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①
――――青春がしたかった。
校舎から見える桜の木。
満開で新一年生を迎えたそれは役目を終えたとばかりに、あっという間に花を散らし、青々と葉を茂らせている。
地球温暖化のせいか寒くも暑くもない春という季節は短くなり、まだ衣替えの始まっていない長袖の制服では、少しだけ暑さを感じさせた。
だがそんなものは関係ないと、グラウンドでは白い野球服に身を包んだ彼らは声を出しながら走っているし、バレー部は校内の廊下でストレッチをしている。
特に変哲もない、どこの学校も同じ放課後を、この高校も迎えていた。
「ま、それでいいっちゃいいんだけどさ」
一年生の教室で、樫成梨沙(かしなりりさ)は机に突っ伏し、指先でカツカツと音を立てる。
「なに、どうしたのさ」
それを前の席に座る保津美里(ほうづみさと)が棒付きの飴を舐めながら聞いた。
「うーん」
顔を少し持ち上げ、首を横に向ける。自分たち以外の生徒も数人残り、楽しそうに談笑していたり、勉強をしていたりと様々だ。
それらの景色を眺めながら、梨沙は溜息をついて両手で頬杖。小学生の頃からの親友である美里を見ながらまた溜息を吐き出した。
「なんていうか、暇なんだよね」
「まぁたそれかい」
美里も同じような溜息を吐き出し、飴の棒を持って口から離す。それをまるで指揮棒のように動かした。
「こういう生活を望んでたんじゃなかったわけ?」
「いや、そうだけどさ。こんな暇だとは思わないじゃん」
「暇だと思うようなことしかしてないからでしょ」
くるくると棒を持ちながら回すそれを見つめ、梨沙は「まぁそうだけどさぁ」と頬杖を崩す。
「帰宅部って一体なにしてんの? よく漫画とかはカラオケ行こうぜ! とか、美味しそうなカフェ見つけたぜ! とか、面白いことしてるじゃん。それが帰宅部の醍醐味なんじゃないの?」
「はい出たー。漫画とか夢物語を信じてる奴ー」
振っていた飴を口に戻し、まるで笑っている人形のようなカラカラという音を立てて美里は「呆れた」と鼻で笑った。
「そりゃ学校が終わればゲーセン寄ったりすることはあるだろうけど、そんなの毎日やってたら金欠だってぇの」
「じゃあ遊んでない日はなにしてるの?」
「スマホいじったりしてんじゃないの? それか適当な雑談でしょ」
「えぇー・・・・・・」
まさかそんな適当なことをしているなんて。
ちらりとまた視線だけで周囲を見れば、その雑談をしている女子メンツがドっと笑い声が。見た目は楽しそうだけど、本当に全員楽しく話しているのだろうか。
暇だから適当に時間を潰しているんじゃないの?
「だから言ったじゃん。あんたに帰宅部は似合わないよって」
美里は梨沙の頭のてっぺんをを人差し指で突き刺す。それだけでハゲるような気がして、梨沙は「ちょっとやめて」とその手を払った。
「案の定だったね。中学時代、あんなにテニス部に命かけてたんだから、そりゃ突然の帰宅部は暇に決まってるさ」
「別に命かけてたわけじゃないよ」
梨沙の言葉に美里はまた鼻で笑い、「ま、知ってるけどね」と飴に歯を立てた。
「それでも中学の時は必死に部活やってたわけじゃん? バイトも遊びも何にもしないでさ」
「まぁね」
「やっぱここのテニス部に入れば良かったんじゃないの?」
「嫌だよ」
梨沙はゆっくり瞬きをする。
瞼の裏に映ったのは、部活にいそしむ自分の姿。確かにあの頃は頑張った。命はかけてなかったけれど。いやむしろ頑張る周囲と比べたらやる気もゼロに等しかったと思う。
適当にテニスの練習をし、適度に頑張る。下手くそだと色々言われそうだから、夜、家に帰っても走り込みをしたりもした。でも、テニス選手になるつもりなんてなくて、ただそのときの部活の青春を謳歌しているだけだった。
「走り込みで汗をかくのも別に好きじゃないし、先輩との上下関係やら、大会に出場するやっかみやらも、もうこりごり」
「はぁ、それを中学の先輩やら先生に聞かせてやりたいわ。絶対あんたボコられるよ」
「コーチやら担任やら家族やら後輩やらに、もうボコられたよ」
精神的に。
「あー、そうだったね」
美里は頷く。
「まだ家族は冷戦状態?」
「冷戦というより、もうテニスをやめた私のことを認めたくないって感じ」
「私という人間の存在は消えたよ」と梨沙は自嘲的な笑みを浮かべる。何にも間違っていない。言葉どおり、両親はもうテニスをしていない私を見てくれない。
でも仕方が無い。そう思うのと同時に美里は「まぁしゃーないよね」と言葉を放った。
「全国大会で一位を取り、他の大会でもトップ。それなのにスポーツ推薦も蹴って、もうテニスやめますって、どういうこと? になるわ」
「うるせー。私の人生は私のものなんだから、ほっとけマジで」
「その言葉にだけ私も賛成」
飴を歯で砕く音がした。
「梨沙は元々テニスが好きなわけじゃなかったもんね」
「そう、そうなんだよ。ただやったら才能が開花しちゃっただけで」
「自分で言うかそれ、って怒りたいところだけど、ぶっちゃけその通りなんだよねぇ」
「とにかく別にテニスは好きなわけじゃないし、それよりも高校デビューをしたかった」
「あっはは! 綺麗にずっこけたね!」
「ちょっと、ガチで笑わないでくんないかな!?」
ムスっとすれば、少し遠くからイスが引かれた音が聞こえた。
教室で自習していた生徒が教材を鞄にしまい、出て行く。もしかしたらうるさかったのかもしれない。けれど謝るようなことはしないし、それなら図書室でもどこでも、静かなところでやればいい――――なんて思ってるから、高校デビューも失敗するわけだ。
「もっとキラキラした青春が送れると思ってたのになぁ」
「夢と現実は違うよ、梨沙ちゃん」
「だまらっしゃい、美里ちゃん」
にっこり笑ったけれど、美里の言うとおりすぎて何の反論も出来ない。
自分がいわゆるパリピみたいな人間だったら、このクラスで人気者だったかもしれない。楽しい学校生活を送れたのかもしれない。だが、友達作ってリーダーシップを取るような性格はしていないし、絶世の美女だったりしたら、噂の的、告白の嵐、なんてこともあったかもしれない。
(ほんと、現実は厳しいわ)
中学の頃は部活しかしていなかった代償はでかい。
「青春したいわー」
再び梨沙はつっぷする。
「恋愛したいー、彼氏とクレープ食べて帰りたいー、プリクラとか取ってラブラブいちゃいちゃしたいー」
「気になる男とかいないの?」
「いたらもう困っちゃいねぇわ」
「確かに」
美里は舐め終わった飴の棒をティッシュに包み、自分の鞄にしまう。あとで捨てるとはいえ、適当に扱わないそれは、彼女の性格を表している。
いい女だと、梨沙は思う。彼女が自分の親友であるのが素直に嬉しいけれど、中学生だった頃の先輩と今もラブラブな恋人同士なのはいただけない。
自分も部活にいそしむんじゃなくて、女の部分を磨けばよかった。
「つまんない。あー、つまんない」
梨沙は音を立ててイスを引き、立ち上がる。
「ん? 帰る?」
「男子バレー部見てくる」
「は? 突然なに」
美里は首を傾げた。
「彼氏にしたい男を捜すの」
そうだ。パリピになれないけれど、自分で青春をつかみ取る。そうだ、行動しないと何も始まらないし、変わらない。
「・・・・・・あんたのそういうところ嫌いじゃないんだよね、私」
呆れつつも笑う美里に梨沙も笑い、「じゃあ行ってくる」と教室を後にした。
放課後は騒がしい。
授業がある午前と午後半分、そのとき廊下は静まりかえっているのに、部活が始まればまるで祭りだ。
吹奏楽部の音がしているかと思えば、ランニングしながらあげる声。キュッキュと上靴は鳴き、バスケットボールが地面を叩く音が響く。
どこからか笛の音も聞こえるけれど、一体どこで誰が吹いているのか。騒がしすぎて全然分からない。
梨沙は辺りを見渡しながら廊下を歩く。
去年までは自分もこの音の一員だったなんて、思い返せば頑張ったな、自分と褒めてやりたい。
「あ」
適当に歩いていれば、広い中央階段があり、そこで男子生徒が素早く上り下りをしている。
バレー部を見てくると言ったはいいものの、今の時間、バレー部がどこで何をしているか梨沙は知らない。ここの彼らが何部かすら分からない。
(まぁ、バレー部にこだわってないからいっか)
練習を邪魔したいわけじゃない。階段から少し離れ、廊下まで戻る。ちょっと顔を出せば、彼らが視界に映った。ここならきっと邪魔にならないだろう。まぁ練習を覗く女子生徒なんか、不審者極まりないけれど。
(っていうか、練習姿を見て惚れるとか、本当にあるのか?)
汗を拭い、笑顔を見せて、絶対的なエースなら心が動くのだろうか。階段でトレーニングしている姿で惚れる? いや、イケメンを探せばいいだけ。で? それからなに?
(やばい)
思ってもみなかった答えに辿り着き、梨沙は瞬きを繰り返す。口元なんかは勝手に弧を描き、自分自身に驚き過ぎて笑ってしまう。
中学の頃はテニス部。しかも成績優秀。好きでやってたわけじゃないけど、裏ではそれなりの努力をした。だから。
だから?
もしかして、いや、もしかしてじゃなくて。
「私、今まで恋愛なんてしたことないんじゃない?」
いわゆる脳筋という奴ですか?
「あれ、樫成?」
「わっ、はい!」
突然後ろから声を掛けられ、反射的に振り返る。
テニス部をやめてから伸ばしている髪の毛が自分の頬を叩いた。
「・・・・・・澄木田(すみきだ)先生」
黒いジャージ姿に、首からは赤いホイッスル。手でバインダーを持っている。
体育教師である澄木田康斗(すみきだやすと)だ。
「あ、中央階段を使おうとしたのか?」
澄木田は自身の短い髪の毛を掻き、「悪いな」と謝る。眉を下げた彼は確かまだ三十路に届いていなかったような気がする。
「月、水、金はバレー部がここ使ってるんだよ」
「あ、そうなんですね」
どうやら彼らはバレー部だったらしい。たまたまだったが目的の部を発見できていたようだ。
澄木田に謝らせて悪いが、ここで『彼氏にしたい男を捜してるので、見学させてください』と言ったら面談室行きだろう。
無難に彼の会話に相槌を打って、今日はこれで退散しよう。そう思っていたのだが、澄木田は梨沙が思っていたこととは全く違う話を振った。
「樫成って確か前はテニス部だったんだよな?」
「え?」
バレー部についての話しをひとつ、ふたつすることもなく、突然こちらに切り込んでくるとは。あまりに予想外の話に梨沙は一瞬混乱し、けれどすぐに「まぁ、はい」と頷いた。
「大会では一位を総なめだったとか」
「あー、まぁ、そんな感じです」
担任でもない彼が知っているなんて。
テニス部についてはここの高校を受験し、面接の時に聞かれて答えたくらいで、入学してからその話しをされたことはない。多分知っているのは担任くらいだろうと思っていたけれど、どうやら違うらしい。
「もしかして何人か、私がテニス部だったことを知っているんですか?」
「まぁ、全員ってわけじゃないけどさ」
澄木田は爽やかに笑った。
「テニス部の顧問が樫成のことを知ってて、うちに入学してくるー! って興奮して、俺とかバスケ部顧問に話しただけ」
「他の顧問とか先生とか、勿論生徒には言ってないよ」と続けたが、それは全然安心出来る回答ではなかった。
梨沙は背筋に冷たいものが走って行く。
「あ、あの、テニス部の顧問は私のこと、知ってるんですか?」
「そりゃまぁな。中学であれだけ活躍したんだ。どの高校も喉から手が出るほど欲しいと思ってただろうなきっと」
「スポーツ推薦なかった?」と聞かれ、「ありました」と弱々しく頷けば、「だよな」と頷かれた。
「テニス部ある高校なら、その顧問全員が樫成のこと、知っていると思うぞ」
「・・・・・・マジですか」
梨沙は膝から崩れ落ちたい気持ちになる。
テニスをやめると言って、嵐やら台風やら、とにかく色々なところから怒られたり説得されたりした。でもそれは自分の周り、身近な人たちだからだと思っていたけれど、まさか高校にまで自分の名前を知っているだなんて想像したこともなかった。
高校では青春を謳歌したいからという理由でやめていいものではなかったのかもしれない。
(そりゃ少しは反省したけどさ、でもそんな、こんな大事なことだなんて思わないじゃん)
自分の人生だ。好き勝手させてくれ。そう思うのは自分勝手で罪深いものだったのだろうか。
「おい樫成、なんつー顔してんだよ」
ポンと頭に大きな手が乗った。
いつの間にかうつむいていた顔を上げれば、先ほどと変わらない笑顔でこちらの頭をかき混ぜる。
「どれだけ成績が良かろうが、樫成はもうテニスをする気なかったんだろう? ならしなくていいだろ。そりゃ続けて欲しい連中はいっぱいいただろうけど」
澄木田の声、笑みに嘘偽りは見当たらない。
陽だまりのように温かくて、爽やかで気持ちいい風が吹いているような、そんな彼はかき混ぜた梨沙の髪の毛を撫でながら手ぐしで整える。
「お前の人生はお前のものだ。やりたいようにやる。それの何が悪い。お前に期待したのはその周りの勝手だろ。やめたかったからやめた。それでいいんだよ樫成」
「澄木田、先生」
「テニスもまたやりたくなったらやればいいしさ。高校時代なんて短いんだから、いま出来ること、やりたいことを謳歌しろよ」
「周りにいちゃもんつけられたら俺に相談しな」と、最後にまたポンと一度頭を叩いて、梨沙の隣を過ぎていく。
後ろからは「おー、ちゃんとやってるかー?」と、バレー部顧問になった澄木田の声がした。もしかしたら次はここの廊下を走るかもしれない。ならば邪魔しないよう移動しなければ。
(いや、でも待って、こんな、こんな)
手が、足が、身体が震える。違う、震えているのは心だ。
振り返って澄木田先生を見たい。なのに振り返ることが出来ない。
息が上がって、身体が痺れるような感覚で、そんなの初めてで。
(あ、やばい)
そうか、そうだ。
梨沙は唇を噛みしめ、全身の震えを感じるまま弾かれたように走り出す。
元テニス部エース。現役ではないけれど、筋肉はまだ衰えていない。いや、きっと現役の頃よりも足が速かったと思う。きっと今までで一番速く走った。
「美里!」
開いたままになっていた教室に入り、親友の名前を呼ぶ。
「うおびびった!」
「美里、ねぇ聞いて美里!」
談笑していた生徒ももういなくなり、ここには自分と美里だけ。でもきっと、ここに何人いようが叫んでいたに違いない。だって、こんなの初めてなの。
「私、私ね!」
テニスで一位を取った時なんて比べものにならないほどに。
「澄木田先生に、恋しちゃった!」
全身が興奮しちゃってる!
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