転落 3

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転落 3

「なぁにKちゃ……何なのその血溜まり!」  肩幅と身長の大きい人物が赤い巻き毛を背中に投げ飛ばしながら走ってきた。Kと同じ深緑色の制服を着ているが腕章とネクタイの色は水色ではなく明るい緑色だ。そして縁には金色の刺繍が施されている。緑色は一班の、刺繍はリーダーの証だ。  セドリックは血溜まりの中心に横たわる男を助けようと駆け寄るが、Kの隣に浮かぶ白髪が視界に入った瞬間身を強ばらせて攻撃態勢を取った。 「あっはっは、予想通りで意外性のない反応。お邪魔してまーす」  アーデアはふらりとKの肩に座った。長きに渡る全力の祈りに疲弊したために「重い」と言うだけの隊長に眉をひそめるも、攻撃命令がかからないので警戒するだけで何もしなかった。 「本当にユニオンの人達は面倒だねぇ、自分で判断したらどうだい。でも私に勝てないのが分かって攻撃してこないのはいい所だ。うちの馬鹿共にも教えてくれよ」 「あんたんとこの馬鹿達に殺られてしまえばいいんだ」  吐き捨てるように言うが、いまだに肩が上がっていた。 「はぁ、私とまともに話が出来るのはいいが、口が悪いのはよろしくない」  セドリックは戦闘が始まるかもしれないと右手を胸の前に構え、防御の姿勢をとる。そこへKの声が届いた。下瞼には隈が現れ、全体的に肌が青白く変わっていた。見開いた蒼眼は小さく絞られ、呼吸は荒く細い。 「リック、私の治癒を。死神はシカトしてください」  顔を見てぎょっとしたセドリックは、名前の頭文字を呼ばれると同時に隊長に光を放った。貴祈権(ききけん)は傷の治療もできるが、精神的な疲れにも効くのだ。ただ、自身には使えないことと病には効かないという欠点もある。また、貴祈権に限らず全ての権力は心で使うため、永遠に疲れ知らずのまま戦える訳でもない。疲労回復をした術者に疲労が溜まる。 「シカトも良くないねぇ、悲しいじゃないか」  アーデアは口を尖らせるが、六百年の間で慣れているので目はケラケラ笑っていた。  セドリックはアーデアから攻撃されなかったことで息を吐き、ほとんど死体同然の怪我人の傍にしゃがんだ。女性らしく汚れを気にして、膝をつかず膝裏にコートの裾を挟んだ。 「なんでそんな出力の貴祈権使ってんのよ、まず傷口を塞ぎなさ……」 「隊長命令に従え」 「は、はい」  血は地面の微かな傾斜を読み取り、根を避け小石を飲み込み流れていく。海はセドリックの靴底を舐めて進んだ。彼女は靴が汚れたことに気がついてはいたが、一瞥するのみに留めた。これ以上気にしたら上司から怒られると察したのだ。  顔色の戻ったKの貴祈権でゼンの傷も治りつつあり、それに伴って出血量も多くなった。セドリックは改善したことを確認して祈りを終えようとし、Kに止められた。 「これからが本番です、リック。気を引き締めて」 「了解」  解けかけた祈りをもう一度送り、上司の一挙一動に目を凝らす。Kはアーデアに視線を送り、自分のマントの切れたあたりに人差し指と中指を置いた。 「違う違う、直角にしないと」  肩から動かして指の向きを変える。歯の間から深呼吸をふたつしてとうとう心を決めた。  辺り一体に断末魔のような叫びが響き渡る。熱と耐え難い苦痛に突き刺され、歯を食いしばって堪えようとするが、それでも意識は容易く飛んだ。しかしセドリックにかけさせた貴祈権がそれを瞬時に引き戻し、地獄のような一瞬を何度も経験する。左手が右の腿を押さえ、右手は嘔吐を押さえ込んでいた。  斬り落とす時の音はなく、制服に血が滲んで広がるまでセドリックには何が起きているのか理解できなかった。ただ聞いたこともないような大声をあげるほどの非常事態を自分自身の手で引き起こしたのだと理解し、足に意識を向けようとした。 「ストップ。K、ゼンの治癒を変わってもらいな。君は馬鹿なのかい、麻痺もせずやるとは」  目を見開き、袖を噛んで必死に痛みを耐えながらKはずっとゼンにかけていた貴祈権を解き、セドリックに目で訴える。 「り、了解……」  Kにかかっていた貴祈権が切れた瞬間飛びそうになった意識を気合いで強引に繋ぎ、酸っぱい口で上着の端を噛んだ。 「ゼンの気持ちが、よくわかりました」 「よかったね。さてK、ここから集中して。自分の方に残ってる血管は見える? 血が出てる方と出てない方があるはずだ。それを操身権で繋げ。遅くなると意識が飛ぶからね」  顔色の悪いKは気力を保ちながら察近権を使い、流れ出す血を無視してその下の組織を見た。肉眼で見たら血液に埋もれ分からないものだが、権力を使って見ると確かに何本も管らしきものがある。Kは言われた通りそれをカギ型に操ってふたつをひとつのアーチ状にしていった。失血量が深刻になる前にみるみる血が止まり、残すは腿から先消えた感覚と切断面の痛みだけだった。 「……アーデアさん、何かしました?」  急に引いた痛覚に呆けるように上着を放す。アーデアの手からは消えかけの細い光が出ていて、その先は切断したての足に繋がっていた。 「なに、ちょっと毒を仕込んだだけさ、麻痺しただけだから少し経てば復活するよ。次からは自分でやるといい。さっきの君はあまりに酷い顔だったからね……しかしまさか自分でやるとは思わなかったよ。自傷に使うエネルギーは他人を傷つけるのとは比べ物にならないんだ、それこそ精神的に追い詰められでもしないと。君にそこまでする覚悟があったとは感心したよ」  アーデアは光を収め、両手を叩いて笑った。 「さぁ次だ、ゼンの貴祈権を交代。赤髪の君はKが固定した血管を貴祈権で繋ぐんだ。繋がったら骨だけを断面から指間接ひとつ分切って、丸く整えて。できた? 粉ひとつ残らず外に出すんだよ。そうしたら操身権は傷口を皮膚で覆うことに使え、意外と人間の皮膚は伸びるものでね」  浅い呼吸を不規則にしながら死神の言う通りにする二人。右脚の輪切りにされた断面は血液が染み出てこなくなったことでくっきり浮かび上がり、作業は肉眼でも分かるようになった。ほとんどKが自分で行ったが時折セドリックも援護しつつ、無言でやったことも無いアナログな治療を進めていった。  やがて血管も全て繋がって、骨や神経も伸ばした皮膚の中にしまわれる。突っ張る感覚に眉をひそめながらも、Kはアーデアを呼んで正解だったと密かに息をついた。  Kはゼンの開き始めた傷を閉じることに意識を向けながら、自分のものだった足がゼンの元に運ばれていくのを奇妙な目で見ていた。 「次は分かるかい」 「全組織を繋げれば良いんですね」 「そう簡単に行けばいいけどね」  Kが血液の中で血管の位置を合わせたのと同じように、アーデアは察近権を使って足と胴体の場所を調整した。 「合わないな。君の足は細すぎる」 「喧しいですね、貴方よりはありますよ」  痛みは麻痺しているものの、当たり前のようにあった足が綺麗さっぱり消えていることへの違和感が残る。ずっとゼンから目を離さないのは彼を案じての事だったが、自分のことから目を背けているようでもあった。平然を装ってはいるものの体が震えているのを案じたセドリックが、隊長を心配そうに見下ろしている。 「つける時には蝕霧権(しょくむけん)を使って拒絶反応を相殺するんだ。毒を以て毒を制すって言うだろ? やらないとどんなに頑張ったってくっつかない。赤髪の子は貴祈権で延命を、その間にK、君が足をつけるんだ」 「だそうです、リック」 「了解」  丁寧にレクチャーしているのにどこか気だるげなのは、アーデアの飽き性の証拠だった。今にも帰りたそうなアーデアの言った通りにするのは二人ともいい気持ちでは無いが、見ず知らずとはいえ怪我人を放っておく心も持っていない。それが二人が貴祈権を使える所以で、アーデアが使えない理由だ。 「始めます」  紫色の光がKから溢れ出し、アーデアに押し付けられた断面で全ての血管や神経やその他組織がうねり始める。対になる相手を探し、見つけたものから結合した。しかし全て治っていないにもかかわらず治癒の光は止んでしまった。Kは焦ったように顔を上げる。 「残りの先が見えません」 「だから言ったろ、筋肉量が違いすぎるんだ」  今度はアーデアの手元に小さな球が作られ、薄い線のような光が繋がりかけの足に届いた。Kが見つけられなかった細い管のもう片方をやや太めの筋肉の中から引っ張り出し、正確な位置に持っていくとそれをKが繋げた。骨の太さもやや違うので削って調整し、余った皮は切り取って傷口を完全に塞いでしまった。  四肢欠損男にやや白めの足が生えた。地面に流れ出す血の量も単純に四分の三になり、元Kの足に血色が戻ってくる。貴祈権を止めて全て上手くいったことを確認しほっと一息吐いたKも、ゼンの治癒をかけていたセドリックも瞼に疲れが見えていた。時間もそろそろ真夜中で、最も権力が使いにくい時間だ。地底中に散らばっている星のような魔石は眠るように光を消していて、辺りには闇がたちこめていた。 「これを……あと三回」  ゼンの命と引き換えに自分が死ぬんじゃないかとさえ思いながら両手を擦り合わせた。 「もう帰るよ」 「ちょっと待ってください!」  アーデアはやり方さえ教えればもう自分に出来ることは無い、とKが引き止めるのも聞かず飛んで行ってしまった。この先成功したか失敗したかは、ほとぼりが冷めた頃ユニオンに攻撃を仕掛ければわかる。アーデアにとってたった一人二人の生死など重要なことではなく、それは血を僅かにでも引くKでも同じことだった。そして、彼にはKもゼンも死なないだろうという確信があった。敵ながらKの貴祈権の上手さは認めている。兵にどんな酷い怪我を負わせても、それこそ半身が吹き飛んだってKが戦場にいる限り次の瞬間無傷に戻っているのだから。 「欠損しても一秒以内に祈れば治る、か。デタラメだよアベル、君の血を継ぐ者は」  それをあの赤い男女(おとこおんな)が出来れば二人とも健全でいられたのだろうが、彼にはその素質は無い。Kが異常なのだ。
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