2.僕が好きな人は、彼女の好きな人

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「あの。先生、何か飲みますか。もうすぐオーダーストップみたいです」  目の前に飲み放題のメニューを差し出す。カクテルやソフトドリンクの書かれた裏面の方を向けて。あぁそっか、と笹原は返事をして腕を組んだ。互いの前髪が触れるほど近づく。 「カルピスにしようかな」 「僕も同じにしていいですか」  ニコも千秋に付き合ってハイボールを飲んでいたが、だいぶ酔いが回っていた。最後くらい甘いものでお腹を満たしたい気分だった。 「無理して合わせなくてもいいよ」 「ほんとに飲みたかったんです」 「どうぞ、好きにすれば」  やっぱり笹原先生も甘いものが好きなんだな。ニコはメニューで顔を隠しながら、こっそりと口角を上げた。  笹原は店員にオーダーを通してから、当たり障りのない話題を口にした。 「仕事は慣れた?」 「はい、だいぶ慣れてきました。みなさんに色々教えてもらってます」  見て覚えるのが当たり前の職人の世界と違って、子どもたちに教えることが使命である先生たちは、仕事の説明や依頼も具体的で分かりやすかった。先生によっては話が長すぎて要領を得ない人もいたりするけど、それでも悪意を持って接してくる人はいない。それだけでもずいぶん仕事しやすかった。  こういう世界もあるんだな。  まるで以前の職場の人達とは人種が違うかのように、先生たちとの付き合いは新鮮だった。 「毎日、遅くまで残ってるみたいだけど」 「まだ要領が悪いので、仕事をこなすのに時間がかかってしまって……」 「なんでもかんでも引き受けると、あとが辛いよ。みんな口が達者だから」  教師なんて口先だけで生きてるようなものだからね、と笹原は頬杖をつきながら自嘲ぎみに笑った。 「確かに。頼まれごとを断るのは苦手な方です」 「困ったらまわりに頼るしかないよ。ま、誰に声をかけるかが肝心なんだけどね。とりあえず教頭に聞いたらいいよ、君のこと買ってるみたいだし」 「できるだけ……抱え込まないようにします」  まるで笹原は自分の仕事ぶりを間近で見ていたかのような口ぶりだった。先生達に頼みごとばかりされ、あたふたと困惑する自分の姿を。  胸がぎゅっと痛くなる。  わけのわからないことを言ってくる自分のことなんて、放っておかれて当然なのに。助言までしてくれる先生の役に立ちたい。今はまだ、頼まれたことをこなすことくらいしかできないけど。 「あの、山桜の病気の枝は切って、消毒しました」 「そういえば切ってあったね」 「病巣が大きくなかったので、このまま再発しなければいいのですが」 「来年も咲くかな」 「はい! きっと大丈夫ですよ」  そうだね、といって表情が和らいだ気がした。笑うと目尻が下がって少年みたいに幼くみえる。可愛いなんて思ったらいけないのに、どうしようもなくその笑顔に惹かれてしまう。  ニコは頬杖をつく先生の指の長さに見とれていた。爪の先まで薄い貝みたいに白く光っている。先生はその指先で、どんな風に黒板を書くんだろう。授業を受けられる5年生がうらやましくて仕方なかった。  笹原先生と交わした言葉は、その日はそれが最後になってしまった。
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