果ての空蝉

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 山小屋に帰ると、銀衛門は男の足に絡まった罠を取り除き、赤黒く腫れた足首に薬をつけてやった。骨まで折れてはなさそうだった。  寝にくかろうと思って男の笠を外した時、こぼれ出た、たっぷりとした長い黒髪に銀衛門はひどく驚いた。一瞬、女であったのかと思ったほど、艶やかで黒々とした髪を玉結びにしている。  そんな黒髪を持つ男の顔は、これまた驚くほど美しいものだった。  閉じられた白い瞼の上に、長い睫が乗り、すっと通った鼻筋の下に、椿の花びらを思わせる薄い唇がある。この世のものとは思えない美丈夫を前に、銀衛門はもしや化生の類を連れて帰ってしまったのでは、と不安になった。  極めつけは、男の連れていた妙な赤子だ。  くるくると先の跳ねた黒髪の赤子は、どう見積もっても一歳に満たない。この年頃の子どもは何を要求するにも泣くしかない。  ところが、この赤子は人形なのではと思うほどに静かだった。泣き声はおろか、喃語のひとつも漏らさない。小さな瞼に隠された瞳は、恐ろしいことに血のような赤色をしていた。  赤子を気に入ったお石が、率先して世話を焼いているのを、銀衛門は冷や汗をかきながら見守っていた。  男が目を覚ましたのは、それから一刻ほど後のことであった。  男は身じろぎし、瞬きを数回した後、起き上がった。 「そこの方、助けてくれたのは貴方かな」  目を閉じたまま、落ち着いた柔和な声で語りかけてくる男に、銀衛門は一瞬面食らったが、お石が「そうだよ!」と声をあげたことで我に返った。 「お兄ちゃん、きつねさんの罠にかかってたの。あんまり綺麗なお顔をしてるから、おとっつぁんたら、きつねさんが化けてるんじゃないかって怖がってたのよ」 「お石!」  羞恥で顔を真っ赤にした父親のことなど気にせず、お石は抱いていた赤子を男に返す。男は「ああ、永遠。怪我もないようで良かったよ」と優しく受け取った。 「私は天城(あまぎ)、こちらは息子の永遠(とわ)。旅の僧をしているのだが、山道で何かに足を取られて転んでしまったようだ」 「俺がしかけた狐用の罠にかかったんだよ」  銀衛門はがりがりと頭を掻いた。 「人が通るようなところに仕掛けたつもりはなかったんだがな……悪かった」 「いや、謝らないでくれ。きっと貴方は悪くないのだろう。私が歩く道を間違えたのさ。……このとおり、目が利かないものでね」  銀衛門はまじまじと天城の顔を見た。瞼は固く閉ざされている。  そういえば、彼は旅の僧にしては軽装で、衣服と路銀の他には、三味線をひとつ背負っているのみであった。錫杖も、独古も、数珠ももたない。銀衛門は僧侶という職に詳しい訳ではなかったが、旅の僧というのが体のいい嘘だろうことは察せられた。  人とは思えぬ美貌を持つ盲の男。奇妙な色合いの赤子を連れて人里で暮らすのは難しかったのだろう。男の美貌には、人を狂わせる魔性の雰囲気が漂っていた。  銀衛門ももとは集落で暮らすマタギの1人だった。周囲の人間からあぶれて暮らさざるを得ない人間の気持ちはよくわかる。 「なんにせよ、貴方が親切な方で助かった。礼を言う。むしろ、罠を駄目にして悪かったね」 「それこそあんたが謝ることじゃねぇよ。……その足では山を降りるのは難儀だろう。近くに人のいる集落もないし、治るまではここにいるといい」 「それはありがたい」  銀衛門の提案に天城は喜んだが、それ以上にはしゃいだのは、お石の方だった。  こんな人里離れた山奥に住んでいると、来客なんてほとんどない。銀衛門が狩りに出ている間、家の中に1人残されるお石にとって、この不思議で美しい来客は、飛び上がりたいほど嬉しいものだった。 「誰に似たんだか」  すっかり天城に懐いたお石を見て、銀衛門は困ったように頭を掻いた。――きれいどころが好きなのは血筋のようだった。
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