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殿下の手が差し出されるのと、ほぼ同じタイミングで。
婚約者は一歩下がる。私の手から離れてしまう。
皇子殿下のお誘いを断れるわけがないけれど。
婚約者なんだもの。少しくらい、困ったような演技をするのがマナーじゃないの?嬉々として譲ったように見えるわ。いえ、嬉々として譲ったんでしょうけど。
すっと一礼する婚約者から離れて。私は殿下と踊り始める。
殿下と踊るのはずいぶん久しぶり。10歳の頃が最後じゃないかしら。すごくお上手なのに。以前と比べてなんだか踊りにくいのは、身長差のせい?
この数年で、すごく高くなられたのね。見上げると、切れ長の美しい瞳。すっと高い鼻。桜色の唇は口角が上がってて。
ほんの少し、陽に焼けられた?そういえば、先月。視察に国中を巡られたと聞いたわ。
第1皇子殿下、紫蘭様。皇太子となられるのも、もうすぐ。
「次はお父様と踊る約束してたんですよ」
小さな声で文句を言う。
ふたつ年上の殿下のことは、幼いころから知っている。
皇宮にもよく招いてくださっていた。私に婚約者が決まってからは無くなったけど。
有難いことに、私を妹のように思ってくださっている。
「あー。公爵に叱られてしまうな。撫子からも謝っておいてよ。
撫子とずっと踊りたかったんだ、許して。って。
本当は、撫子のファーストダンスを私が欲しかったんだよ?
ちゃんと我慢した私はすごく偉いだろう?」
まぁ。変なことを仰るのね「婚約者がいる女性は、ファーストダンスは婚約者と踊るものですわ」
「そう。一応は彼が婚約者だからね。
顔を立ててやったのさ。
でも。
さっと私に撫子を譲るところはいいね。ちゃんと弁えている男だ」
にこにこと仰る殿下には、まだ婚約者がいらっしゃらない。
つまり殿下にとっては、今夜の最初のダンス相手は私。
周りのご令嬢からの視線を感じる。ちくちくするから、いい感情じゃないわよね。
でも。
仕方ないじゃない。この場で一番身分が上なのは私なんだもの。殿下には、私に声をかける選択肢しか無かった。どうしてそれをわかってくれないのかしら。
「一応ではありません。彼は正式な婚約者です」
我が公爵家は、数代おきに皇家と縁を結んできた。
我が家に皇女さまが降嫁されたのは4代前のこと。
そろそろまた。我が家から妃が出るか、皇族のご降嫁があるかと思っている人が多かった。
つまり。
私は生まれた瞬間から。
”ふたつ年上の紫苑殿下の妃になるはずだ”
そうみんなに・・・おそらくは国民みなに思われていた。
それで今でも。ご令嬢方から、嫉妬混じりの視線をもらうことが多いのよねぇ。悩ましいわ。
くるりとターン。その間に両親の位置を確認する。曲はもう半分を越したわ。
「では。
今のところは婚約者。と言い換えておくかな。
結婚式まで、10か月の期間が出来た。
婚約者への教育はほぼ済んだと聞いたけど、公爵領の機密事項は彼には教えられていない。
彼との婚約解消はとっても簡単だ。
私のところへおいで、撫子。
もう何年も、私の妃におなり。って言っているでしょ?」
ほぉぅっとため息をつきたくなるような素敵な笑みで、紫蘭殿下は私にそう仰る。
まったく。
小さいころから、いつもこう。
殿下はすぐに私を揶揄われる。
「冗談もいいかげんになさってください。私は嫡女です」
公爵家を継ぐ私が、他家へ嫁ぐことなどしないと知っていて。こんなことばっかり仰るんだから!
小さい頃には・・・とっても素敵な皇子様からのお言葉なんだもの。
喜んだりもしていたけど。
それも、物語のようなお言葉が楽しかっただけだわ。
もういいかげん、揶揄われるのはうんざり。
表情には出さないようにしてるけど。今日からはもう子どもじゃないもの。
「私は公爵家を継ぐんです」
怒っている声で言ってみる。不敬だとお叱りを受けたら、冗談が過ぎるからです!って言い返して差し上げるんだから!
でも。紫蘭殿下はくすくすと。
「ふたり以上子どもをつくれば、問題は解決するよ。
ふたりめを公爵家の後継ぎにすればいい」
艶っぽい声で仰った。
こ、こどもをつくる、だなんて。こんな場所で話すことじゃないわ!
その時。ちょうど、曲が終わったので。
私はさっと殿下から離れる。
「デビュタントにお心遣い、ありがとうございました」
カーテシーをして、しっかりとお礼を言う。
冗談はひどいものだったけれど。初めての夜会で、どきどきしてる私を喜ばせようと踊ってくださったことは、間違いないもの。
他のデビュタントのご令嬢たちが、さっと殿下のそばに寄ってこられる。
順に踊ってくださるはずだと、彼女たちもわかっているのだわ。
こういうお優しいところは尊敬するわ。いくら揶揄われても、殿下を嫌いになれない理由のひとつだわ。
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