近づく人

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近づく人

 彼女はドアを開けて入ってきた。いつもより不安げな表情なのは、あの事を気にしているのかもしれない。  佐野主任から報告を受けた小さなミス。それ自体は大したことないものだけれど、主任は心配していた。 「あの子がこんなミスするのは珍しいし、何か悩んでいるようなんです」と。  彼女の様子がおかしいのは気付いていた。以前よりも、よく目が合うようになっていたしーーそれはまぁ私が気になって彼女の方を見ていたからという説もあるが、私に何か話したいことがあるようなのは確かだと思う。  それに何よりその理由に心当たりがある私には、彼女とゆっくり話す責任がある。 「わかりました、私が面談します。いつものヒアリングという体で呼んでください」 「承知しました」  本当はしばらく距離を置いておきたかった。それはもちろん私自身のためにだ。  仕事中は冷静でいられる自信があった。伊達に20年以上もこの仕事をしていないのだから、些細な恋愛感情など抑えられると思っていた。  それなのにーー  始業時間そうそうに彼女と目が合った、そして逸らされた。衝撃だった。  知らないうちに目で追っていたこともだし、逸らされたことで胸に痛みが走ったことにも。  今まで通りの単なる上司と部下の関係を保つと決めていた筈なのに、既に心が折れそうだ。出来るだけ距離を置こう、そうすれば時間が熱を冷ましてくれるーーそう願って。  会議と称して部署を離れたり、用もないのに部長の部屋を訪れたり。 「珍しいわね」 「たまには部長とランチもいいかなと」 「……何か、あったのね」  部長は相変わらず私の心を正確に読み取る。それでいてあれこれ詮索してくることはない。とても貴重な存在だ。 「感情をコントロールするにはどうしたらいいんでしょう」  昼食を取りながら、相談というよりも独り言のように呟くと、部長は私を見つめた。時間にすると1分程度だったが妙に居心地が悪かった。 「へぇ、誰? 会社の子?」 「え?」  具体的なことは何も言っていないのに、何でわかるのか。 「貴女が仕事で感情的になることはないから、アッチ方面でしょ?」 「アッチって何ですか」 「じゃぁソッチ?」  物凄くにこやかに意味不明なことを言う。 「意味がわかりません」 「独身なんだから感情を抑える必要ないでしょ、あるとすれば……相手が同じ会社か取引先か」  鋭い。 「……何のことかわかりませんが」 「ふぅん、まぁいいわ。一つアドバイスするとすれば」 「はい」 「素直になりなさい、私からのエールはそれだけよ」
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