6.世界で一番憎い人、世界で一番好きな人

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 街灯もまばらな田舎の景色を抜けると、暗闇に吸い込まれそうな山間のカーブが連続して現れる。自然とハンドルを握る手に力がこもった。  寂しげな山道を走っていても、先生が隣にいると思えば夢見心地だった。でも勘違いしちゃいけない、今日の使命は先生を送り届けることなのだから。 「そんなに急いで帰らなくてもいいのに」 「のんびりしてると今日中に帰れないですよ? まだだいぶ距離がありますから」 「ニコは真面目だねえ。せっかくのドライブなのに」 さっき買ったばかりのアイスバーの袋を開けながら、からかうように笑う。先生が選んだのはバニラアイスにキャラメルのクリームがたっぷりとコーティングされたアイスクリーム。先生は一口かじって、すぐにうーんと唸った。 「……めちゃくちゃ甘いな。期間限定につられたけど、いつものチョコのやつにすればよかった」  甘党な先生がいうのだから、相当甘いのだろう。酔っ払っているから、味覚が変わっているのかもしれないけど。 「そんなに甘いんですか?」 「ニコも食べてみてよ。ほら、あーんして」 「ちょ、ちょっと待って!」  アイスの棒を面前に突き出され、慌ててブレーキを踏み込む。すぐに路肩に停めてハザードランプを点けた。ごめん、とはにかむ先生に怒る気にもなれず。 「もう……先生、酔ってますね」 「かもね。ほら、溶けちゃうから食べて」  ねだるような先生からのお願いを、断れるわけない。恥ずかしそうに口を開けるニコの様子に、先生は目を細めて白い歯を見せた。横向きに差し出されたアイスをかぷっとかじった。  口の中でねっとりとしたキャラメルクリームの滑らかさが舌にからみつく。一緒に舌も溶けるんじゃないかと思うほどの甘さだった。  先生の唇もこんな風にとろけるように甘いのだろうか、いけない想像が浮かぶ。 「どう?」 「甘いけど……僕は好きですよ」 「ならもっと食べて」  言われるがままに、もう一口かじる。  先生に見つめられながらじゃ、緊張しすぎて本当は味まではよく分からない。でも先生がくれるのなら毒だって飲み干すくらいの覚悟はある。 「もういらない?」  先生は大きな口を開けて、ニコが食べ残したアイスの残りをあっという間に食べてしまった。  ごくん、と先生は喉仏を揺らし、甘すぎる液体が通り抜けていく。自分が飲み込まれたような感覚に陥って、きゅっと胸が痛くなった。こんな夜中にふたりきりで、アイスを食べさせ合う関係は尋常じゃない。  でもきっと先生は自分のことなど眼中にないだろう。  相手はただの酔っ払い、自分はただのタクシーの代わり。 「……僕にも、ニコみたいな弟がいたらな」  ハザードランプを消そうとボタンに伸ばした指先が固まった。カチカチという機械音だけが車内に響き続ける。 ――弟なんて嫌です。  自分は先生の恋愛対象じゃないんだと覚悟はしてる。だってそもそも同性だし、チャンスなんてないってことは。でも、少しずつだけど先生との心の距離は近づいてる気がしたんだ。こんな風に隣にいられるくらいには。だからこそ弟扱いされるのは耐えられない。それならいっそ振られた方がましだ。悟られないように反論するのが精一杯だった。 「兄の食べかけのアイスなんて、弟は嫌がって食べませんよ」 「でもニコは食べてくれるんだ」 「いただきますよ、なんだって。先生がくれるものなら」  ほとんど告白みたいだと気づいてももう遅い。抑えきれない気持ちをなんとか飲み込んだ。先生が何も尋ねてこないことをいいことに、曖昧な関係に甘えているのは自分の方だ。ニコは伸ばしていた指先をぎゅっと握りしめた。 「僕は先生の弟にはなれません……ずっと兄として生きてきたんですから」 「ニコの弟って、どんな子?」 先生はそう言うと、ニコの顔を見つめた。 「僕とは正反対の、やんちゃな弟で……心底嫌いでした。分かり合えたと思ったことなんて一度もなかった」 「僕にも兄がいるよ。もう何年も会話した記憶はないけどね」 「先生も?」  先生にお兄さんがいることは以前聞いていた。たしか医者なのだと。世間から羨まれるような立場の兄と、春の陽気みたいな先生の、仲が悪くなる理由などあるのだろうか。想像もつかない。 「兄弟って不思議だね。誰よりも近くにいて、誰よりも頼りになるはずなのに、世界で一番憎い存在になったりするんだから」  ニコは深くうなずいた。今なら、言える気がした。  もう、先生のやさしさに甘えるのは終わりにしなきゃ。 「先生……僕の弟は伊織です、渡邉伊織。弟が6年生の時、先生が担任していました。覚えてますか」 「ニコは、伊織の代わりに僕と交換日記してた子だね――――」  かちりと音を立て、ふたりの目線が噛み合った。
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