第5話 入院している彼女の場合

2/2
前へ
/14ページ
次へ
「私、メリーさん。今、あなたの目の前にいるの」  そっと、わたしの手を取った。  ぼんやりと光に包まれた世界で、私は見えない目をこらす。  手元には、ぼやけた世界でもわかるほど赤く、柔らかいものが乗せられた。 「まあ。お土産?」 「そう。本当は紫陽花を持ってきたかったけど、今の病院はお花は持ってきて欲しくないみたいだから」  可憐な、けれどしっとりとした声で、メリーさんは言う。 「ひさえさん、原色だと見えるって言ってたから。すごく赤い布を買ってきたの」 「縮緬は手触りが楽しいわよね。小さい頃はよく触ってたわ、ありがとう」 「あとはこれ」  カン、という金属の音がする。私は、直感した。 「もしかして、お菓子の缶?」 「そう。お菓子の家のクッキーですって。かわいい動物たちのクッキーなの」  今度食べてね、とメリーさん。机の上に置く音がした。  ああ、なんだかすごく裁縫がしたくなってきた。食べ終わったお菓子の缶には、絶対に裁縫道具を入れていたの。  手が覚えているから、目が見えなくても縫えるかしら。 「たくさんリポートしてくれてありがとう。おかげで入院生活が楽しかったわ」 「本当? 本当はもっと言葉にしたかったのだけど、なかなか難しいわ。目に浮かぶように説明したかったんだけど」 「見えたわよ、心の目で」  そう言うと、メリーさんは笑った。  いくら目が悪くなったって、人の機嫌ぐらい、ほかの感覚でわかるのよ。  手を握ると、ほんの少し固くて、ちょっと冷たいメリーさんの手。でもそこからは、あたたかい感情がつたわってくる。 「退院したら、どこにでも連れていくわ。国内でも、海外でも」 「まあ。楽しみ。パスポート、まだ使えたかしら」  雨の音が聞こえる。  風の音が聞こえる。  人は何かを失うと、「かわいそうに」と言ってしまうものだけど、失うということは同時に新しいものを手に入れることだった。目が見えなくなったぶん、無意識に排除していた音を、意識するようになった。それは新しく知った、私の世界にもともとあったもの。  私の人生は退屈なものとばかり思っていたけれど、単に私が気付いてないだけだった。それが分かっただけで、素晴らしいことだと思えている。  看護師さんの足音が聴こえてきた。同時に、メリーさんがまたね、と告げる。  私も、またね、と返した。  暫くうとうとしていたのだけど、聞きなれた足音がして、ぱちりと目を覚ます。 「あ、こんにちは」  看護師さんの声に、私は、夫がお見舞いに来てくれたのだと確認した。 「こんにちは。妻の様子はどうでしょうか」 「ええ、今日も楽しそうでしたよ。今日はお孫さんがいらっしゃったので、すごく楽しそうでした。すごく綺麗なお孫さんですね」 「え……? 私たちに、子どもはおりませんが」 「え? じゃあ、あの子は一体……」  ドアの向こうから、看護師さんと夫の会話が聴こえる。  私は寝た振りをするために、布団を再び口元まで持ってきて、ふふ、と笑う。  おばけと友達なんて、知ったらきっと、びっくりするでしょうね。  ああ、あの子のためのお洋服を作りたい。  赤い服でも、それ以外でも、なんでも似合う、美人な子。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加