第十一章【同じ光】和樹

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第十一章【同じ光】和樹

 少し悲しくて、そして幸せな夢をみた。  和樹はまだぼんやりとした頭で、時間を確認した。  母とケンカをして家を飛び出し、凪砂に連絡を入れた直後のようである。  長い時間予知夢をみていたように思うが、それはきっと時右衛門の記憶に触れたせいなのだろう。  和樹は夜の公園のベンチで、自分はこれからどうしたらいいのかを考えていた。 ――時間を戻そうとしてはならぬ  和樹の聞いていたそれは、時右衛門の忠告だったらしい。  しかし和樹はそれを受けて、自分が望めばそれが叶うのではないかと、心の片隅で思っていたのだろう。  だからこそ咄嗟にあんな言葉が出たのだろう。  そして事実、時間が戻った。  正確には、たまたま予知夢を見ていたということなのだろう。  和樹が公園のベンチで佇んでいると、凪砂の足音が近づいてきた。 「なに描いてたの?」  和樹の膝にはスケッチブックが開かれたままになっていた。 「あ、えっと。この前の続き」 「もう遅いし、歩きながら話そう。家まで送るよ。家に帰りたくなければ、帰りたくなるまで家の近くで話そう」  凪砂は先ほどと同じく、優しい声でいった。  それから和樹たちは、自転車を押して歩き始めた。 「朔馬くんは、ジュースを買いにいってるの?」  凪砂は「え?」と少し戸惑ったあとで「うん、そうだよ」といった。 「さっき、予知夢を見てたんだ」 「あ、そうだったのか。朔馬は僕と和樹が二人の方がいいだろうって、気を利かせてくれたんだ」  凪砂は合点したようにいった。 「うん。心配かけてごめんなさい」 「そんなことは全然いいよ。それより和樹は、大丈夫?」  自分がどうして夜の公園に飛び出してきたのかを思い出して、和樹の気持ちは下を向いた。 「うん、大丈夫。予知夢の中で凪砂くんに話を聞いてもらって、すっきりしたから」 「そうか。予知夢の俺が役に立ったなら、なによりだな」  凪砂は笑った。  なんの疑いもなく、ただ自分の言葉を受け入れてもらえるのは奇跡みたいなものなのかも知れない。  だからこそ、自分が見ているものを無理に家族に理解してもらう必要はないように思った。それは和樹にとっては悲しいことであったが、自分がスポーツに関心が持てないことと同じなのかも知れなかった。 「予知夢では、お兄ちゃんが僕を迎えに来てくれたんだ。でもその途中で転んで、ケガをしたんだ」 「ひどいケガだったの?」  凪砂は不安げな表情でいった。 「ひどいケガじゃなかったよ。でも僕は、それを絶対に止めたいんだ」  和樹はそういった後で、足を止めて背後に目をやった。  しかし背後には暗闇が広がるばかりだった。 「朔馬くん、いないのかな」 「いると思うよ。朔馬?」  凪砂が声をかけると、朔馬は暗闇から姿を現した。 「二人で話さなくていいの?」  朔馬はそういいながら、和樹と凪砂にジュースを渡してくれた。 「和樹は予知夢をみてたらしいんだ。それで、迎えに来てくれた翔太朗がケガをしたんだって  凪砂がいうと、朔馬も不安げな表情を見せた。 「お兄ちゃんに電話してもいいかな」  凪砂たちは快諾した。  それから和樹は自転車のスタンドを立てて、翔太朗に電話をした。  翔太朗はすぐに電話に出た。おそらく携帯端末でゲームでもしていたのだろう。 「え、なに。電話?」  翔太朗は和樹が家にいないことに、まだ気付いていないようであった。  和樹はできるだけ普通の声を出すように心がけた。 「今、凪砂くんと朔馬くんと一緒にいるんだ。ちょっと外に出てるんだけど、心配しないで」  翔太朗は声を潜めて「わかった」といった。 「お母さんとケンカしたんだろ。そのうち和樹の部屋にいこうと思ってたんだ。大丈夫か?」  和樹は再び母との言い合いを思い出して、悲しくなった。翔太朗の声が優しいことも、なんだか胸が痛かった。 「お母さんは、僕の話を聞きたくないと思ってるんだ。それが悲しかったけど、もういいんだ」  泣くつもりはなかったが、和樹の目からは自然と涙がこぼれた。 「お母さんがそんなことを思うはずないだろ。お母さんは和樹は手が掛からないからって、甘えてるんだよ。それに、仕事で疲れてるんだと思うよ。で、和樹は今どこ? 迎えにいくよ」 「お兄ちゃんは、家の前のコンビニで待ってて。でも、自転車には乗らないで」  和樹は涙を拭きながらいった。 「まあ、そのくらいの距離なら歩くけど」 「お兄ちゃんの自転車は眩しいから、すぐにお母さんが気付いちゃうから」  和樹は呼吸を整えて、はっきりとした声でいった。  翔太朗は「わかった」と了承した。  電話を切った後で、和樹は小さく息を吐いた。 「大丈夫?」  涙を流した和樹を心配してか、凪砂は再び優しい声でいった。 「うん、ありがとう。きっとお兄ちゃんはもう、ケガすることもないと思う」  そして三人は再び自転車を押しながら歩き始めた。  翔太朗がケガをする心配は、もうしなくていいだろう。  しかし時右衛門はこのままだとどうなるのだろう。  時右衛門はおそらく今は、自分の影に宿っている。スケッチブックに宿っていると、理玄がそうしたように引き離されると警戒しているのかも知れない。  このまま何もしなければ、時右衛門は自分の影に宿ったままなのだろうか。  しかし時右衛門は、あの謎の光に包まれる必要がある。そうしなければ時右衛門は、枕返しには出会えない。  あの光は、朔馬が放ったものだろうと和樹は思っていた。しかし朔馬に「あの時と同じことをして欲しい」と伝えたとしても、朔馬は和樹の予知夢の中で自分がなにをしたのかは分からない。  どうすれば時右衛門と枕返しを予知夢通りに出会わせることができるのか。  和樹はそればかりを必死に考えていた。  和樹が猛烈になにかを考えていることを察してか、二人は無言のままだった。  ひたすらに思考を巡らせていると「危ない!」と朔馬の声がした。  その瞬間、和樹の押していた自転車はぽこりと縁石に乗り上げてしまった。それに焦った和樹は、ハンドルを握ったまま自転車とともに転倒した。 「ごめん。声を掛けるのが遅かったな」 「ケガした?」  二人はそんなことをいいながら、和樹をすぐに起こしてくれた。そして自転車も安全な場所へと移動してくれた。  和樹の手にはじんじんと痛みが走っていた。  きっと予知夢の翔太朗も、こんな風に痛い思いをしたのだろう。  そう思った後で、和樹は思い立った。  先ほどと同じ言葉を吐けば同じ状況になるのではないかと、そう思った。 「戻して下さい。時間を戻して下さい!」  凪砂たちは和樹がなにをいっているのか理解できない様子で、ただこちらを見つめていた。 「お願いします! 時間を戻して下さい!」  凪砂たちが呆然としている間に、ゆらりと和樹の影が揺れた。 「時間を戻そうとしてはならぬ」  それは先ほど見た時右衛門の姿だった。  掛け軸にいた侍の姿だった。 「時右衛門! なにをするつもりだ!」 「時間を戻してはならぬ!」  そういった時右衛門の背後からは、もくもくと黒い煙のようなものが立ち上っていた。 「やめろ!」 「私のようになってはいけない。それだけは、絶対に阻止せねばならぬ」  そして時右衛門の手は、和樹の首元へと伸びてきた。  瞬間、光に包まれた。  先ほどと同じ光に包まれた。
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