第九章【浮かぶ顔】凪砂

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第九章【浮かぶ顔】凪砂

 和樹からの電話を受けて、僕と朔馬は公園へと向かっていた。  電話をかけてきた和樹は泣いてはいなかったが、ひどく気落ちした様子だった。  和樹の電話を受けてすぐに、彼が外にいることは感じられた。  さらには波浪の発言が頭に残っていたので、和樹は公園にいるのかも知れないと思っていたせいもあるだろう。 「ハロは予知夢を見たのかな」  僕は自転車を漕ぎながら、朔馬にいった。 「そうだね。そうだとすれば、時右衛門の影響かな」  朔馬はいった。 「考えるべきことは色々ある気がするけど、今は和樹の安全第一だよね」 「うん、安全第一」  朔馬は僕の言葉を反芻した。  和樹は母に「あまり変なことを、人にいってはならない」と注意を受けて、ひどく傷ついたらしかった。  和樹はしばらく部屋にこもっていたが腹の虫がおさまらず、家を抜け出して公園に来てしまったのだと僕に説明した。  僕と朔馬がすぐにそちらに向かうと伝えると、和樹は「わかった」と電話を切った。  本来なら和樹と合流するまで、通話をしていた方がよかったのかも知れない。しかし和樹の携帯の充電が切れることと、和樹の不在に気付いた家族が和樹と連絡がとれない状況は避けるべきだと思った。  翔太朗にだけは連絡を入れようかと迷ったが、和樹はそれを望んでいないような気がしたのでやめておいた。何が最善なのかはわからないが、僕はできるだけ和樹が静かに家に帰れる方法を選んであげたかった。  僕たちは夜に外出することはめずらしくはない。しかし夜に一人で外出することはほとんどない。よほどの事情がない限り、夜に一人では出歩かない。  そう思うと、和樹はよほど腹に据えかねたものがあったのだろう。  和樹は僕たちの前ではけろりとした様子だったが、もっと彼の気持ちに寄り添ってあげるべきだったのかも知れない。そんな後悔みたいなものが僕の胸に広がっていった。  僕と朔馬はほとんど会話をしないままで、公園に到着した。 「きっと凪砂一人の方がいいよね。俺はコンビニでジュースかなにか買ってくるよ」 「でも和樹には、二人でいくとはいったよ」 「そうだとしても、最初は一対一の方が落ち着くと思う。泣いてる顔って、あんまり見られたくないだろうし」  少し迷ったが、僕は朔馬の言葉に甘えることにした。 「和樹と合流したら、とりあえず瀬谷家に向かいながら話を聞こうと思ってるんだ。公園から瀬谷家にいく道順、覚えてる?」 「うん、大丈夫。そのうち追いつくか、こっそり後ろにいるよ」  朔馬はそういってコンビニの方へと向かった。  朔馬が去って一人になった途端、夜の気配が濃くなった。 ◇  人の消えた夜の公園は、ひどく静かだった。  和樹は先日と同じベンチで、スケッチブックを開いていた。しかし先日とは違い、僕が近づくとすぐに顔を上げた。  その幼い表情に、僕は自分の面影をみた。家出のようなことをした経験は、僕にも身に覚えがある。 「なに描いてたの?」  僕がいうと和樹はどこか恥ずかしそうに「この前の続きだよ」といった。 「もう遅いし、歩きながら話そう。家まで送るよ。家に帰りたくなければ、帰りたくなるまで、家の近くで話そう」  断られることも覚悟していたが、和樹は「うん」と素直に立ち上がった。  そして僕たちはチキチキと鳴る自転車を押しながら、夜の道を歩いた。 「お母さんに何かいわれたのって、きっと俺たちが瀬谷家にいったせいだよね。ごめん」  和樹は首を振った。 「凪砂くんは悪くないよ」  それから和樹は、母とのやりとりを僕に話してくれた。 ◇  和樹が翔太朗の友だちと、仲良く縁側で絵を描いて遊んでいた。  そんな話を祖母から聞いた母は、和樹に「その人たちには、変なこといってない?」と聞いたらしかった。 「変なことって?」  楽しい気分に水を差されたように思った和樹は、その言葉にすでに小さな苛立ちを覚えたらしかった。 「だから、変なことよ」  母は言葉の選択を間違えたと感じたのか、少し動揺した様子だったらしい。  しかし母も自分の言葉が止められなかったのだろう。 「前にもいったけど、あんまり変なことを他の人にいったらダメよ」  和樹にそう続けたらしかった。 「僕は着物の子の話は、お母さんにしかいってないよ。それなのに、おばあちゃんも、お兄ちゃんも、それを知ってたんだ。お母さんが二人にいったんでしょ!」  和樹は今まで我慢していた言葉を、母にぶつけた。  母は和樹に反論されると思っていなかったらしく狼狽した。 「おばあちゃんや、お兄ちゃんはいいでしょ。家族なんだから」 「でもおばあちゃんは理玄さんに相談したし、お兄ちゃんは凪砂くんたちに相談したんだよ。どうして僕だけ、誰にもいったらダメなの」  それらの事実を知っていたのか、知らなかったのかはわからないが、和樹の母はますます狼狽した。 「二人にも、誰にも言わないようにって、いっておくわ」  母は明らかに会話を切り上げたい様子だった。 「僕は、他の人にはいってない!」 「わかったわ」  母は自分が折れたような口ぶりでいった。 「お母さんは、どうして僕の話を真剣に聞いてくれないの? つまらないから?」 「そんなことないわよ。ちゃんと聞いてるじゃない」 「僕がそういうものを見ても、何も気にしないし、聞かなかったことにしようとしてるでしょ!」 「それは、だって、お母さんには見えないんだもの。わからないわよ」  母は困ったようにいった。  和樹はその言葉を聞いて「もういいよ」と、部屋にこもったらしい。  しかしその後で、家を飛び出したらしかった。 ◇  和樹の目には、涙が溢れていた。 「それは、すごく悲しい気持ちになるね」  僕がいうと、和樹はぽろぽろと涙をこぼした。 「僕はもう、お母さんには何もいわない。わかってくれないなら、いわなくても同じだから」  和樹はそういって、手で涙を拭った。 「そういう選択もあると思う」  もしかしたら悲しいことかも知れないが、僕はそれを肯定するような言葉を吐いた。 「凪砂くんも、見鬼だってことは翔太朗にも内緒にしてるんでしょ。お母さんたちにはいってるの?」 「いってないよ。大人は、理玄しか知らないと思う」 「親にもいわないのは、わかってくれないから?」  和樹に問われて、僕は改めてその理由を考えてみた。  理玄に秘密にしておいた方がいいといわれたことも、一つである。しかしそれだけではないことも確かだった。 「一番の理由は心配をかけたくないというか、心配されたくないって感じかな。理解されなかったら、それはそれで腹は立つと思うけど」  僕は正直にいった。 「僕も、お母さんに心配して欲しいってわけじゃないんだ。でも見たり、感じたりしたことを誰かに聞いてほしくなるんだ。そうしないと僕が感じたものが、全部なかったことになっちゃいそうで怖いのかも知れない」 「それは、わかる気がする」  夕立ちの後に、虹をみた。  家に帰る途中で、三毛猫が二匹にらみ合っていた。  雲の形が深海魚に似ていた。  そんなどうでもいいことを、僕はいつも誰かに話している。  だからどうというわけでもないが、僕はそれを誰かにいうことでなにかを確かめているのかも知れなかった。  自分の気持ちを誰かにわかってもらえることは、きっとほとんどない。それでも自分の気持ちを吐き出したいと思う瞬間は、何度も訪れる。  いっても仕方ないことを、いってはいけないことを、僕たちは時々誰かに知ってほしくてたまらなくなる。 「俺でよかったら、話くらいはいつでも聞くから」  誰かに話したい。  そう思う時、浮かんでくる顔はほとんど決まっている。  和樹については、きっとそれは家族なのだろう。そうは思えど、僕は月並みの言葉しかいえなかった。  僕自身も誰かに話を聞いて欲しいと思う時、浮かぶ顔はほとんど決まっている。  しかし僕が僕だけの物語を話したいと思ってしまう時、真っ先に思い浮かぶのは朔馬だった。自分自身でさえ把握できていないこの感情を、誰にも知られたくないと思う反面、朔馬にだけは知ってほしいと思う瞬間がある。  しかしそれを口にしてしまったら、何かが明確に変わってしまう予感があった。  そんなことを考えた後で、僕は後方を確認した。朔馬はおそらく僕たちに着いてきてくれているはずであるが、その姿は目視できなかった。  僕が朔馬を探していることを察したのか、ほどなく朔馬は僕の視界に現れた。  僕が朔馬の姿を確認した直後、和樹の携帯端末が機械音を発した。  和樹は少し緊張した面持ちで、携帯端末を確認した。 「電話?」  僕はいった。 「うん。お兄ちゃんから」 「出ようか?」  和樹は「大丈夫」と首を振った。 「俺と合流してることは伝えていいから」  和樹は僕の言葉にうなずくと、翔太朗からの電話に出た。  和樹は終始落ち着いた様子でその電話に受け答えしていたので、僕は少し安心した。  そしてほどなく和樹は僕に携帯を差し出した。翔太朗が僕と話したいとのことだった。 「ごめん。なんか、すごい迷惑かけてる」  翔太朗は開口一番に、申し訳無さそうな声を出した。 「いや、全然。それより親は? 和樹がいないことに気付いてる?」  無意味だと思いつつも、僕は若干声を潜めていった。 「今のところ気付いてない。和樹は部屋にいると思ってると思う。俺もそう思ってたから、部屋にいなくてびっくりした」 「親にいわなかったのは、ファインプレーだな」 「俺が風呂から出たら、お母さんが和樹とケンカしたってわかりやすく落ち込んでたんだよ。関わりたくないなと思って適当にゲームしてたんだけど、やっぱり気になったから、お母さんが風呂いった間に和樹の部屋いってみたんだ。そしたら和樹がいないから、ちょっと焦った。でも騒ぐのも可哀想かと思って」 「じゃあお母さんは今お風呂なのか。お父さんは?」 「まだ会社」 「繁忙期とかいってたもんな。とりあえず今は和樹と家に向かってるから、なんかこう、バレないようにというか、穏便に頼む」 「わかった。今どこ?」 「球技場のある公園から、瀬谷家に帰ってるところ。自転車だけど、押して歩いてる」 「俺も迎えにいくわ。和樹一人じゃ、家に入りにくいと思うし」  翔太朗はきっぱりといった。 「翔太朗が迎えに来るっていってるけど、どうする?」  和樹に聞くと、彼は「うん」と短くいった。迎えにきてもいいという意味なのだろう。 「わかった。じゃあ、俺たちはこのまま歩いてるから」  翔太朗は僕にお礼をいった後で、電話を切った。 「朔馬くん、後ろにいるの?」  僕が先ほど後ろを気にしていたせいか、和樹はいった。 「うん、いるよ」  僕が朔馬を呼ぶと、朔馬は僕たちと合流した。 「翔太朗から電話が来たんだ。翔太朗は今、こっちに向かってる」 「そうなんだ。よかった」  朔馬はいった。 「お兄ちゃん、怒られないかな」 「え、怒られないだろ」  僕は咄嗟にいった。 「お兄ちゃんはいつも僕の味方をしてくれるから、お母さんはそれも嫌なのかも知れない。僕が野球チームに入らないっていった時も、最初に味方してくれたのはお兄ちゃんなんだ」  翔太朗は僕が思う以上に和樹を心配していて、そして気を使っているのかも知れなかった。 「家族の中に味方がいるのは、心強いな」 「うん、うれしかった。僕は野球で活躍するお兄ちゃんを見るのが好きだったけど、それだけだったんだ。それなのにみんな、お兄ちゃんみたいになりたくないのか? って何度も僕に聞くんだ。でもお兄ちゃんだけは、味方してくれた」  僕自身も、足の速さを称賛される波浪と毅を見るのが好きだったし、誇らしかった。  しかし自分がそうなりたかったかと問われると、よくわからない。  僕はただ、走る二人を見るのが好きで、それだけだった。  それを理解して欲しいとは思わないが、理解されないのは辛いように思う。 ◆  僕たちが暗闇を歩いていると、前方からよろよろと妙な動きをする光が現れた。  それが近づいてくると、自転車に乗った翔太朗であることがわかった。  僕たちが手を振ると、翔太朗も力なく手を上げた。 「なんだろう?」  僕がいうと、和樹はなにかに気付いたように翔太朗の方へ自転車を漕いだ。  和樹と合流すると、翔太朗の自転車は停止した。 「もしかして、転んだんじゃないかな」  朔馬はいった。 「え」  僕も朔馬も、翔太朗の方へと自転車を走らせた。  朔馬が指摘した通り、翔太朗は転んだらしく服は所々不自然に汚れていた。  和樹は泣きそうな顔で、翔太朗を見つめていた。 「二人とも、わざわざありがとな」  翔太朗は僕たちにそういうと、泣きそうな顔をしている和樹の頭を撫でた。 「いや、いいよ。それより、大丈夫?」 「ちょっと転んだだけ。マンホールの上で、つるっと」  本日は激しい夕立ちがあったので、マンホールの上は滑りやすくなっていたのだろう。  大怪我ではないようであるが、翔太朗の腕には血が滲んでいて痛そうだった。 「そこ以外にもケガしたんじゃない? 手首とか、指とか」  朔馬はいった。  翔太朗の自転車の運転をみて、なにか感じるものがあったのだろう。 「転んで手をついた時に、なんかしたかな。でもまあ、打ち身って感じかな」  翔太朗はそういって自らの手を見つめた。朔馬はそれを補佐するように携帯端末のライトを点灯させた。  翔太朗の右手の小指はうっすらと腫れているようだった。 「突き指かな」  翔太朗はいった。 「僕のせいだ」  和樹はいった。 「このくらい、すぐ治るよ。大丈夫」  翔太朗はそういったが、和樹の目からは涙がこぼれていった。 「ごめんなさい」  和樹はそういって涙を流した。  そしてその嗚咽は、次第に大きくなっていった。 「戻して下さい」  和樹は消え入りそうな声でいった。 「じ、時間を、戻して下さい!」  僕たちは和樹がなにをいっているのか分からず、顔を見合わせた。 「お願いします! 時間を戻して下さい!」  呆然としている僕たちをよそに、和樹は懇願するように虚空に叫んだ。  外灯に照らされた和樹のいくつかの影が、ゆらりと揺れたように感じた。  そして聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「時間を戻そうとしてはならぬ」  そこには時右衛門の姿があった。  和樹が落とす無数の影から、時右衛門が現れたのだった。  そして時右衛門の様子は、明らかに通常ではなかった。 「時右衛門! なにをするつもりだ!」  朔馬はいった。 「時間を戻してはならぬ!」  そういった時右衛門の背後からは、もくもくと黒い煙のようなものが立ち上っていた。  それは時右衛門が発する強い意思のように感じられた。 「やめろ!」 「私のようになってはいけない。それだけは、絶対に阻止せねばならぬ!」  そして時右衛門の手は、和樹の首元へと伸びていった。  時右衛門の手が和樹の首元に触れる瞬間、朔馬は意を決したように抜刀(ばっとう)した。  瞬間、目の前は光に包まれた。
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