第七章【海底を這う】和樹

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第七章【海底を這う】和樹

「これ、時右衛門じゃないかな」  凪砂はいった。  その絵は、少し前に和樹が描いたものだった。 「本当だ。時右衛門に見えるね」  朔馬はいった。 「時右衛門って?」  和樹が聞くと、二人が現在関わっている妖怪ともなんともいえぬ存在に似ているのだと教えてくれた。二人がどんな日常を送っているのかは分からないが、和樹が思う以上によくわからないものと関わっているらしい。 「この絵はどこで描いたの?」  凪砂はいった。 「これは、おばあちゃんたちの家にある掛け軸だよ。おじいちゃんは骨董品を集めるのが趣味なんだ。その掛け軸も、骨董品の一つだと思う」 「骨董品か」  朔馬はなにかを思考しながら、その絵を見つめた。  その後で、和樹をじっと見つめた。 「和樹からは、なにも変な感じはしないね」  朔馬は先ほどのタイムリープで見た未来と、似たようなことをいってくれた。  そして和樹のタイムリープは、この辺で巻き戻った。 「家だろうね。タイムリープのことはわからないけど、毎晩現れる着物の女の子に関しては、家のどこかに憑いてるんだと思う」  朔馬はいった。 「この掛け軸も気になるし、和樹の家にいってみようか。あ、でも。和樹はどうしたい?」  凪砂はそういって和樹を見た。  自分はこの現象をどうしたいのか。  それは初めて問われたように思った。だから和樹は初めて、それを考えた。 「原因がわかるなら、知りたい」  タイムリープや、毎夜訪れる着物の女の子に困っていたわけではない。しかし、ただ純粋に知りたいと思った。 「今日はもう夕飯時だし、都合がよければ明日の午後にでもお邪魔してみようか」  凪砂はそういった後で「いや、ダメか」といった。 「僕たちが和樹と遊ぶのって、変に思われるよね。翔太朗はたぶん明日も部活だろうし」 「お兄ちゃんはたぶん部活だけど、昼間はおばあちゃんしかいないから大丈夫だと思う。それにお兄ちゃんがいなくても、お兄ちゃんの友だちはたまにうちに来るよ」 「え、そうなの」 「漫画借りに来たりしてるよ。たぶんお兄ちゃんはその約束を忘れて、遊びにいったりしちゃうんだ。だからお母さんが、お兄ちゃんの漫画を渡したりしてた」  翔太朗は野球や部活に関してはしっかりしているが、それ以外については抜けている部分も多い。 「そういうのはありそうだな。じゃあ、俺たちもそういう感じでお邪魔しようか。明日のことは、翔太朗に伝えておくよ」  それから凪砂たちは明日の午後三時に、瀬谷家に来ることが決定した。  明日の予定が決まると、凪砂と朔馬は和樹を家の近くのコンビニまで送ってくれた。  和樹はどこか満たされた気持ちで、二人に手を振った。  自分が見ているものを自然に受け入れてくれることが、こんなにもうれしいことだとは思わなかった。  そして同時に、自分は心のどこかで寂しかったのかも知れないと思った。  誰も、自分と同じものを見ていない。だからそれを理解してくれることもない。  それがどれほど和樹を孤独にさせていたのか、今になって思い知る。  両親は野球やスポーツが好きで、翔太朗も同様である。だから自分以外の家族が、それらの会話を楽しむのは自然なことだと思っていた。  興味が持てないのだからどうしようもないこと思いつつも、やはりどこか羨ましい気持ちは存在する。  たくさんのスケッチブックや絵の具を買ってくれても、心の端に寂しさが降り積もる。そしてその寂しさを埋めるように、和樹はまた絵を描くのかも知れなかった。  そしてその日もまた、和樹が眠りに落ちる直前に着物の子どもが現れた。  この子が自分以外にも見えるなら、和樹はきっとそれだけで満足できると思った。  しかしたったそれだけのことさえも、自分は家族と共有できないでいる。 「あそぼ」  その子の声に答えることができないまま、和樹は本日も眠りへと落ちていった。  そして今夜もまた、夢をみた。  昨日と同じ、夢をみた。 ◆  翌日、凪砂と朔馬は時間通りに瀬谷家へとやって来た。 「昨日、時右衛門に和樹のスケッチブックのことを聞いてみようと思ったんだけど。寝てたんだよね」  凪砂は特別なことでもなんでもないことのようにいった。 「え、寝るの?」  和樹は思わず聞いた。 「うん、正座したまま天井近くで眠ってた。起こすのも可哀想だし、起こす方法もわからないし、なにも聞けなかったんだ。さっきも、まだ寝てたよね」  凪砂は確認するように朔馬にいった。 「うん、寝てたね。掃除もしてくれたみたいだし、疲れてるのかもね」 「掃除もするの?」  和樹は再び聞いた。 「うん、どうやってるのかはわからないけど。してくれたみたいだよ。話は変わるけど、翔太朗の家の中に入るのは初めてだな。家同士、繋がってるんだね。知らなかった」  瀬谷家は一見すると、同じ敷地内にそれぞれの家が建っているだけに見えるらしい。 「うん、よくいわれる」  和樹が二人にスリッパを出すと、凪砂は「あ、これ、お土産です」と和樹にお土産を渡した。 「え。あ、ありがとう」  和樹はそれを受け取ったが、どうすればいいのか分からなかった。そのため「ちょっと待ってて」と、リビングのテーブルにそれを置いて再び二人がいる玄関へと戻った。  それから和樹は、二人を自分の部屋へと案内した。 「俺たちが今日ここに来るのって、両親は知ってるの?」  凪砂は階段を上りながらいった。 「僕はいってないけど、お兄ちゃんはいったかも知れない」 「そうなんだ。翔太朗は練習が終わったらすぐ帰るっていってたけど、いつも何時頃に練習終わるの?」 「いつも六時過ぎだよ」 「なんだよ、全然間に合わないじゃん。俺、ちゃんと三時っていったんだけど」  凪砂がいうと、和樹も朔馬も短く笑った。 「でもそうだよな。この前会った時も、六時過ぎてたもんな」  凪砂は呆れたようにいった。 「ここが、僕の部屋だよ」  和樹が自室を開けると、凪砂も朔馬も途端に静かになった。 「なにか、いる?」  和樹は聞いた。 「俺はなにも感じないけど、どう?」  凪砂は朔馬を見つめた。よほど朔馬に信頼を置いているのだろう。 「俺も、なにも感じないかな」  朔馬はそういうとポケットから和紙の人形(ひとがた)を取り出した。朔馬はその人形に指で何かを書き、それに短く話しかけた。朔馬がその人形をひらりと床に落とすと、それは「よっこらせ」という感じで立ち上がった。 「え」  和樹は声にならない声が漏れた。  自分が体験しているタイムリープよりも、目の前の事象の方がよほど妙なことのように感じられた。 「なにかいそうだね」  朔馬はいった。 「えっと、なんだっけ。これは、近くの人外を感知してくれるんだっけ」  驚いている和樹に説明するように、凪砂はいった。 「そう。長くは動けないけどね」  立ち上がった和紙の人形は、きょろきょろと部屋の中を見渡した。その後で、ゆっくりと和樹の部屋を歩き始めた。  そして和樹のベッドに上がったかと思うと「なんか、ここじゃない?」という感じで、枕を指した。 「枕か」  朔馬が人形に確認すると「そんな感じ」という様子で、人形はうなずいた。そして人形は、役目を終えたとばかりに脱力し、ひらりと床へと落ちた。 「枕になにかあったのかな」  凪砂は床に落ちた和紙の人形を拾って、朔馬に渡した。朔馬は「ありがとう」と、それを受け取った。 「そうだね。だいたいのことはわかったよ」 「え」  朔馬があっさりと予想外のことをいったので、和樹も凪砂も声をそろえた。  直後、海底を這うようなインターホンの音が響いた。 「和樹ー? 誰か来たの?」  祖母の声だった。 ◇ 「あらあら、お土産までいただいたのね。ありがとうございます」  凪砂と朔馬が祖母に愛想よく挨拶をすると、祖母はいった。 「伊咲さんってことは、伊咲屋のご親族かしら? たしか双子の」 「あ、そうです。双子の弟の方です」  凪砂がいうと、祖母は「そうなのね」と微笑んだ。  伊咲屋はこの辺では有名な老舗旅館であるが、それを差し引いても祖母は本当にこの辺のことはなんでも知っている。 「うちでよければ、スイカでも切りますので、いらして下さい」  祖母も二人に愛想よくいった。 「あのさ。二人に奥の座敷、見せてもいい?」  和樹は祖母にいった。 「和樹のスケッチブックに描かれてた骨董品がかっこいいんで、実物をみたいなって話をしてたんです」  凪砂は和樹を援護するようにいった。 「あら、そうなんですね。どうぞ、どうぞ。好きに見て下さい」  祖母はスイカを切ってくれた後で「庭にいるから、なにかあれば声かけてね」と再び外へいった。 「玄関に飾ってあった絵って、和樹の描いた絵?」  凪砂はスイカを食べながらいった。 「うん、学校で描いた絵。おばあちゃんは、僕の絵を好きだっていってくれるんだ。だからおばあちゃんには、描いた絵は全部見せてる」 「へぇ。うれしいね、そういうの」  和樹は素直に「うん」といった。 「えっと、なんだっけ。なにか重要なことがわかったんだよね」  凪砂はそういって、朔馬を見た。 「うん、だいたいのことはわかったよ」  朔馬もスイカを口にしながらいった。 「そうなの? すごいな」  凪砂はいった。  声には出さなかったが、和樹も同じ気持ちであった。 「枕返しだと思う」  枕返し。  聞いたことがあるような単語であるが、あまりピンとくるものではなかった。 「和樹の枕には、枕返しが憑いてるんだと思う」 「枕の位置を変えたり、寝違えさせる妖怪だっけ。いや、変な夢を見せるとか、そんなんだっけ」  凪砂はいった。 「色んな種類がいるけど、今回は夢に干渉する枕返しかな。和樹は最近、同じ夢をみてるんじゃない?」  思いがけぬ質問だったが、その通りだった。 「うん、見てる。最近、ずっと同じ夢をみてる」  タイムリープや着物の子に気を取られていたが、同じ夢をみることもそれらと同じくらい異常なことなのかも知れなかった。  朔馬は和樹の回答に納得するように「そうだよね」といった。 「和樹のタイムリープの正体は、強烈な予知夢だと思う」  朔馬はきっぱりといった。 「え、でも。昨日も? 朔馬の格好を当てたりしたのも、予知夢なのか?」  凪砂はいった。  和樹自身も自分が予知夢を見ていた感覚はないので、まだ状況が飲み込めなかった。 「これは仮説だけど、和樹はほんの一瞬眠ってたんじゃないかな。もしくは起きている間に、予知夢を見ることもあったんじゃないかな」  朔馬は和樹を見つめた。 「凪砂は、一瞬で数年分の誰かの記憶を見たりすることがあっただろ。あの感覚に近いかな」  和樹にはわからなかったが、凪砂は心当たりがあるのか「あるね」といった。 「プールの後の授業でうとうとすると、そういう感覚にならない? だいぶ眠った気がするけど、五分も時間が経ってないとか」  凪砂は和樹にもわかりやすいように説明してくれた。 「ちょっとわかる」  和樹はいった。 「枕返しは座敷わらしの一種ともいわれていて、見た目は子どもの姿のことが多いんだ。だから着物の女の子とタイムリープに関しては、枕返しってことで説明がつくかな。でも、枕返しが和樹の元を去る日も近いと思う。予知夢を見るのはその兆候とされてるから」  自分が体験していたのはタイムリープではなく予知夢だった。  その事実を静かに飲み込むと、腑に落ちることもあるように思えた。 「でも和樹が予知夢を見てた時、俺はなにも感じなかったよ。枕返しは、もういないってこと?」  凪砂はいった。 「予知夢に関しては枕返しの影響だけど、直接は関与してないせいじゃないかな。予知夢を見るのは完全に和樹のタイミングで、枕返しは干渉してないと思う」 「なるほど。そういうことか」 「枕返しが和樹のところに来ないようにすることも可能ではあるけど、どうしようか?」  朔馬はいった。 ――あそぼ  眠る前に現れる着物の子は、いつも同じ言葉を吐く。 「うちに来なくなったら、あの子はどうなるの?」 「また別の場所にいくだけだよ」 「あの、質問してもいいかな」  和樹はいった。 「うん、答えられるかはわからないけど」 「どうして枕返しは、僕の枕に憑いたんだろう」 「深い理由はないと思う。妖怪って、本当に適当な人に憑くんだ。だからたまたま波長があったとか、そんな感じだと思う。和樹にも、枕返しにも、なんの因果もないはずだよ」  つまりあの子が来なくなったなら、もう会うすべはないのだろう。  それは少しほっとするような、すごく残念なような、色んな気持ちが和樹の中に入り混じった。  だからこそ、いずれどこかへいくあの子を、どうするべきなのか和樹は決めかねていた。 「別に、今すぐに答えを出さなくてもいいんだよね」  そんな和樹の思考を見抜いたかのように、凪砂はいった。 「うん、いつでもいいよ」 「今はとりあえず、時右衛門の掛け軸を見にいってみようよ」  スイカを食べ終えた三人は、奥の座敷へと向かった。  そこには祖父の収集した骨董品が、無秩序に並べられている。  翔太朗は幼い頃、この部屋が怖いといって近づかなかったらしい。しかし和樹は昔からこの部屋が好きだった。  奥の座敷に踏み入れた二人は、一つの掛け軸に釘付けになった。  それは二人が時右衛門と呼んだ掛け軸だった。  掛け軸には青い着物を着た二本差しの男が描かれている。その男はこちらに背を向けており、なにかを探すようにじっと遠くを見つめている。  その横顔も、立ち姿も、とても美しいと和樹は思っていた。だから和樹は、この掛け軸を何度も描いたことがあった。 「やっぱり、時右衛門だ」  凪砂は、いつもより低い声でいった。
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