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目の端に眉を顰める侍女。
表情ひとつ取り繕えなくて。僕は少し不機嫌な顔をしたまま彼女に見惚れていた。
それを侍女は勘違いしたようだ。
大事なお嬢様を心酔する眼で見なかったことに、イラッとしたらしい。
僕は本当に固まってしまっただけだったのに。
彼女を綺麗だと思いもしない男だと、勘違いされたようだった。
「どうぞ」
と言われ席へ着く。
あぁ、声までもが美しい。
「お茶を」と侍女へ視線を移してから「撫子と申します」
俯き加減に名を名乗られた。
その様子はどこか・・・僕に申し訳なく思っているような気がして。
・・・彼女は知っているのかもしれない。
最初の見合い相手など、もう二度と会うことは無いということを。
向かい合う彼女の白い肌。
やましい気持ちではなく触れたい。きっと滑らかだろう。
柔らかい布地に触りたいと思う気持ちと似て。
すっと通っているけれど、高すぎない鼻は。優しい気性を感じさせて。
きっと女神のような慈愛の人だと思ってしまう。
長いまつげが下を向くと。同じ年齢のはずなのに大人っぽくて。
彼女の瞬きの度に。どきり!と心臓が鳴る。
「今日はいいお天気で良かったですね」
「美しいお庭ですね」
当たり障りのない会話。
彼女の返事も無難で。なんの感情もこもっていない。
向かい合うアルカイックスマイル。
自分の気持ちなど隠し通して見せる。
・・・僕にだって矜持くらいある。もう二度と会うことの無い彼女に。
好意を持っている事が露見するのは嫌だ。
綺麗だと思っていることが露見するのは嫌だ。
お会い出来ただけで、幸運だ。
珊瑚の言うとおりだな。
彼女と話したことがあるというだけで、一生の自慢になるだろう。
「お庭をご案内するようにと言われているわ」
公爵閣下もそんなことを言ってくださったっけ。
抑揚もない言葉に「ありがとうございます」と言って立ち上がった。
彼女の椅子を引き、静かにエスコートの手を差し出す。
断られるかと思ったのに。彼女はそっと手をのせてくれた。
ふわりと花の香りがする。
どこかすっきりとした香り。凛とした・・・彼女のような香り。
香りに酔いそうだ。
・・・散漫になりそうな気持をおさえる。
彼女の足元を見ながら、歩き出す。
なるべく・・・香りを吸わないように。
体幹のしっかりした方だな。
・・・僕は少しだけ歩きを早める。
案の定、いらいらした感覚が手から消えた。
・・・膨大な敷地。美しい宮殿。整えられた庭園。
場違いな僕。
いや、卑下してる場合じゃない。
二度と見ることもない景色だもの。ただ、楽しもう。
小道は宮殿のほうへ向かって緩やかに下り。色とりどりのバラが咲き誇っていた。
「おぉ」
小さく漏れてしまった言葉を彼女は聞き逃さなかった。
「気に入っていただけましたか」
変わらぬ声なのに。どこか自慢げな気がして。
「素晴らしいお庭ですね」
遠くを見て、近くを見て。
「景観の美しさはさることながら、小道に面して咲いている花は。
このバラはすべてとげを取り除いてある。
これだけの花の数。歩く方に傷をつけまいと考えてくれる庭師には脱帽いたします」
そこまでする余裕は、我が家の庭師にはないだろうな。
ひとりで頑張ってくれる彼を貶めるつもりはない。彼は、僕たち兄弟が遊ぶ裏庭にはとげのある植物は決して植えなかった。できることをしてくれている。
近くの花の茎をじっと見る僕に。
「・・・変な方」
彼女は呟いた。とても小さな声で。
いけない。嫌われてしまっただろうか・・・いや。
何も問題などない。好かれようが嫌われようが。もう二度と会わないのだもの。
・・・不思議なことに。胸がつきりと痛んだ。
小道を10分ほども歩いた。もちろん、花を見ながらゆっくりではあるけれど。
そろそろお疲れでは、と思ったころ。三角の屋根をしたガゼボが突然現れる。
木々に隠れたそれは、まるでツリーハウスを地面に設置したかのようで。
コルク色の柱にレンガ色の屋根。落ち着いた雰囲気をしていた。
庭の設計もよく考えてあるのだな。休みたいと思う頃に、休憩場所を設置してあるというわけか。
「少し、休憩なさいますか」
頷く彼女を椅子へとエスコートする。
ガゼボには、すでにポットの載ったワゴンが置いてあった。
後ろからついてきていた侍女がまた。お茶を淹れた。
撫子様はカップを持ち上げ、香りを楽しむように目を閉じた。
ひとつひとつの所作まで美しい。
まるで音楽に合わせているかのように、彼女はお茶を口へ運ぶ。
でも、その動作はいきなりぴたりと止まった。
「そんなに見られていてはお茶が飲めませんわ」
感情のない声。
「すみません」
完全に無意識だった僕は慌てて謝る。横を向く。
顔が赤くなっていないといいけれど。
遠くに見えるのは木々。公爵家には森まであるのか。
はぁ。本当に素晴らしいお邸だ。
「あの森には、どんな植物が?」
話の接ぎ穂に、と聞いた僕に。撫子様は不機嫌になった。
それは、ほとんどわからない変化だったけど。それでも、珊瑚に鍛えられた僕にはわかった。
「行ったことがありませんの・・・危ないからって」
最後の言葉は余計だ。おそらくは公爵閣下への不満が漏れた。
くすっと笑ってしまう。
心配している閣下が浮かんだ。
「あ。
失礼を申し上げました」
撫子様はいいえ。とやはり無機質に答えただけだった。
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