4.雨に濡れて

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「うちは母親が……いわゆる漫画家で。家で仕事していたんですが、食事には無頓着な人でした」  小学校高学年くらいから自分で作るようになっていた。それまではスーパーの惣菜とか弁当ばかりで済ませていたが、どうにもお金が足りなくなってしまい、悩んだ末に自分で作った方が安いという結論にたどり着いた。  唯一の相談相手だった祖母が、包丁の使い方や簡単な炒め物や煮物などは教えてくれた。祖母は市内の繁華街で、今も現役で小さなスナックを経営している。ヒョウ柄が大好きな派手な身なりに反して、金銭感覚は母よりずっとまともだ。  ついでに祖母は「あの子は金遣いが荒いだろう」といってニコ名義の銀行口座を開設してくれ、高校を卒業するまでお年玉や夏休みの小遣いを律儀に送ってくれた。 「料理が得意でも好きでもないんです。必要に迫られてやってただけで」 「僕も授業で調理実習をやるけどさ、毎回なかなか刺激的だよ?」  5、6年の調理実習は、卵を鍋で茹でて「ゆで卵」の固まり具合を比べたり、にぼしで出汁をとって味噌汁を作ったりするんだと話してくれた。  味噌汁に使う、玉ねぎの皮がめくれない子もいれば、鍋で煮干の出汁を取ってから、汁のほうだけ捨ててしまう子もいる。そもそも料理を自分たちで「作れる」ということすら知らない子もいた。 「包丁を初めて握るって子も多いしね」  考えあぐねた末に、笹原自身が見本の動画を撮っておいて、実習前に子どもに見せることにしたという。 「先生がお料理番組みたいにエプロンして、料理するんですか?」 「そうだよ、顔も映すとみんなの食いつきがちがうからね」 「じゃあアシスタントもいりますね」  カメラの前で料理をする先生の姿を想像して、ニコも子どもみたいにころころと笑った。 「ニコはそんな年頃の時に、毎日ご飯を作ってたんでしょう?」 「何回も火傷したし、包丁で指を切りましたけど」 「たいしたもんだよ。だから謙遜なんてしないで、自信持っていいよ」  励ましの言葉に、心の奥にぽっと灯がともる。 「食材だけ出してもらえたら後は僕が作りますから。先生もお風呂入ってきてください」 「でも……」 「任せてください」  先生がいなくなった部屋を、ニコはぐるりと見渡した。  リビングは雑然と本や教材、書類などが積まれていて、整理整頓が行き届いているとはいえなかった。おしゃれなガラス戸棚は空っぽのままで、インテリアとしての機能は果たしていなかった。  ソファー乗せもたれから、見慣れない紫のとんがったものが飛び出ている。そばつゆに使う出汁を沸かしている間、ニコはソファーに近づいた。 「なんだ君は」  無彩色な部屋の中で一際異彩を放っていたのは、鮮やかな紫色の恐竜のぬいぐるみだった。円筒型のボディーに短い足が付いている。ふかふかしたさわり心地と、細長い形からして抱き枕かもしれない。
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