美春の狂気

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美春の狂気

「――美春、もうやめない。貴方がいくら脅そうが、泣こうが、怒ろうが、私の気持ちは変わらない。この世から『花音』は消える」 「じゃあ、なに? お姉ちゃんは全て私に押し付けて逃げるって言うの」 「誰も逃げるなんて言っていない。そもそも、美春にとって『花音』って、どんな存在なの?」 「大っ嫌いよ……、みんな花音、花音ってなんなのよ! 鏡レンナとしてデビューしたって、どんなに知名度をあげようと、いつになっても、花音の中の人って言われる。たまったもんじゃないわよ!!」 「だったら、なぜ美春は花音の引退を受け入れないの? 花音がこの世から消えれば、今より活動はしやすくなる。始めは花音の引退で色々言われるかもしれない。でも、そんなのいっ時のこと。すぐ花音の存在なんて、みんな忘れる。芸能界にいれば、わかるでしょ」  目の前に座る美春の顔が苦しげに歪む。  彼女もわかっているのだ。花音が消えた方が、鏡レンナは活動しやすくなると。ただ、それを受け入れられない理由が美春にはある。 「美春が、花音の引退を受け入れられないのは私の存在があるからでしょ。美春はいつまで両親の死を引きずっているの? 私は美春の母親でも、父親でもない。私は貴方の姉であって、親ではないの」 「そんなことわかっている、わかっているわよ……」 「わかっているなら私を美春から解放して。美春、私の人生を返して――」  美春の瞳に涙がたまり、あふれ出す。  子供のようにしゃっくりをあげ泣く美春を見ても心は動かない。  あの日から、私も美春も変わっていないのかもしれない。  両親の死を前に泣きじゃくる美春と、そんな幼い彼女を抱きしめ泣くことを耐えていた幼い私。あの時から、ふたりの時間は止まったままだ。 「ねぇ、美春……、変わらなきゃ。美春には美春の人生があるように、私には私の人生があるの」 「……そんなの嫌よ。お姉ちゃんまで、いなくなるなんて……、いやぁ……」 「美春、私はいなくなったりしない。花音をやめても、美春の姉をやめる訳じゃない。お互いに自立して、普通の姉妹のような関係になるだけよ」 「そんなの絶対にあり得ない。お姉ちゃんは、私の前からいなくなる。だって……、お姉ちゃんは、私のこと憎んでいるでしょ」 「――っ!?」  美春の問いに言葉が出なかった。  すぐにでも、憎んでないと告げるべきだと頭ではわかっているのに、言葉が出ない。心が納得しないのだ。  長い年月を経て積み重なった心の澱みは、自分が想像する以上に深く濁っているのかもしれない。どんなに詭弁を吐いたところで、心は納得しない。  もう、普通の姉妹のようにはなれないと自分でもわかっている。 「そうね……、美春のこと憎いかって言われたら、憎いよ。だって、そうでしょ。今まで、美春に奪われてきたものを考えれば憎くもなるよ。友達、恋人……、それだけじゃないよね。仕事だって、私生活だって、すべて美春の都合に合わせて来た。私の今までの人生すべて美春に捧げてきた」 「だって、それは……、お姉ちゃんの代わりに『鏡レンナ』としてデビューしたんだから、協力するのは当たり前じゃない。私だって、お姉ちゃんのために自分の人生、犠牲にしている」 「私のために美春の人生が犠牲になった? 馬鹿言わないで。誰が美春に『鏡レンナ』としてデビューしてって頼んだのよ。最終的に決断したのは美春よね。都合が悪くなるといつもそう言って、私に罪の意識をすり込んでいた。その言葉がどれだけ私を追いつめていたかなんて、考えもしなかったでしょ」 「違う、違う……、そんなつもりなかった。お姉ちゃんだって、私が『鏡レンナ』としてデビューしてなかったら二人で暮らすなんて無理だった。伊勢谷のおじさん達のお世話になって、今より自由な生活なんて出来なかったはずよ。そうよ……、そう、感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなんてない!」  そう言って笑い出した妹はきっと、勝ちを確信したのだろう。いつもと同じように、私を言い負かし、自分の思い描く結末を迎えられると。  ただ、彼女はまだ知らない。  私が美春の稼ぎに頼ったことが、一度たりともないと言うことを。 「確かに『鏡レンナ』デビュー当時は、美春の稼ぎが無ければ、二人で暮らすなんて無理だったかもしれない。ただね、それは美春、貴方にも言えることなのよ。当時、『花音』としての活動を私が続けていなければ、二人での生活は出来なかった。いいえ、鏡レンナデビュー当時、二人の生活費をまかなっていたのは、美春じゃない。私よ」 「そそ、それは……、デビュー当時の話でしょ!! 鏡レンナの知名度が上がってからは違ったはずよ!」 「じゃあ、聞くけど。美春は、一度でも生活費を払ったことがあった? 家賃、光熱費、食費……、二人で生活していくための諸々のお金、美春は一度でも出したことがあった?」  私の指摘に、美春の大きな瞳がさらに見開かれる。今やっと、私が言わんとしていることを、美春は本当の意味で理解したのだろう。  今まで自分が脅しに使っていた『言葉』が、なんの意味も持たなかったということを。 「そんなことない!! お金の管理をしているのはお姉ちゃんじゃない。そんなこと言って、私の口座から勝手に生活費引き出しているんでしょ。調べれば、わか――」 「そうね、調べればわかる。美春が稼いだお金に、私が一切手をつけていないとね。それだけじゃない。美春は一度でも、二人で暮らすための家事、したことがあった? 生活する上で必要な家事全般、すべて私に押し付けていたよね。そんな当たり前のことすら、私に言われなければ気づきもしなかったでしょ」  とうとう言葉を発しなくなった美春を見つめ、静かに言葉を紡ぐ。 「美春にとっての私って、なに? 何でも言うことを聞く都合のいい母親と一緒?」 「……ち、ちが――」 「違くないでしょ。美春だけが悪いとは言わない。貴方のわがままをすべて受け入れてきた私も悪い。両親が亡くなって、美春を守らなきゃって必死だった。自分がお父さんやお母さんの代わりにならなきゃって。お姉ちゃんなんだからワガママを言っちゃだめ、自分が我慢すればすべてが丸く収まる。そうやって、ずっと我慢してきた。でも、それじゃダメなんだって、気づかせてくれた人がいた」  颯真さんの顔が脳裏を過ぎり、自然と笑みが浮かぶ。  彼との出会いがすべてを変えた。そして、彼の言葉が、私に一歩踏み出す勇気をくれた。 「――それが、あの男だった。とでも、言いたいの! それでなに!? お姉ちゃんは、花音をやめて、私を捨てて、あの男の元へ行くの。そんなの許せるわけないじゃない!! 私から離れるなんて、絶対に許さない!」  仄暗い目をして、こちらを睨む美春の狂気に晒され、背が震える。   今までの美春とは何かが違う。そんな予感が頭をかすめ、落ち着かない。  美春にとっての私とは、死んだ両親の代わり。  ずっと、そう思ってきたが、その考え自体が間違っていたとしたら――
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