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ウォルナット伯爵家次男 一位
「探しましたよ、坊ちゃま」
侍女頭の芹は、何度やめてほしいと言っても僕を。僕たち兄弟を坊ちゃまと呼ぶ。
兄上はもうすっかり諦めていて「俺が爵位を継いだらやめてくれるだろう」と十年は先のことに期待している。
弟は今が一番、嫌に思う年頃みたいで。
「坊ちゃまと呼んだら返事をしないからな」
とか怒って言って。
「そういうところが、まだまだ坊ちゃまなのですよ」
そうやり込められていた・・・数年前の僕みたいで恥ずかしい。
母上が亡くなってから、母親代わりとなってくれた芹。もともとは父上の乳母だったそうだ。
父上にすらお説教できる女性だ。僕たち兄弟が敵う相手じゃないよなぁ。
「探した?なにかあった?」
手を下ろして、聞く。
芹がこの鍛錬場へ来るとは珍しい。
「旦那様が執務室まで来るようにと仰っています」
少し眉をひそめた芹は、僕がいた鍛錬場をくるっと見回す。
他に誰もいなくてほっとしている。
「素振りをしていただけだよ」
父上が僕くらいの頃、真剣の試合で怪我をしたことがあるのだという。
確かに父上の肩には古くて大きな傷がある。
血だらけの父上を見たことがトラウマになったらしくって。芹は僕たち兄弟が練習試合をするのさえ嫌がる。
「父上は皇城から帰られたのか。
・・・少し遅かったようだね。何か書類に不備があったのかな」
僕も作成を手伝った。間違っていたのかなぁ。と不安が顔に出たみたいで。
「お叱り事とは思えませんでしたわ」
芹は慰めてくれるけど「どちらかというと困っていらしたような・・・」
父上の様子を思い出したのかほんの少し首を傾げた。
・
父上の執務室。
扉を叩くと「入れ」と声がする。
一瞬違和感を感じたものの。いつも通り入室して、左手に置かれたソファを見る。
書類仕事があまり好きではない父上は、こんな風に誰かを呼びつけた時。
たいていお茶にお菓子を用意して自分の休憩時間にしてしまう。
今回もそうだろうと思ったのに。ソファには誰もいなくて戸惑う。
あれ?
お茶の用意もない。
そういえば。入れ、の声は右側から聞こえた?
くるりと視線をまわすと、執務机に座っていた父上が立ち上がった。
この表情は・・・困惑?焦燥?
父上は、何度も口を開けては閉じ、開けては閉じしたあと。
「おまえの婚約・・・相手が、決まった」
やっとそれだけを仰った。
なんだ、そうか。
三歩を歩いて、机を挟んで父上と・・・いや、伯爵閣下と向き合う。
父上の愛情を感じて、僕は嬉しくなっていた。
我が家は、この度の除目で子爵家から伯爵家へしょう爵が決まった。
今日父上は、その手続きに行っていらした。噂を聞き付けたどなたかが、婚約の打診をしてくださったのだろう。
しょう爵は名誉なことではあるけれど、とんでもなく物入りだ。
国に納める税金は段違いに増えるし。
お祝い事だからお披露目のパーティーも派手に執り行うものと決まっている。
あまりみすぼらしいものを身に着けていては舐められる。
付き合いも増えるのだからもちろん、出費も増えるのだ。
特にこの子爵から伯爵への壁は厚い。下位貴族と高位貴族の壁だから。
このタイミングでの婚約話。
相手の家からの金銭的な援助と引き換えであることは、想像に難くない。
高位貴族との縁が欲しい裕福な男爵家からの打診か。
単に貴族との縁が欲しい裕福な商会からのものか。
息子をお金に換える。父上はそれを心苦しく思ってくれたのだろう。
だからとても言いにくそうにしてくれたのだと有難く思う。
だけど。
お相手が、どんな方であろうと僕はただ誠意を尽くすだけだ。
もしも願えるのなら、一時金だけではなく。伯爵家へこの先も援助してくださる家だといいのだが。
背筋を伸ばして、父上の次の言葉を待つ。
どなたであろうとも。承知しました、と答えるはずだった僕は。
「はあ?!」
と大きな声をあげてしまった。
だって父上はこう言ったのだ。
「お相手は、マグノリア公爵家嫡女、撫子様だ」
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