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「ーーえ?」 湯田先生は黒板を消していた手を止めて、ゆっくりと振り返った。 放課後の教室。 今日は水曜日で5時間授業の日。 先生たちのノー残業デイらしく、校舎は静まり返っている。 あたしはもう一度、さっき言った言葉を繰り返す。 「先生、ですよね?上履きを隠したの」 声が震えそうになるのを必死で堪えながら、身体中から勇気を振り絞って湯田先生の前に立つ。 「ボールを切り裂いたのも」 メガネが反射してその奥の表情がよく読み取れない。 「面白いことを言うね」 腕を組んで教卓に寄りかかりながら、湯田先生は浅く笑って言った。 「君の話、聞かせてもらおうか」 あたしは怯まないよう、目に力を入れて湯田先生を睨む。 「それに去年、神社で子猫を襲ったでしょう。その時私、見てました」 あたしはその襲われた子猫自身だ。 小さかったのと、ショックだったのでつい最近まで忘れていた。 思えば転校初日から、湯田先生が近くにいるとなんとなく落ち着かなく不安になっていた。 そして体育倉庫で脳裏に閃くように浮かんだ記憶。 あたしは思い出していた。 あの雨の日、捨てられて鳴いていた猫のあたしを持ち上げた手。 もう片方の手に握られていたボールペンの先が身体に振り下ろされるのが、スローモーションのように再生される。 痛みで気を失いかけたあたしが見たのは、湯田先生の顔だった。 記憶の中の湯田先生は、冷たく笑っていた。 今も目の前の先生は笑っている。 「証拠はあるのかな?」 先生は教卓から身を起こし、一歩あたしに近づいた。  証拠は、なかった。 「ありません。でも知っています」 「言葉だけじゃなんの証拠にもならないだろ。つい何ヶ月か前に転校してきたばかりのちょっと言動のおかしな君と、教師という実績のあるボク。世間はどっちを信じると思う?」 あたしは自分の無力さに泣きたくなる。 人間になったからって、海斗を守れない。 「なんで生徒に、罪を擦りつけたりしたんですか?!」 「あぁ、神坂君ね。やってみたけどカッターナイフは切りづらかったから果物ナイフに変更したんだけど、よく考えたらわかるだろ?カッターなんかじゃあそこまでできないって。でも、カッターナイフを忍ばせてやっただけでみんなアイツが犯人だと決めつけた。犯人を押し付けるのには適役だっただろう?」 「ーーなんで海斗なんですか?」 「彼はちょうどよかったんだよ。助けてくれる友達もいなそうだし、親も滅多に出てこないし、いかにもやりそうだろ?誰とも連まない、不良だって噂のある少年。兄貴が死んで心に闇を抱えちゃったんだね」 揶揄うような口調。 頭に一瞬で血が上った。 海斗の苦しんでることを嘲り、こんな風に利用して……! 「そもそもアニキからして気に入らなかったんだ。いつも自分は優等生ですって顔しやがって、結局死んでざまぁ、だけどな!まぁ弟でもいいやと思って」 気がつくと夢中で先生に掴みかかっていた。 でもあっさりとその手を簡単に掴まれて、後ろに捻り上げられた。 そのまま黒板に押しつけられる。 「やめといた方がいいよ。あの子猫やボールのようになりたいかい?この腕を折るくらい、大人には簡単なんだ。君も確か親御さんが日本にはいなかったよね?」 先生の手に力がこもる。 腕が締め上げられて痛い。 思わず声をあげそうになり、あたしは歯を食いしばった。 「なんで、そんなことするんですかっ…!」 悔し涙が出てくる。 「なんで?そうだね、理由なんてない。憂さ晴らしだよ。世の中面白くないことばっかりだ。楽しいことは自分で見つけないとね」 楽しいこと…? 「生き物や生徒を傷つけることが、楽しいことなの……?」 「まぁ、ちょっとは興奮するよね」 そう言って、先生は口元を歪める。 あたしはゾッとした。 この人は絶対におかしい。 「標的にしたのは、訴えて来なそうな子どもだ。モンスターな親がいるとこは面倒だからね。そういうのも含めて、ストレスがいっぱいなんだよ、ボク」 耳元で先生が囁いた。 耳に息がかかって、鳥肌が立つ。 やだっ!たすけて、 「海斗ーーっ!」
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