第十一章 最後の別れ道

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 モニターはすでに編集ソフトの画面に切り替わっていた。だが、徳紗はそれを操作しようとしない。ただ怜音の方を見ている。 「それだけ確認しておきたかったんだ。ごめんね、時間取って。でも、これは亀井さんじゃないと答えが出せないことだから」  徳紗はそのまま黙りこんだ。まるで、今度は怜音の番だとでも言わんばかりだった。ゴクリとのどが鳴る。何だかとても麦茶がほしかった。手を伸ばしかけて、あきらめる。ここで飲んだら、これから口に出そうとした言葉まで一緒に流れて行ってしまう。そんな気がした。だからやっぱり口を開くしかない。 「もし……全部を知ったアキラくんがわたしを許さなくても、それでいいよ。だって、生きてるから。そこまで生きる気でいたから、後から真実に向き合うことができるんだもん」  一言ずつ口にするたびに、後から理屈がついて来るのを感じる。言葉が先にあって、そこに筋道をつけていく。たぶん、怜音はこういうやり方でないと話せない。 「もちろん、この動画があることと、手術が上手くいくことは関係ないとは思うよ。けどさ、そこまでの15日を『もしかしたら』って信じられる時間にすることならできる。その15日が欲しい……んだと思う」  今考えると、あの病室でもやっぱりアキラの気持ちを先回りしていたのかもしれない。『きっと良くなる』という言葉に裏切られ続けても、それでも明日は来ると信じたい……そんな思いを無意識に受け取ったからこそ、「『万年様』に会ってくる」なんて思わず口走ったりしたのだ。 「でも、正直どうしてそこまでするの? これまで会ったこともない、入院して1ヶ月となりにいただけの相手なんだよね」  確かにそうだ。彼の思いを受け取ったところで、怜音がその後骨を折る必要はなかったはずだ。特にこの2週間あまりは、これまでの生き方とは食い違うことの連続だった。気乗りのしなかった友人を振り切った。話したこともない相手と一緒に作業をした。教室の中で大声を上げた。片隅でおとなしく色を消し続けている自分を壊さなくてはいけなかった。どうしてそこまで? 朝日奈アキラが亀井怜音にとって特別な存在だったから? たぶんそれは違う。 「……彼がまだ『万年様』を信じようとしてたから、かな。明日を信じられる人がいる……そう信じたかったのかも」  何にも期待することができず、自分を失い、色を消してしまう。そこに落ちてしまう前に、踏みとどまる道がまだ残っている。怜音もそう信じてみたかった。自分でも理解できなかったあのこだわりに言葉を与えるなら、そういうことになるのかもしれない。 「だから、手術当日まで彼をだまし切る。それさえできれば、彼がわたしを許さなくたってかまわないよ」  西日がまぶしいのか、徳紗が目を細めた。今度は怜音が彼女をじっと見つめる。 「それが本音?」  徳紗が小さく訊いた。本音とは何だろう。人の気持ちも考えも猫の目のように変わる。そして、いつだって後から『それっぽい』理屈を組み立てる。そこに変わらないものなんてありはしない。そのことを怜音はよく知っている。けれど、今はこれが見つけ出せる精一杯だ。だから、何もためらうことはない。深くしっかりとうなずく。 「……自己満足だよね、それ?」 「最初からそのつもりだよ」  怜音の答えに徳紗は腕を組んでしばらく目を閉じた。やがて「よし、わかった!」とさけんで大きく手を叩いた。 「編集始めよっか」  徳紗はようやくPCを動かし始めた。その張り切った背中を見て、怜音は大きく息を吐く。緊張で張り詰めていた空気がようやく溶けて、何だか力が抜けた。 「ちょっと、作業前から疲れないでよ……怜音」  笑いながら徳紗が言う。今のやり取りで距離が縮まったのか、自然な名前呼びだった。 「ごめん、えっと……菅野、さん?」 「いや、この流れで苗字はやめてよ。なんかちょっとよそよそしいじゃん」 「あれ、でも自分の名前好きじゃないって……」  慌てる怜音に徳紗がニンマリ笑う。 「『響きが』好きじゃないって言ったでしょ。実は気に入ってるんだよね。文字は」  そんなこと、言われなければわからない。そもそも、文字を気に入っていて響きの嫌いな名前をどう呼べばいいのか。おかまいなしで徳紗はしゃべり続ける。 「苗字と名前から最初の一文字を取って、つなげると『カントク』になるでしょ。名が体を表してると思わない?」  怜音は思わず吹き出す。切り出して、つなげる……まさに『編集』だ。 「わかったよ……カントク」  徳紗が満足げにうなずいた。怜音は、氷が溶けてぬるくなっていた麦茶を飲み干す。そのままモニターの前、作業を始めた徳紗の隣に腰を下ろした。
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