撫子 〈15歳と2か月〉

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殿下の手が差し出されるのと、ほぼ同じタイミングで。 婚約者は一歩下がる。私の手から離れてしまう。 皇子殿下のお誘いを断れるわけがないけれど。 婚約者なんだもの。少しくらい、困ったような演技をするのがマナーじゃないの?嬉々として譲ったように見えるわ。いえ、嬉々として譲ったんでしょうけど。 すっと一礼する婚約者から離れて。私は殿下と踊り始める。 殿下と踊るのはずいぶん久しぶり。10歳の頃が最後じゃないかしら。すごくお上手なのに。以前と比べてなんだか踊りにくいのは、身長差のせい? この数年で、すごく高くなられたのね。見上げると、切れ長の美しい瞳。すっと高い鼻。桜色の唇は口角が上がってて。 ほんの少し、陽に焼けられた?そういえば、先月。視察に国中を巡られたと聞いたわ。 第1皇子殿下、紫蘭様。皇太子となられるのも、もうすぐ。 「次はお父様と踊る約束してたんですよ」 小さな声で文句を言う。 ふたつ年上の殿下のことは、幼いころから知っている。 皇宮にもよく招いてくださっていた。私に婚約者が決まってからは無くなったけど。 有難いことに、私を妹のように思ってくださっている。 「あー。公爵に叱られてしまうな。撫子からも謝っておいてよ。 撫子とずっと踊りたかったんだ、許して。って。 本当は、撫子のファーストダンスを私が欲しかったんだよ? ちゃんと我慢した私はすごく偉いだろう?」 まぁ。変なことを仰るのね「婚約者がいる女性は、ファーストダンスは婚約者と踊るものですわ」 「そう。一応は彼が婚約者だからね。 顔を立ててやったのさ。 でも。 さっと私に撫子を譲るところはいいね。ちゃんと弁えている男だ」 にこにこと仰る殿下には、まだ婚約者がいらっしゃらない。 つまり殿下にとっては、今夜の最初のダンス相手は私。 周りのご令嬢からの視線を感じる。ちくちくするから、いい感情じゃないわよね。 でも。 仕方ないじゃない。この場で一番身分が上なのは私なんだもの。殿下には、私に声をかける選択肢しか無かった。どうしてそれをわかってくれないのかしら。 「一応ではありません。彼は正式な婚約者です」 我が公爵家は、数代おきに皇家と縁を結んできた。 我が家に皇女さまが降嫁されたのは4代前のこと。 そろそろまた。我が家から妃が出るか、皇族のご降嫁があるかと思っている人が多かった。 つまり。 私は生まれた瞬間から。 ”ふたつ年上の紫苑殿下の妃になるはずだ” そうみんなに・・・おそらくは国民みなに思われていた。 それで今でも。ご令嬢方から、嫉妬混じりの視線をもらうことが多いのよねぇ。悩ましいわ。 くるりとターン。その間に両親の位置を確認する。曲はもう半分を越したわ。 「では。 は婚約者。と言い換えておくかな。 結婚式まで、10か月の期間が出来た。 婚約者への教育はほぼ済んだと聞いたけど、公爵領の機密事項は彼には教えられていない。 彼との婚約解消はとっても簡単だ。 私のところへおいで、撫子。 もう何年も、私の妃におなり。って言っているでしょ?」 ほぉぅっとため息をつきたくなるような素敵な笑みで、紫蘭殿下は私にそう仰る。 まったく。 小さいころから、いつもこう。 殿下はすぐに私を揶揄われる。 「冗談もいいかげんになさってください。私は嫡女です」 公爵家を継ぐ私が、他家へ嫁ぐことなどしないと知っていて。こんなことばっかり仰るんだから! 小さい頃には・・・とっても素敵な皇子様からのお言葉なんだもの。 喜んだりもしていたけど。 それも、物語のようなお言葉が楽しかっただけだわ。 もういいかげん、揶揄われるのはうんざり。 表情には出さないようにしてるけど。今日からはもう子どもじゃないもの。 「私は公爵家を継ぐんです」 怒っている声で言ってみる。不敬だとお叱りを受けたら、冗談が過ぎるからです!って言い返して差し上げるんだから! でも。紫蘭殿下はくすくすと。 「ふたり以上子どもをつくれば、問題は解決するよ。 ふたりめを公爵家の後継ぎにすればいい」 艶っぽい声で仰った。 こ、こどもをつくる、だなんて。こんな場所で話すことじゃないわ! その時。ちょうど、曲が終わったので。 私はさっと殿下から離れる。 「デビュタントにお心遣い、ありがとうございました」 カーテシーをして、しっかりとお礼を言う。 冗談はひどいものだったけれど。初めての夜会で、どきどきしてる私を喜ばせようと踊ってくださったことは、間違いないもの。 他のデビュタントのご令嬢たちが、さっと殿下のそばに寄ってこられる。 順に踊ってくださるはずだと、彼女たちもわかっているのだわ。 こういうお優しいところは尊敬するわ。いくら揶揄われても、殿下を嫌いになれない理由のひとつだわ。
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