少し焦げた匂い。皇女たちふたりに任せたクッキーが失敗したことを思い出す。
ここで作った料理の・・・三分の一は失敗だったよな。
いや、基本俺の腕のせいじゃないぞ!
材料が無かったり、あいつらに見てろと言ったのに見てなかったりしたせいだ。
ひとりで言い訳する。
どうしても、手に入らない食材や調味料があった。いつか見つけてみせると皇女は笑ってた。
そうだよ、見つけるって言っていたじゃないか。
・・・掃除も、片付けも。すべてを済ませた俺は。
ゆっくりと。厨房を見回す。
しばらくこの厨房は使われない。また料理好きな皇族がお生まれになるまで。
ここに。
初めて入った時を思い出す。
ガキどもが、フルーツを落としたことを思い出す。
”いい加減、腕が疲れた。お前、もう少し体力のあるやつに憑りついてくれよ”
”いやだ、またわたしをお化け扱いするのね”
”料理の手伝いはもう嫌だ。何度言ったら諦めてくれるんだよ”
”ほんと、サマートって変ね。いつだって、平気で文句を言うんだから”
”サマートはしちゅれいよっ”アンナの最初の文句を思い出す。あいつ、噛みやがったっけな。
これから、第5厨房の扉は閉じられ。もう俺が生きてる間に開くことは無いだろう。
・・・俺には余計な仕事が減ったというだけの事だ。
もう、あれを作れ、これを作れ。言われなくても済む。
ただそれだけの話だ。
もう二度と、なにひとつ。料理を作らされることはない。
それは・・・。ほっとする事態のはずなのに。
どうして俺は、この厨房から出たくないと思うんだろうな。
動かない足を、引きずるようにして扉の外へ出る。こんなことなら・・・。
・・・こんなことなら。
皇女が言う、わけのわからない料理をもっとたくさん。
作ってやればよかった。
最初のコメントを投稿しよう!