第六章【娘の方がいい】凪砂

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第六章【娘の方がいい】凪砂

 時右衛門と出会った翌朝、僕たちにはいつも通りの朝が訪れた。  白桜高校進学部に所属している僕と朔馬は、夏休み中でも午前授業がある。そのため僕と朔馬は本日も、電車で学校へと向かっていた。  そして僕はその電車の中で、和樹からの連絡を受け取った。 「時右衛門のこともそうだけど、色々気になるし会ってみよう」  和樹と個人的にやりとりをするのは初めてのことだったし、二人で会うことも初めてだったが、特に迷いはなかった。 「俺もついていこうか?」  朔馬はいった。 「いいの? それはだいぶ助かるというか、心強い」  僕は妖怪の類が見えるだけで、それだけで、なにもできない。 「でもどうしようかな。和樹の立場になると、最初は一対一の方が話しやすいかな。知らない年上の人って、怖いよね」 「怖いかもね」 「でも和樹と話してみて、朔馬も呼んで大丈夫そうなら来てもらおうかな。もしくは、和樹からすごく変な感じがしたら来てもらうかな」 「わかった」 「でもそれって、結局朔馬に来てもらうってことになるのか」 「公園の近くで待機してようか?」  僕の自問自答を無視して朔馬はいった。 「公園ならうちから自転車で十分もかからないから、来て欲しくなったら連絡するよ」  僕は公園の場所を朔馬に送信した。 「妖怪関連になると朔馬に頼りきりで申し訳ないな。僕一人でも、できることがあればいいんだけど」 「凪砂はそのままでいいよ。できる人が、できることをやればいいんだ」  朔馬はきっぱりといった。  必要とされていないとは思っていないが、なんの力にもなれていない僕を「そのままでいい」と言い切られてしまうのは、それなりにさみしいものがある。  朔馬は僕に率先してなにかを教えたり、強制させたりするようなことは一切ない。だからこそ僕は積極的に朔馬の力になりたいと思ってしまうし、そういう事象に関わろうとしているのかも知れない。  しかしそれは朔馬にとっては、不本意なことなのだろうとも思っている。朔馬はおそらく、ネノシマなどに関する面倒事については僕を関わらせたくないと思っている。朔馬はそう思う中でも、僕の意思を(ないがし)ろにすることは決してない。だから僕はゆるやかにそれに関わっている。そんな自覚はある。  朔馬を困らせたい気持ちは毛頭ないが、僕は僕のできる範囲で誰かの役に立ちたいと思っている。それは変えようのない事実だった。 ◆  午前授業が終わると、僕と朔馬は一番暑い時間に帰宅する。 「ただいま」  僕たちがリビングのドアを開けると、波浪が座卓で勉強をしたまま「おかえり」といった。  そしてその横には、時右衛門がいた。 「待って、なに。時右衛門いるよね!」  僕は少し大きな声でいった。 「午前中、西弥生神社にいったんだけど。なんか、着いてきた」  波浪は白桜高校の女子部に所属しており、女子部に関しては夏休み期間中は授業もなにもない。つまりは正真正銘の夏休みである。 「そうだったんだ。建辰坊(けんしんぼう)は、なにかいってた?」  朔馬は波浪にいった。  建辰坊とは西弥生神社の神様である。建辰坊は神社に居たり居なかったりするが、午前中はいることが多いようである。 「時右衛門に関しては無害だろうって。それと境内をきれいにしてくれたから、ありがたいって」 「そんなこともできるのか」  朔馬は時右衛門を見た。 「掃除くらいなら、できぬこともない」  時右衛門はいった。 「あと朔馬が賽銭を弾んでくれて、うれしいっていってた」  地獄の沙汰も金次第である。 「許可を得ずに時右衛門を預けちゃったけど、喜んでくれたならよかった。でもそうか。時右衛門は建辰坊から見ても無害なのか。この家には簡易な結界が張ってあるんだけど、この中に入れるわけだもんな」  朔馬はいった。 「私が庭掃除をしてたら、手伝ってくれたよ。なんか、いい人な気がする」 「え、ありがたいな。ありがとう」  僕がいうと、朔馬も「ありがとう」と続いた。  庭掃除は僕たちの当番制の家事の一つである。時右衛門がどんな風に庭掃除をしたのかは、何一つ想像できなかったが僕たちは素直に感謝を述べた。 「掃除くらいなら、できぬこともない」  時右衛門は先ほどと同じ言葉をいった。 「労いの意味も込めて、お茶と茶請けを出してみました。手はつけられないみたいだけど」  時右衛門の側には、お茶とせんべいが置かれていた。 「かたじけない」  時右衛門が頭を下げると、波浪も「いえいえ」と返した。  それなりに仲良くなっているようである。 「タイムリープのことも建辰坊に聞いてみたんだけど。わからないっていわれた」  波浪はいった。 「そういえば昨日、神社から帰る時に、時間を戻そうとしてはならぬって聞こえたよね。あれは、時右衛門の声だろ?」  朔馬はいった。 「その通りだ。時間を戻そうとしてはならぬ」  時右衛門はいった。 「それが時右衛門の未練なのか?」  時右衛門はしばし沈黙した。 「わからない。でも時間を戻すことは、阻止せねばならない」  肝心なことになると、どうにも会話がぼやけてしまうようだった。 「時右衛門は、昨日よりも見えやすいよね。昨日は神社にいって、朔馬がなにかしてくれて、ようやく時右衛門が見えた感じだったけど」  僕はいった。 「そうだね。昨日はかなり存在が不安定だったからね。でもこうして会話をしてるうちに安定してきたのかな。久しぶりに会話をしたんじゃない?」  朔馬はいった。 「そうだな。そんな気がする」  時右衛門はいった。 「それはそれとして時右衛門は今、ハロに憑いてる状態だよね。なんかそわそわするから、俺に憑いてくれないか」  時右衛門は「いや」と首を振った。 「やっぱり俺には憑きにくいか」 「いや、そうではない。私は単純に、娘に憑いていたい」  僕と朔馬は「なんでだよ」と、声をそろえた。 「憑くなら娘がいい」  時右衛門はきっぱりいった。 「そんなかっこいい顔でいわれても、いってることは結構ぎりぎりだぞ」  僕はいった。 「困ってないし、今はこのままでいいよ」  波浪がいうと、時右衛門は「かたじけない」と頭を下げた。  僕たちは釈然としなかったが、それを受け入れることにした。  それから僕たちはお昼を食べて、いつも通りにそれぞれの午後を過ごした。  午後五時を前にして、僕は家を出る準備を開始した。  波浪はリビングのソファーで眠っており、時右衛門はその側の掃き出し窓から我が家の庭を見つめていた。その横顔からは、何も読み取れるでもなかった。  朔馬の姿は見当たらなかったので、おそらく自室にいるのだろう。我が家の一階にある西の間といわれる和室は、現在は朔馬の自室である。  朔馬に一声掛けて家を出ようか迷ったが、眠っていたり、勉強に集中している可能性があるのでやめておいた。いずれ公園に来てもらうことになるにせよ、今は無理に声をかけなくてもいいだろうと思ったのだった。  同じ家に暮らしていても、僕たち何を考えて、どんな風に過ごしているのかなんて当然のようにわからない。 ◆  公園に到着すると、すでに和樹の姿があった。 「こんにちは」  僕が声を掛けると、和樹はスケッチブックを閉じて挨拶を返してくれた。 「ごめん。ちょっと待たせた」  僕はそういって、先日翔太朗にもらったアイスと同じものを和樹に差し出した。 「ありがとう」  和樹からは、特に妙な気配は感じられなかった。  理玄がなにかを感じたならば、それはおそらく時右衛門として断定していいのだろう。もしくは僕には感じられないなにかなのだろうか。  僕たちは他者がどんな風に世界が見ているのはなんて、少しも分からない。それはきっと見鬼であるとか、そうでないとかは無関係なのだろう。  和樹と会話をしてみても、タイムリープや着物の子、そして時右衛門の何がわかるでもなかった。そのため僕は早々に、朔馬に頼ることにした。  朔馬が来るのを待つ間、僕は和樹のスケッチブックを見せてもらうことにした。  和樹のスケッチブックには、実に様々なものが描かれていた。 「うまいな」  僕が感嘆を吐くと、和樹は照れたように微笑んだ。 「これ、海中のステージで出てくる武器だよね。かっこいいよね」 「うん、そう」  和樹のスケッチブックには一ページに一つの絵が描かれていることもあれば、いくつもの絵が描かれていることもあった。  そうして和樹のスケッチブックを見ているうちに、見過ごせないものが描かれていた。  僕は即座に顔を上げて、和樹を見つめた。 「あのさ、これって」  僕がスケッチブックを見ている間、和樹も同じくスケッチブックを見ていると思い込んでいた。  しかし和樹は僕の横で、ぼんやりと虚空を見つめていた。 「和樹?」  僕が呼びかけると、和樹はゆっくりと僕の方を向いた。しばらくすると現実と焦点があったように、和樹は通常の顔つきに戻っていった。 「今、タイムリープしてた」  和樹は静かにいった。 「今?」  僕は驚いていたが、そんなことしか口から出なかった。 「凪砂くんの友だちって、かわいい感じの人だよね。女の子みたいな。名前は、朔馬くん?」 「うん。そうだよ。朔馬が来るよ」  僕は少し動揺したまま、和樹にいった。 「朔馬くんは五時半ぴったりに、ここに来るよ。白いTシャツと黒いズボンだった。そして僕の様子を見て、何も変なことはないって、いってくれた」  和樹のタイムリープを否定したいわけではないが、朔馬の名前や容姿については翔太朗に聞いていても不思議ではないように思った。  しかし朔馬の到着時刻と服装を言い当てた場合、僕はなにを思えばいいのか分からなかった。そもそも僕は心のどこかで、和樹のタイムリープはなにかの勘違いではないかと思っていたことに気付かされた。それは和樹を疑っていることと同義に思えて、なんだか居心地が悪かった。 「タイムリープするって、どんな感覚なの? 嫌な感覚だったりする?」 「嫌な感覚はないよ。僕は自分がいつタイムリープするのかわからないから、時間が巻き戻って、やっとそれに気付くんだ。二回目が起こる時は、テレビを見てるような感覚かな。同じことが起こるし、僕も一回目と同じ行動しか取れないんだ」  二回目が起こる。  それは初耳であった。 「和樹はタイムリープを、二回くり返してるの?」 「うん、二回の時もあるよ。いつも二回じゃないけどね。さっきは一回だった」  和樹は当たり前のことのようにいった。  だからこそ、和樹は真実を話しているように思われた。 「俺なら混乱しそうだけど、落ち着いてるんだな」 「うん、慣れた」  和樹には何が起きているのか。  考えても答えがでないことを思考する中で、僕はスケッチブックについて聞きたいことがあったことを思い出した。 「あのさ。この絵なんだけど……」  僕がいい終える前に、和樹は何かに気付いたように僕の後方に視線を向けた。  そこには、白いTシャツと黒いズボンを着た朔馬の姿があった。時計を確認すると、ちょうど五時半であった。  僕は和樹のスケッチブックを持ったまま、しばし呆然とした。  朔馬が到着すると、僕は二人を互いに紹介した。  そして和樹がタイムリープをして、朔馬の到着時刻と服装を言い当てたのだと説明した。  気持ちが焦っていたので、うまく説明できたとは思えないが朔馬は「なにが起きてるんだろうね」と関心したようにいった。 「あと、この絵のなんだけど」  僕はそういって、二人にスケッチブックのあるページを見せた。 「これ、時右衛門じゃないかな」  和樹のスケッチブックには、時右衛門と思われる人物が描かれていた。
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