第十三章 2つのうそ

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第十三章 2つのうそ

 2分30秒の動画が終わった。ベッドの上に座った手術前日の朝日奈アキラは、しばらくの間何も言うことができなかった。黙って目を閉じ、まぶたを押さえる。目を開けると緊張した面持ちの亀井怜音が下を向いていた。さっきまでと何も変わらない。やがて、アキラはおずおずと口を開く。 「……本当に撮ってきたんだな」 「うん」  そのまま2人とも黙ってしまう。病室の空調が低い音を立てていた。その音にたえきれず、アキラは再び口を開いた。 「ごめんな、疑ったりして」 「いいよ。謝ってほしかったわけじゃないし」 「そんなことよりさ」と怜音が顔を上げる。 「どうだった? わたしの撮った『万年様』」 「しっかり映ってたよ」  怜音がうれしそうな顔で笑う。これはおせじではなく、アキラの本心だ。彼が2年前に出会った『万年様』はぼんやりとした魚影だった。だが、怜音の撮影してきたものは、それよりもずっとくっきりした姿を備えた大亀だった。 「毎日、池まで行ってくれたのか?」  アキラの問いに怜音が苦笑いして答えた。 「とにかく手術の日までに見つけようと思って。ノープランでスマホ片手に『万年池』を駆け回ったんだ。無茶苦茶な賭けだったよ」 「でも、報われてよかった」と続ける彼女にアキラは言葉をかけた。だが、小さすぎて聞こえなかったらしい。 「ごめん、何?」  顔を真っ赤にしながらボリュームを上げた。 「……ありがとな。撮ってきてくれて」  笑顔だった怜音がふっと真面目な表情になった。 「お礼はいいから、アキラくんも信じてよ。きっと良くなる、大丈夫だってさ」  そうだった。全てはここからだった。アキラがその言葉を受け取ることができなかったから、始まったのだ。 「画面越しとはいえ、また『万年様』に会えたんだ。もう一度信じてみるよ」  その言葉を聞いて、初めて怜音の目の中で何かが揺れた……そんな気がした。 「じゃあ、もう行くね。手術頑張って」  少しあわてて帰り支度を始めた怜音に、アキラは素直に手をふる。 「またな」 「……うん。またね」  それだけ言うと、怜音はベッドを区切るカーテンの向こうに姿を消した。遠ざかって行く足音に向かって、アキラは「奇跡って起こるんだな」とつぶやいた。聞こえていても、いなくてもどちらでもよかった。  体勢を変えて横になり、天井の蛍光灯をぼんやり眺めた。怜音がアキラにうそをついていたのと同じように、アキラも怜音にうそをついていた。  彼は最初から、怜音と言い争いをしていた時から『万年池』が掻い掘りされていることを知っていた。『万年様』は彼にとって最後の希望だったのだから、情報収集をおこたらないのは当然のことだった。  だから、あの時怜音に噛みついたのは全ての希望が絶たれたことへのやつ当たりだった。「きっと良くなる」なんて適当な気休めを口にする甘ちゃんを困らせてやりたかったのだ。  だが、彼女は動画を完成させた。どんな手品を使ったのかはわからない。しかけを解き明かす気にもならない。画面に映る『万年池』はアキラの知る『万年池』そのものだったし、『万年様』は彼の知るそれより鮮明だった。それだけで十分、アキラの完敗だった。  彼女は最後に「またね」と言った。また会える日がちゃんと来るだろうか。その日のことを考えているうちに、天井の蛍光灯がにじんでいた。
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