果ての空蝉

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果ての空蝉

 緑の深い山奥に、子どもの笑い声が響いていた。  銀衛門の前できゃらきゃらと飛び跳ねて回るのは、今年で6歳になる幼い娘のお石だ。  肩のあたりで揃えた髪は黒々としていて、ふっくらとした肌は透き通るように白い。ころりとしたどんぐり眼も愛らしく、将来は美人になるだろうと確信している。 「おとっつあん、抜け殻!」 「おお、今日のは1段と大きいな」 「わたし、抜け殻好き! 目が大きくてかわいいし、動かないから」  そうかやったなぁ、と駆けよって来た娘の頭を撫でる。金魚の柄が入った着物を着た子どもはくふくふと笑った。掌に収まった蝉の抜け殻が、子どもが笑うたびにカサカサと揺れる。 「抜け殻少なくなってきた」 「もう、夏も終わるからなあ」 「夏が終わると、抜け殻どっか行くの?」 「どうだろなぁ」  お石は好奇心旺盛な子どもだった。目に入るすべてのものが奇妙に映るらしい。新しいものを捕まえるたびに「あれは何? これは何?」と尋ねてくる様は可愛らしいが、学のない銀衛門では答えに困る時があるのだった。 「おとっつあん、あれは何?」  そら来た。  娘が指で示したのは、先日、狐を捕まえるために罠をしかけたあたりだった。輪を作るように広げて仕掛けた紐で、狐が頭を入れると首が締まるようになっている。  ――そこに、人が倒れていた。  上から下まで真っ黒な、風変わりな僧衣をまとった男だった。顔がうかがえぬようにすっぽりと深編笠を被り、胸に赤子を抱えている。赤子は泣き声ひとつあげない。 「こりゃあいかん」  大慌てで男に駆け寄った。大柄な銀衛門が走ると、ドタドタと地面が鳴るが、男は身動ぎひとつしない。  ひょっとして死んでしまっているのではなかろうな。  嫌な気持ちがして、お石にそこから動かないようにと言い含めた。お石も、ただならぬ事態の気配を察知したのか、緊張した面持ちで何度も首を振る。 「おおい、あんた、生きてるかい?」  声をかけながら揺すると、男の身体はまだ温かかった。笠の中から呻くような声がする。足首には狐用の罠が絡まっていた。夜道を歩いていた際に、これに足を取られて転んだのだろう。  幸いにも、その男の腹の上で眠る赤子には怪我ひとつないようだった。自分の父親が目を回していることにも気づいていないらしい、安らかな寝顔を晒している。 「まさか人間がかかるとはなあ」  このまま捨て置くのは何とも良心の咎める話だ。  銀衛門はお石に赤子を抱かせると、男を背負って山小屋に連れ帰ることにしたのだった。
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