君は誰?

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 笹原は帰りの会を終え、下校前の集会のために児童玄関に向かっている時、鮮やかなエメラルドグリーンのランドセルを背負った女子がふたり、イノシシの被害に遭った畑の前でしゃがみこんでいるのが見えた。  あの子たちはたしか、2年生の千秋のクラスの子達だ。彼女らの目線の先には土を耕す、あの青年の姿があった。 「ほんとひどいねえー」 「ニコちゃん、がんばって元に戻してよ!」 「ほら、タオル落としてるよ」  てぬぐいを頭に巻き紺色のツナギを着た彼は、女子から受け取ったタオルの砂をはたいていた。  「ニコ」とはまた変なあだ名をつけられたものだ。子どもたちの発想には舌を巻く。「にしな こう」の頭文字を取ってニコ、らしい。  名字に「さん」づけで呼びなさいと教頭先生に注意されても、子どもたちはすぐにあだ名呼びに戻ってしまう。 「ニコちゃん、そっちの棒曲がってない?」 「え、どれ? これ?」  すでに2年生の女子達の勢いに押され気味だ。若いからか、先生達と違って怒られないと分かっているからか、子どもたちは校務員の青年にすぐに懐いた。  特に女子には大人気だ。韓国アイドルの誰かに似ているとかいう噂で、6年の女子のグループが彼を見かけるたびに、恥じらったようにくすくすと笑い合っている。  気安く頼みやすいと他の先生達や教頭らもあれこれ修繕を頼んだり、教材を運ばせたりと、毎日学校中を駆けずり回っている。はじめから飛ばしすぎて疲弊しないかと心配になるくらいに。 「あ、笹原先生だー、何してんのー?」 「さあ、何してるんだと思う?」  さっきのふたり組が今度はこちらに駆けてきた。子どもたちは暇そうな大人を見つけるのが得意だ。 「知らないよぉ」 「イノシシがどの方向から来たかなと思ってさ。足跡を探してるんだ」 「えーうそ! そんなの分かるの?」  ふたりが揃ってころころと顔をほころばせた。 「探せば分かるかもね。ほら、もう集会始まるよ」  言い終えると同時にチャイムが鳴った。 「りのちゃん、行こ。あ、せんせーばいばーい!」  ちぎれんばかりの手の振りように、こちらも自然と笑顔になる。また明日会うのに、子どもたちは今生の別れのように惜しんでくれる。ふたりは競い合うように走り去っていった。  学校は四方を山に囲われている。どこからだってイノシシは入り込めた。近年、イノシシの田や畑の被害はどの自治体でも問題視されている。でもまさか学校の畑まで襲ってくるとは思わなかった。笹原は足跡が体育館の裏手へと続く山の中へと消えているのを確認して、校舎へと戻った。  2階南西の角部屋にあたる職員室からは、校内が一望できるような構造になっている。校庭と児童玄関はもちろんのこと、校門から入ってくる車も確認できた。遊具やプールもここから見渡せば子どもたちがいるかどうか一目で判別できる。  ふと目線を下ろすと、もう傾きかけた空の下、ひとりぽつんと作業している青年の姿が目に入った。もしかして下校時刻からずっと作業していたのだろうか。  隣のデスクで、テストの丸つけをしていた千秋にたずねた。 「千秋先生。あの畑、また作り直すんですか」 「そうしようかなって。みんなに聞いたらまたやりたいって言うし」  あの青年に畑を作り直すよう頼んだのは千秋だろうか。千秋も仕事の手を止めて笹原の隣にやってくると、同じような姿勢で見下ろした。 「あの校務の子、子どもたちから人気あるんですよ。どっかのアイドルに似てるとかで」 「みたいだね」 「笹原先生、興味なさそー」 「興味はあるよ。どうしてこんな田舎に、あんな若い子が来たのかなってね」  たしかに、と千秋は笑いながらうなずいた。 「明日の歓迎会で、私が色々と聞き出してあげますよ」 「ほんとに?」 「その代わり、歓迎会終わったら二次会の約束、忘れてませんよね? お店予約しましたから」 「あぁ、そうでしたね」  小声でささやく千秋に、飲みに行く約束をしていたことを思い出す。彼女は教頭に呼ばれて席の方へ戻っていった。どうやら荒らされた花壇のことを聞かれているようだ。また作り直したいから、千秋は野菜の苗をもう一度買いたいと頼み込んでいるようだった。  笹原は席に戻って、ぼんやりとパソコンの画面に視線を戻す。  やることはたくさんあった。5年生は教科が多いし、内容も複雑になるから分かりやすくしようと工夫すればするほど授業の準備にも時間がかかった。授業参観も来週早々にある。  気づけば時間が経っていた。
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