おばけはちみつのグリセルダ

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タマレ(オアハカ風)  タマレ~ オアハケーニョ! おいしいタマレ~!  リズムよく繰り返される売り子の声が、遠くから近づいてきた。グリセルダが片手を上げると、タマレ売りのおんぼろモトが、グリセルダのすぐ前で急停止する。  50ペソ出して、2つ買った。バナナの葉でくるんだ、四角い形をしたオアハカ風のタマレ。ふつうのタマレよりも、グリセルダはこれが好きだ。いくつか味がある中では、緑のソースの鶏肉入りのものがいちばん美味しいと思っている。大きな紙に手早く2つのタマレをくるんで、黒のヘルメットをゆるめにかぶったタマレ売りの髭の男性が、無言でグリセルダに手渡した。手に直接持つのも熱い、できたてのタマレ。  グリセルダはおばけはちみつの家の入口のテラスの椅子に座って、湯気をたてる、ぴりりと辛い緑のソースのタマレをさっそく頬張った。しっとりしてるけど、べちょべちょ水が多すぎない、ちょうどいい出来具合だ。んん、美味しい。村に何人か来るタマレ売りの中では、あの、さっきの髭の男性の売るタマレが、いちばん美味しいとグリセルダは思っている。    ひとつをまるごと食べ終わったとき、木立の向こうから誰かがやってくる。  そのシルエットと歩き方で、それが誰かはすぐにわかった。  グリセルダの母親だ。  グレイとカーキの迷彩模様のパンタロンに、くすんだブラックの襟のあるジャケット。ジャケットの上には、はっと目を引くイエローの髪(しかしこれは一度色を抜いて染めたものだ。もともとの髪色は黒だとグリセルダは知っている)。その髪をがっちり固めに押さえつけて、遠目で見ると男性っぽい髪型にまとめて――   木立の中から、母親が片手を上げて何か言った。遠くてよくは聴き取れなかったけれど―― おそらく、「あんた、ずいぶん早いわね!」とか。その手の、気軽な挨拶だろう。この朝の時間に、気まぐれに仕事から戻ってくるのはいつものことだ。だけど今朝はめずらしく―― どうやらお酒が、入っていない。こちらに向けて森の土を踏んで歩いてくる彼女の足取りは、いつもよりもまっすぐ、しっかりしている。 「帰ったわよ」  機嫌が良くも悪くない、中立の声でひとこと言って―― 母親がグリセルダのそばを通り過ぎた。通るときに、片手の手のひらで、グリセルダの頭をくしゃっと一瞬だけなでていく。  会話らしい会話もないまま、コーヒーを飲むこともシャワーを浴びることもなく、母親はそのまま奥の寝室に消えてしまった。その部屋はむかしハチミツ工房が稼働していたとき、事務室として使われていたそうだ。壁もいちおうペンキが塗ってあり、ここには母親のベッドと鏡台と服入れの棚があり―― この大きな廃墟の中で、ここだけは少しは本当の部屋らしく見えている。おそらく今日も母親は―― そのままそこのベッドで眠り、昼過ぎまでは起きてこない。  そう。いつものことだ。夜勤のあとで、そうとう疲れているのだろう。グリセルダは母親を起こさないよう、なるだけ物音をたてないように、タマレに使った平皿とスプーンを流しに運んだ。2つ食べたけど、少しまだ食べ足りない感じがした。これだと、一緒にあったかいアトレも買って飲んどけばよかったな、と。今さら少し後悔した。まあでも、仕方ない。グリセルダは冷蔵庫からミルクのカートンをとって、こっそり行儀悪く、アトレの代わりに冷たいサンタクララのミルクをたっぷり飲んだ。
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