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2.僕が好きな人は、彼女の好きな人
大勢の人が集まって飲む、そういう場は苦手だった。でも少しは社会人として、そういう場面も慣れてきたはずだった。
造園会社にいた頃は、現場が終わると職人さんや付き合いのある業者さんたち飲みに行くことが多かった。そんな時は記憶がなくなるか、真っ青な顔でトイレに駆け込むまで飲まされたっけ。
桜が散り、先生達の顔と名前が一致し始めた頃、学校職員の歓迎会があった。
今日は小学校に関連するほとんどすべての人が参加しているみたいだった。スクールカウンセラーの先生や、ALTの英会話の先生、離任した先生も来ていた。それでも全員合わせても20人にも満たない、小さな組織だ。
ニコはひとつ深呼吸をしてから扉を開けた。
会場は大きな鉄板とカウンターがあるお好み焼き屋さんみたいだ。棚にはボトルキープされた焼酎や日本酒が並んでいる、まるで居酒屋みたいな庶民的な雰囲気だ。
「っらしゃーいませー! 奥の座敷にどうぞ」
「あ、ニコちゃんだ。こっちおいでよ、空いてるよ」
店の奥に進むと、近くのテーブルから千秋先生に声をかけられた。4人がけの低いテーブルには養護教諭の早川先生もいる。ニコは促されるままに席についた。
先週、イノシシに荒らされた畑を直すように頼まれてから、なぜだか親しげに千秋から「ニコちゃん」と呼ばれるようになっていた。
千秋と早川は仲が良いらしく、ふたりで親しげに話し込んでいる。お酒が全員行き渡ったあたりで、校長の乾杯の挨拶があり、それが終わると会場はがやがやと一層騒がしくなった。
今まで男ばかりの飲み会に参加していたから、女性に挟まれてどう振る舞えばいいのかわからない。千秋と早川との会話も次第に仕事の話題に移っていき、ニコはうなずくくらいしかできなかった。ただテーブルに運ばれるサラダや揚げ物を少しずつ口に運ぶうちに時間は過ぎていく。
「そういえば、ニコちゃんはなんで校務員の仕事に就こうと思ったわけ?」
「え?」
千秋がニコに話を振ってきたのは、2杯目のハイボールがテーブルに届いた頃だった。
早川との会話も一段落ついたのか、グラスを持ちながらふたりとも興味ありそうにこちらを向いている。ニコはどきまぎと視線を交互に向けた。
「前の仕事を辞めてから、色々探したんですけど見つからなくて。小学校の用務って植木の剪定とか、備品の修繕とか、自分のやれそうなことが業務内容に書いてあったので」
用務員の職種は市の臨時職員という立場だった。一年契約だが、翌年度の更新もあると募集要項にあった。ハローワークの職員には、あまり自分のような若い人は応募しないと言われ、一般企業の正社員を目指さないかとも薦められた。
でもやってみたいという意思は固かった。なんの経験も資格もなかったから、落とされる覚悟で面接に望んだが、ことのほか好感触で採用試験はとんとん拍子に進んだ。
早川先生が空いた皿を下げながらたずねた。
「たしか前は庭師だったのよね? 同じ仕事につこうとは思わなかったの?」
「実はハサミの使いすぎで指を痛めてしまって。もうほとんど治ってはいたんですが、庭師に戻るにはまだ自信がなくて。なにか似た仕事はないかなと――」
あれは3年目の頃、ようやく任され始めた植木の剪定業務をこなしていたら、ある朝、指がこわばって開かなくなってしまった。無理やりひらくとカクンと勢いよく戻る。
ばね指といって腰痛と同じくらい庭師の職業病のひとつだった。病院にも通って注射も打ったが、一度痛めた指はなかなか治らなかった。
「庭師もいろいろ大変そうね、外の作業だし夏なんか暑くて倒れちゃいそう」
「はい、熱中症で何度も倒れたことあります――」
その時いらっしゃいませと威勢のいいかけ声が響き、千秋がパッと身を乗り出し手を振った。ニコもつられて見上げてから、慌てて顔を伏せた。
視線の先にいたのは、笹原先生だったから。
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