2.僕が好きな人は、彼女の好きな人

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「笹原君、見かけないと思ったらこんなとこにいたのか、向こうで飲もうじゃないの」  トイレから戻ってきた教頭に親しげに肩を掴まれ、先生は引っ張られるようにして席を立って行ってしまった。新しいメンツが加わった奥のテーブルは一層騒がしくなったみたいだ。  結局、届いたカルピスは二杯ともニコが飲むことになってしまった。笹原と入れ替わるように千秋たちが席に戻ってきてから、しばらくして校長先生が締めのあいさつを行い、歓迎会の席は無事おひらきになった。  皆はそれぞれのタイミングで席を立っていたが、笹原や教頭のいるテーブルはまだ話が盛り上がっているみたいだ。千秋達も荷物をまとめ、帰り支度をしている。 「千秋先生、帰りどうする? タクシー呼ぶ?」 「私、約束してるんだ。だから大丈夫」 「お迎えに来てもらうの?」 「いえ、ちょっと。まだ飲むの」 「え、誰と? もしかして笹原先生と!?」  甲高い声をあげる早川に、低く制止する千秋の声。聞かなければよかったのにどちらとも聞こえてしまう。  お店から出ると、先生達は何人かでタクシーに乗ったり、家族に迎えにきてもらったりして、次第にお店の前から人影が消えていった。  人もまばらになった通路の奥で笹原と千秋が立ち話しているのを見かけ、ニコは目が離せなくなってしまった。街中で見るふたりは恋人同士にも、若い夫婦にもみえる。お似合い、という言葉がふさわしかった。  これからどこかに飲みに行くのか、どちらかの家に向かうのか。自分にはなんの関係もないのに、無駄な妄想ばかりが先走る。  笹原先生にだって、恋人くらいいるはずだ。それが千秋先生だということだって大いにありえる。少なくとも千秋先生は、笹原先生に好意を持っている。そばで見ていれば、それはあきらかだった。  ぎゅっと唇を噛んだままぐるっと回れ右をした。ちょっと遠いけど、このまま家まで歩いて帰ろう。大通りの横断歩道を渡って、夜の風にあたりながらゆっくりと歩き始めた。  憧れていただけの笹原先生と、ふたりきりで会話することすら自分にとっては奇跡みたいなものだ。それだけで充分だってことは頭では理解してる。贅沢な望みなんて捨ててしまえばいいんだ。  死に絶えそうな高校生の自分に、先生はたったひとつ輝いていた星みたいだった。奈落の暗闇の中に落ちそうな自分を、導いてくれたんだ。  はあっと息を吐いて空を見上げた。街の中は光源が多くて星は見当たらない。でもたったひとつ、金星だけが西の夜空に瞬いていた。
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