第四章【がしゃどくろ】凪砂

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第四章【がしゃどくろ】凪砂

 翔太朗と会った日の夕食後、僕はリビングのソファーでうたた寝をしていた。  いつもより速く、長く走ったせいか、いつも以上に疲れていたらしかった。  僕は深い眠りの中にいたらしく、携帯端末の振動音にとんでもなく驚いた。携帯端末が耳元にあったせいもあるが、僕は驚きのあまりソファーから飛び起きた。  座卓で勉強をしていた朔馬と波浪は「どうした?」という顔でこちらをみていた。 「びっくりした」  僕は報告するようにいった。 「怖い夢でもみた?」  波浪はいった。 「ううん、携帯が鳴ったんだ」  僕はそういって、携帯端末の画面を見つめた。 「理玄からだ。二人にも同じ連絡がいってるよ」  二人は携帯端末を適当な場所に放置していたらしく、理玄の連絡には気付いていないようだった。 「予定がなければ、今から狸丸と伊咲(いさき)家付近にいっていい? ちょっと相談に乗ってほしいことがある」  その理玄からの連絡に、僕たちはそれぞれ了承の返信をした。  我が家の近くは少し入り組んでいるので、車が来るとすぐにわかる。そのため理玄に送迎をしてもらう際には、必ず家から少し離れた場所を指定させてもらっている。両親は僕たちが雲岩寺でバイトをしていることは知っているが、掃除のバイトであるとしか伝えていない。そのため夜に出歩いていることは、両親立ちには内緒である。  夜に出歩く必要がある時は、両親に妙に思われないために僕か波浪のどちらかが家に残っている。実際のところ朔馬がいれば解決することが多いので、雲岩寺のバイトについてはいつもそんな感じである。  理玄に返信した約三十分後、もうすぐ到着するので最寄りのコンビニに出てきて欲しいと連絡が来た。おそらく今回も、三人でいく必要はない。しかし今回に限っては近場なので、僕たちは三人でコンビニに向かうことにした。  コンビニの広い駐車場に到着すると僕たちはなんとなく、理玄が来るはずの方向に目を向けた。予感があったわけではない。ただ本当に何気なく、そちらを見つめただけだった。  見慣れた理玄の車を視認したのは、おそらく三人同時だった。そしてその車の上に、巨大な骸骨(がいこつ)が浮遊していることに気付いたのも三人同時だったはずである。 「なに! なにあれ!」  僕は混乱しすぎて、すこし怒っていた。 「がしゃどくろ、かな。久しぶりに見た」  朔馬は冷静にいった。  僕と波浪は「なにそれ」声をそろえた。 「がしゃどくろ。とりあえず、よくないものだよ」  朔馬はそういいながら、ものすごい速さで別のことを思考しているようだった。  それから朔馬は右手の人差し指と中指を立てて、短く何かを詠唱した。そしてがしゃどくろの方に、ふっと息を吐いた。朔馬の指先からは、細いいくつかの光が競うようにして、がしゃどくろの方へと向かっていった。  それらの光ががしゃどくろに到達すると、浮遊していたそれはガラガラと崩れ去り、夜の闇へと消えていった。 「がしゃどくろは、死者の怨念が集まった妖怪だよ。日本は人間が多いから、一度集まり始めるとあんな風に大きくなるのかもね」  朔馬は学びを得たようにいった。  そして朔馬はコンビニの駐車場に入ってきた理玄の車を見つめた。 「理玄がなにか連れてきたのかな」  車から降りてきた理玄は、僕たちが何を見ていたかなど知るよしもない様子で「悪いね。急に呼び出して」と通常通りであった。 「え、なに。なんかあった?」  僕たちが微妙な顔をしていることに、理玄はすぐに気付いたようだった。  しかし僕たちもすぐに、理玄の異変に気がついた。  理玄には、なにか憑いている。  そう感じた。  しかし僕たちが口を開く前に狸丸が車から降りてきて、僕たちと熱烈に再会を喜びあった。理玄は僕たちが落ち着くのを、じりじりと待っている様子だった。 「三人とも、なにかいいかけてなかったか?」  僕たちが一息つくと、理玄はようやく口を開いた。 「たぶん、なにか憑いてると思うよ」  朔馬はいった。 「やっぱりそうか」  理玄には心当たりがあったらしく、驚いた様子はなかった。 「狸丸に、なにか憑いてるっていわれたんだよ。それで、どうにも気になってな」  理玄はお祓いを請け負うことが多いが、妖怪やそういう類をはっきりと見るわけではないらしい。だからこそ理玄は狸丸や、僕たちをバイトとして雇っているわけである。  しかしそれとは無関係に、理玄のお祓いにはしっかりと効果があるので不思議なものである。 「それと、さっきのことなんだけど。理玄の車にがしゃどくろが着いてきてたよ」  朔馬は腕に抱いた狸丸を、撫でながらいった。 「がしゃどくろ? がしゃどくろってあれか、でっかい骸骨(がいこつ)だったか」 「そう。死者の怨念が集まった妖怪。理玄に憑いてるものの影響で、引き寄せられた感じかな。理玄に憑いてるものは、人間由来のものだろうね」 「なにが憑いてるかわかる? 一応、読経したり自分でできる対処はしてみたんだが。どうにも効果がないみたいでな。君らに頼ることにしたわけだ」 「お祓いは、他人にしてもらう方が何倍も効果があるらしいからね。そもそも理玄に憑いてるものは、よくないものって感じでもない気がする」  朔馬はいった。 「たしかに嫌な感じはしないね。お祓いをする必要性がない存在ってこと?」  僕はいった。 「そんな気がする。でもとりあえず、正体は知りたいよね。西弥生(にしやよい)神社にいこう。その方が、色々都合がいいから」  西弥生神社は我が家の最寄りの神社であり、僕たちの拠点のような場所にさせてもらっている。 「理玄は憑いてるものに関して、なにか心当たりはあるの?」  朔馬はそういうと、抱いていた狸丸を地面に着地させた。  それから僕たちは西弥生神社に徒歩で移動しながら、理玄の話を聞いた。 ◇  理玄の話を聞いた後で、僕たちは「これは内緒の話なんだけど」と翔太朗から聞いた話を連携した。 「そうか。瀬谷家は君らと同じ学区なのか」 「端と端って感じだけどね」 「しかしばあちゃんがお祓いを検討してたわけか。これは瀬谷夫人に担がれたかね。まあ、お布施もかなり弾んでもらえたし、いいけども」  理玄は守銭奴というわけではないのだろう。しかしそれに近い印象があるのは「お布施を弾んでくれたから」という理由で、とんでもなく寛大になるせいかも知れなかった。  自分になにか憑いているとわかった今でも、金払いがいい人間に対しては「いいけども」と済ませられるのは独特の感覚のように思う。 「しかし長い石段だな。西弥生神社は君らの拠点みたいなもんなんだろ。いつもここを上り下りしてるのか?」  僕たちがうなずくと、理玄は「若さだな」と感心した。 「理玄は普段、運動するの?」  僕はいった。体育の授業さえ存在しない大人たちが、普段どれほど運動しているのか僕にとっては未知であった。 「え? ジムいってる」 「理玄ってそういうとこあるよね」  僕がいうと朔馬も波浪もうなずいた。 「なに、どういうこと?」 「いや、ちゃんとしてるなと思って」 「大人は身銭を切らないと運動しない生き物なんだよ」  石段の小さな踊り場に着くと、理玄は足を止めて海の方を振り返った。  西弥生神社の境内からは、広く海が見える。しかし石段も半分ほど上ってしまえば、いつもより海が見渡せる。 「昼間はさぞいい景色なんだろうけど。夜は夜できれいだな」  理玄はいった。 「君らには今も、ネノシマが見えてるのか?」  僕たちがうなずくと、理玄は「そうなんだな」といって再び石段を上り始めた。  暗い夜の海に、今もぽっかりとネノシマが見える。  ないはずの島がはっきり見える。  理玄にネノシマが見えないことを、僕たちと同じ景色が見えていないことを、僕は改めて悲しく思った。  そう思った後で、自分とまったく同じ景色を見ている人など存在しないのではないかと思い直した。  僕がそんなことを考えている間に、狸丸と波浪は競うようにひょいひょいと石段を上っていった。僕がその後ろ姿を見ている間に、狸丸と波浪は境内に到着した。そしてその姿が僕の視界から消えてまもなく、狸丸と波浪のはしゃいだ声が聞こえた。 「また泥遊びでもしてんのかな」  理玄は石段の先を見つめていった。 「ちょっと様子見てくる」  朔馬はそういって、ひょいひょいと石段を駆けていった。 「この場合、朔馬がいっても一緒に泥遊びするだけだろ」  同感であるが、止める必要もないので僕は放っておくことにした。  僕に関しては石段をひょいひょいと上る体力が残されていなかったので、理玄とゆっくり石段を上った。  境内に着くと、全身泥だらけの二人と一匹がいた。 「見えにくいこと、この上ないんだけど! なにしてるとそうなるわけ?」  理玄はいった。 「遊んでるとこうなっちゃうんだよね」  波浪がいうと、狸丸も朔馬も「うん」とうなずいた。  それから僕たちは賽銭箱に小銭を放って、本殿に手を合わせた。 「場所代も払ったことだし、理玄になにが憑いてるのか確かめようか」  朔馬はそういうと、先ほどと同じく右手の人差し指と中指を立て詠唱を開始した。  そうしている間に理玄の近くに感じていた何かが、姿を現し始めた。  理玄の側には、美しい顔の侍が立っていた。 ◇ 「かっこいいな!」  その姿を見て、僕たち声をそろえた。 「話の流れからして、着物の女の子かと思ったけど。全然違うな」  理玄にも侍の姿は見えているらしかった。おそらく朔馬の術の影響なのだろう。 「とりあえず話を聞いてみようか。話せるといいんだけど」  朔馬は侍に「こんばんは」と声を掛けた。  侍はその言葉を受けてようやく、朔馬の存在に気付いたらしかった。そして侍は、不思議そうに朔馬を見つめた。それから「こんばんは」と、落ち着いた声でいった。 「妖怪の類じゃないみたいだけど、人間だったのかな。自分の名前は思い出せる?」  朔馬は物怖じした様子なく侍にいった。 「名前……」  侍はしばし静止した。 「時右衛門(ときえもん)。我が名は、時右衛門である」 「立派な名前だな。名前以外に思い出せることはある?」  時右衛門はなにかを確認するように、僕たちの顔をじっと見つめた。 「そうだな。私はもっと幼い子どもの側にいたように思うが。どうだっただろうか」 「和樹のことかな。その子の側にいた理由でもあるのか」 「理由は、ある」 「どんな理由があるんだ?」 「懐かしく思ったのだ」 「懐かしい? 時右衛門の姿から察すると、おそらく二百年くらいは前の人間だよな。なにを懐かしく思ったんだ?」  時右衛門は言葉を詰まらせた。 「どうにも、思い出せぬ。しかし懐かしく感じたのだ」 「思い出せないなら仕方ないな。でも時右衛門からは、嫌な気配がしないし、恨みとか、そういうものがあって存在しているわけではなさそうだな。なにか未練でもあったのかな」  朔馬はそういった後で「まあ、がしゃどくろは反応したけど」といった。 「恨み。そういうものは持ち合わせていないように思う。しかし未練といえば、あったようにも思う。しかしそれがなんなのかは、思い出せない」  時右衛門は悲しげな顔でいった。 「未練が思い出せないとは、なかなか妙だな。それなのに存在できるんだな」  朔馬はひとり言のようにいった。  それから朔馬は「たぶん無害だと思うけど、どうする?」と、理玄をみた。 「えっと、なんで俺に憑いてるか聞いて」  理玄はいった。 「どうして時右衛門は、この人に憑いてるんだ?」  時右衛門は理玄を見つめた。 「私は子どもの側にいたが、一時的に引き離されたに過ぎぬ。ここにいる理由はない」 「理玄の邪気払いで、和樹から理玄に移った感じか」 「私はそろそろ、戻らねばならぬ」  時右衛門はなにかを思い出したかのようにいった。  その時から僕の目には、時右衛門の姿がよりはっきりと見えるようになった。 「私は、護らねばならぬ」  時右衛門はそういうと、ふわりと浮遊した。 「あ、待て待て。急に動くと、また変なものに憑かれるぞ」  朔馬はポケットから和紙の人形(ひとがた)を取り出して、時右衛門の方へふわりと投げた。すると時右衛門は、和紙の人形へと吸い込まれていった。 「あ、消えちゃった」  予想外の出来事だったらしく、朔馬はめずらしく少し焦った様子だった。 「時右衛門が浮遊したところまでは見えたんだが、その後どうなったんだ?」  理玄はいった。 「ちょっと引き留めようと思ったんだけど、この人形に入っちゃったみたいだな」  朔馬は地面に落ちた和紙の人形を拾って、砂を払った。 「見えにくいものと波長を合わせる術を使ったんだけど、神社で発動させても効果は一時的なんだ。理玄については、時右衛門が浮遊したタイミングで術の効果が切れたのかな。しかしどうしようかな。このままだと時右衛門は、和樹のところへ戻ることになるのかな」 「ずっとそこに憑いてるわけじゃないの?」  僕は和紙の人形をみていった。 「強い術じゃないから、数時間もすれば自由になるはずだよ。なんか、悪いことしちゃったな」  朔馬は反省するように人形を見つめた。 「俺としては、時右衛門が離れてくれたなら助かったよ。ありがとな」  理玄はいった。 「和樹の元へ戻ったとしても、無害なら問題ないだろ。問題があるなら雲岩寺に依頼が来るか、お兄ちゃんから君らに相談が来るだろ」  理玄はさっぱりとした口調でいった。  それから朔馬は時右衛門の入った和紙の人形を、西弥生神社の本殿へ移した。 「もう一回、お賽銭入れておこう」  朔馬は賽銭箱にお札を放った。  朔馬以外の全員が「え、お札?」という顔をした。 「時右衛門を一晩ほど頼みますってことで」  朔馬が拝殿に手を合わせたので、僕たちも一緒に手を合わせた。 ――時間を戻そうとしてはならぬ  どこからかそんな声がしたので、僕たちは顔を見合わせた。  しかしその声は理玄には聞こえなかったらしく、不思議そうに僕たちを見つめるばかりであった。
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