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息をきらせて路地に駆け込むとそこには誰もいなかった。
どこにでもあるような住宅地の間の、どこにでもある普通の路地。田舎だから、街灯は多くはない。都会と違って少しの距離でも車やバイクを使うことに多いここでは、街灯の少なさに文句をつけるような輩はいない。だから、日が暮れると、まるで時が止まったみたいに暗闇がそこかしこから這い出てきて、我が物顔でのさばっている。
「遅かった……」
手に握りしめたものを開いて見つめる。それは鈴だった。どんな謂れがあるのか、なんの石なのかはわからないけれど、青い石のついたキーホルダーだ。
それが、鳴った。
いや、鳴ったのは今日が初めてのことではない。
この鈴は時々触れてもいないというのに鳴る。たとえ、ハンカチで包んてあろうが、水の中に落とそうが、鳴るときには鳴るのだ。
それがどんな意味を持っているのか、鈴は多分知っている。それをくれた人が、人ではない何かと遭遇しているのだと思う。
それを鈴にくれた人は年上の男の子だった。鈴は小学校にあがったばかりの1年生。相手は多分高学年だったと思う。
当時の鈴はクラスでも小さい方で、よく女の子と間違われることがあった。男だと訂正したとき、バツが悪い顔をしてから、大抵される言い訳は『顔立ちが綺麗だから』だ。その言葉がどんなに鈴の小さな自尊心を傷つけているのか、褒めているつもりでいる大人は知らない。そして、同年代の子供はもっと容赦なかった。
切ってはいけないという、祖母の言いつけを無視して自分で髪を切ったり、特に興味もなかったのに戦隊ヒーローや仮面〇イダーに夢中なふりをしたりして、常に男の子であろうとしていたと思う。イジメられたとは言わない。庇ってくれる友達もいた。
けれど、いや、だからこそか。変なものが見えることなんて絶対に誰にも言えなかった。変に思われて、少ない友達までなくすのは嫌だったのだと思う。
そんな生活は小学校1年生にとっては、ひどく窮屈だった。多分、小学1年生としては、自分はおかしかったのだと、今はわかる。本当はずっと独りでもいいから、好きな外国の建物の本を読んでいたかった。工場の配管の行く先をたどってみていたかった。
それをしなかったのは、少し普通とは違う型破りな母ではなく、祖母が心配したからだ。祖母は鈴がほかの人間の輪の中にいるのを窮屈に感じているのをひどく心配していた。
その日はたまたま、祖母の家に遊びに来ていた。鈴の家族は父以外いわゆる見える人で、祖母も例外ではなかった。
それでも、祖母が変な人だと気付いたのは後になってからで、そのころはまだ、気付いてはいなかった。別に嫌いだったわけではない。見た目をからかわれたり、見えることを気持ち悪がられたりしたくらいで、男の子がめそめそするなと豪快に怒る母と違って、見えることはおかしいことじゃないと慰めてくれた。
けれど、見える目は見えないものを守るためにあるのだと言われるのは辛かった。
俗にいう霊みたいなものの殆どは人畜無害ないわゆる一般人みたいなものだ。それでも一定量存在する悪意に満ちたものを知ってしまってからは、こんな目を呪わずにはいられなかった。剥き出しの悪意に晒されるのは小さかった鈴には恐怖でしかなかったし、知らない人を助けるために立ち向かえと言われても納得なんてできない。
強く優しくありなさいと、とても綺麗な言葉を紡ぐ祖母が正しいと分かっているから、必死に耐えたけれど、助けた相手から奇異の目を向けられることすらあることに、鈴は疲れ切っていた。
だから、あの日、家を飛び出した。
と、言っても家からさほど離れていない近所の公園まで行くくらいしか鈴にはできなかった。
けれど、そこで、出会ったのだ。
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