愛してください

2/3
前へ
/3ページ
次へ
 私は、昔から姉が嫌いだった。  姉は美人で社交的。どれくらい美人かと言えば、アイドルなんかに興味がない男子生徒でも姉の顔は忘れない、というレベルの美人だった。しかも、スッピンのままでも、だ。  私と姉は二つ歳が違う。だから、小中学校では、一時的とはいえ同じ校舎内で学校生活を過ごしていた。  美人の姉は、自分の学年だけではなく、上級生にも下級生にも名が知れていた。 「あの先輩の妹なんだよな?」  同級生によく聞かれた。特に男子生徒から。  正直に答えると、かなりの高確率でこんな言葉が返ってきた。 「お姉さん、凄ぇ美人だな」 「姉妹なのに、全然似てないな」  ひどいときは、馬鹿にされた。 「姉ちゃんはあんなに美人なのに、お前は可愛くないな」  私と姉を比較する、言葉達。言葉は針のように鋭くて、私の心を突き刺した。  刺された心からは、玉のような血が浮き出ていた。チクチクと痛かった。何度も何度も刺されて、心に血が流れた。まるで涙のように。  同級生とは反対に、両親は優しかった。姉よりも私に優しくしてくれた。でも、その優しさは、愛情ではなかった。  私は、両親に同情されていたんだ。 『お姉ちゃんはみんなに可愛がられているから、せめて自分達だけは、妹の方を可愛がろう』  深夜に両親が交わしていた会話を、私はたまたま聞いてしまった。そんなときに限って、夜中にトイレで目が覚めるのだ。  両親の気遣いすら、私にとっては、心に刺さる針だった。  姉が高校に進学したときは、心底ホッとした。これでもう、校内で姉と比較されることはない。あとは、私が、姉と別の高校に進学すればいい。  姉に遅れること二年。私も高校生になった。もちろん、姉とは違う高校だ。  同情で私を可愛がる両親とは、あまり一緒にいたくなかった。だから、練習時間が長い部活を探した。バスケットボール部。  練習は厳しかったが、楽しかった。なかなかの強豪で、三年生も、秋の国体が終わるまで引退しない。でも、昔ながらの体育会系な雰囲気は皆無だった。  私の高校のバスケットボール部は、男女混合で練習する。当然、男子バスケットボール部の人とも交流ができる。  私は、二つ年上の先輩に恋をした。誠実で、優しい人。男子バスケットボール部のレギュラー。でも、決して偉そうじゃない。エースではないが、チームを支える要として必要な人だった。  私はしばしば、先輩にお願いした。 「居残り練習に付き合ってくれませんか?」  それほどバスケットボールが好きだったわけではない。ただ家に帰りたくないから、居残りたい。そんな目的。  けれど、いつからか、目的が変わっていた。  少しでも先輩と一緒にいたい。  鈍感な先輩は、私の気持ちに気付かない。あくまで先輩として、優しく真摯に接してくれた。  それでも、先輩と一緒にいられるのが嬉しかった。楽しかった。幸せだった。  私の日記には、毎日先輩が登場した。先輩の一挙一動を日記に書いた。そのときに感じた気持ちが、日記には溢れていた。  それくらい先輩が好きなのに、私は、告白できずにいた。振られるのが恐いから――じゃない。  先輩と付き合えば、いつかは、彼と姉が遭遇するときがくるだろう。  美人な姉を見て、先輩が心変わりしてしまうのではないか。そう思うと、恐かった。最悪な形で失うくらいなら、最初から手に入れたくなかった。  そんな私の予感は、別の形で現実となった。  大学受験に備えて、三年生は、だいたい十一月から練習に来なくなる。完全に部活の世代が交代する時期。  先輩がいない寂しさを胸に抱えて。校内で運良く見かけたときは、とにかく少しでも話題を振って。ほんのちょっとでも、一緒の時間を過ごそうと思って。  冬休みに入って。完全に、先輩との接点が途切れて。  冬休み明けの時期に、姉が、先輩を家に連れて来た。  二人にどんな繋がりがあったのかは分からない。ただ、姉は、恋人として先輩を紹介してきた。  大好きな人が、大嫌いな人のものになる。年明け早々、私には、最悪の現実が突きつけられた。  高校を卒業してからも、姉と先輩の付き合いは続いた。姉は、しょっちゅう、先輩を家に連れて来た。  二年になり、新しい人と知り合うことがあっても、次の恋なんてできなかった。  好きな人が度々家に来る環境で、次の恋を探せるはずがない。目の前に餌を置かれた動物が、別の餌を探しに行くはずがない。それと同じように。  先輩が大学を卒業して就職すると、二人は籍を入れた。  その頃になると、二人が実家に来る頻度は減った。理由は分からない。ただ、それでも、夫婦としての二人を見るのは、辛かった。  辛い恋を忘れたくて、私は実家を出た。でも、長年に渡って染みつけられた恋心は、なかなか消えてくれなかった。心に深く突き刺さって、どんだけ引っ張っても抜けなかった。  大学生活も、就職活動も、ひとりのときも、私の心には先輩の幻影がいた。  そんな、ある日。  姉が死んだ。  死因は他殺。殺されたのだ。犯人は、姉が高校卒後に就職した会社の上司。  妻と二人の娘がいる上司。同時に、姉の不倫相手でもあった上司。  二人の仲は、姉が就職して一年ほどしてから。つまり、先輩と結婚する前からの仲だったんだ。  殺害の動機は、別れ話のもつれ。  姉が、上司に別れを切り出した。  本気だった上司は、納得しなかった。激高の果てに、姉を絞殺した。  姉の葬儀の席で、久し振りに先輩に会った。  顔を見た瞬間に、感じた。好きだ。まだ、この人のことが好きだ。  先輩は憔悴し切っていた。そりゃそうだろう。最愛の妻に、結婚前から裏切られていたのだから。それなのに、夫として、葬儀の場で責任を果たさなければならない。  私は先輩が好きだ。だから、今まで彼氏もできなかった。ずっと忘れられなかった。憔悴する先輩を、支えたいと思った。  姉という邪魔者が消えて、目の前には弱った先輩。もう、躊躇(ためら)う理由はなかった。 「先輩のこと、ずっと好きだったんです。高校のときからずっとです」  先輩は呆然としていた。  葬儀場の廊下が、沈黙に包まれた。  永遠とも思えるほど長い沈黙の後、先輩の唇が動いた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加