転落 4

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転落 4

***  その日も北領(ほくりょう)では昼過ぎから雪が降っていた。悴む手を握りしめ、騒ぎの様子を見に走る男がある。接地面の広い靴を履いていても腿上げをしなければ進めない積雪量にも慣れたように軽快な走りを見せた。 「ゼン! 遅せぇぞニセ領主」  ゼンは手を振る人を認めてスピードを緩め近づくと、黒い長髪に積もった雪を叩いた。乱れた髪に何度か指を通すと、懐から白い紐を取り出して咥える。首に両親指を当て髪を一気に高くまとめると、まだ絡まったままの毛束も関係なく結わえた。 「これでも飛ばしてきた」 「へいへい」  軽くなった首周りに満足し、鉱山の柵を軽く飛び越えると、奥から金属の高く通る音が響いてきた。規則的なそれはまだ昼餉には早い時間であることを物語り、作業が始まってから数刻は経っていることも意味する。一方右手からは怒号と不規則な重い音がしていた。見ると大きな人だかりが出来ており、そこだけ雪が荒っぽく踏み固められていた。ゼンは彼を呼んだ男に付いて行き、土と汗臭い大男の大群をかき分けて喧嘩の中心に躍り出る。 「あっは、領主サマじゃんこーんにーちわー」 「……また君か、フラム」  フラムと呼ばれた男は赤いエクステをひと房入れた金髪で、肩より長い三つ編みを振りながら嫌らしい笑みを浮かべていた。ゼンの姿を見ると近くにいた男の背中を飛び越えて目の前に立った。背の高いゼンを見下ろせるくらい高い身長はそれだけで威圧感があり、胡散臭い雰囲気と相まって逆らい難くなっている。左右で違う色の瞳はどちらも見たことの無いような奇抜な色で、左目には大きな星型が描かれていた。そして耳どころか唇にまでピアスが空いていた。 「そう、オレまた来ちゃったぁ。嬉しいっしょ」  体を左右に揺らしながら不敵に笑う彼は、北領だけでなく全国で事件を起こすことで有名だ。北領主であるゼンの耳にも、西領で農民一揆を引き起こしたとか、中央で権力者と戦って逃げたとかいう情報が届いていた。中央にいる王曰く「出会ったら直ぐ追い出せ」との事だが、まだ使っている坑道の入口を塞がれて黙っていられるような甘いお人好しはいない。その時は運良く中に誰もいなかったのでこうして仕事に取り掛かろうとした男達に囲まれているのだが。  まだ誰も坑道に入っていない朝方から始まりまだ終わらないこの乱闘騒ぎも、フラムがわざわざ長引かせて仕事を中断させているのだ。フラムに放り投げられた華奢な男は集団に体当たりし、鼻血を垂らしながらクッションとなったゼンに向かって拳を振り上げた。 「あんたのせいだ」 「何が? 君フラムに何を吹き込まれた」  ゼンは咄嗟に男の胸ぐらを掴んで振り回し雪に伏せた。胸から空気の塊を吐き出した男は、顔を歪めゆっくり起き上がり、身体中の痣に雪を擦り付けた。 「俺達の領主様はお前みたいな黒い髪をしてない。ケインの血を継いでるなら金色の髪なはずだろ!」 「何の話……」 「そうだそうだ」 「お前がフリースヴェルグを名乗るな!」  ひとりが言い出すと他の男達も便乗して騒ぎ出し、最終的にゼン対領民の乱闘騒ぎになった。嵌められたと思ったのもつかの間、前後左右から羽交い締めにされ、雪に顔を押し付けられる。しかしそこでゼンは力を振り絞り、顔を上げて叫んだ。 「前領主(カイ)を穴に落としたのはお前だろう、フラム!」  民衆の動きがピタリと止まった。乱闘を遠巻きに見てくつくつ笑っていたフラムは、全員の目線を集めて小さく舌を出す。ゼンの腕や髪を離した男たちは、今度は異邦人に詰め寄った。 「どういうことだてめえ」 「いやいやいやいや、オレ知らないよぉ」  両手を顔の横でヒラヒラ振りながら後退りしたフラムだが、柵に左手が触れると飛び越えて雪の向こうへ走る。一度だけ振り向くと下瞼を引っ張って舌を出した。 「余計なことしやがって」  這い上がりながら苦い顔をしたゼンは、振り向いた民衆にいつも通りの目を向けられ、いつも通りの目を向けた。領主と言う割には尊敬されておらず、口うるさい監査官のようだった。 「嵐になりそうだ。空の色が変わる前に片付けて早めに飯を食え。坑道にいるものは今すぐ撤収させろ。再開は空の色を見て各リーダーが判断を。フラムについては私が調べておく」 「へいへい、りょーかいしましたニセ領主サマ」 「あいよ」  面々は適当な返事をしたが、聞いてはいたようでそれぞれ持ち場に戻って行った。雪が降るだけならいつもの事だが、東の空が不気味に黒ずんでいた。ああいう雲は雷になることが多く、金属を掘り出して山にしている場所には特に落ちやすい。さらに鉱山そのものが高いところにあり、雷雲はたいてい高い場所を狙って襲いかかった。 「私じゃなかったら誰が領主になる?」  城に戻ろうとしたゼンはふと立ち止まり、言った。 「さあね。フラムでいいんじゃね? ほら頭金色だし」 「……そうか」  領主に求められているのはその程度のものなのかと肩を落とした。ゼンだって好きでこんな役職についている訳では無いのに。  以前の領主だったら交代など望まれなかっただろう。領主として必要なのは性格の良さでも頭の良さでもなく、皆の信頼だった。北には初代領主のケインは天才だったと伝わっている。だから北民はケインの血を継ぐ者を敬い、従ってきた。彼らには信じる物が必要だったのだ、北を太古の昔滅ぼしかけた神アーデア以外の。  ゼンは姓こそフリースヴェルグだが、前領主までのような金髪でもなければ碧眼でもなかった。顔つきは先代に似ているものの、どこにでもいる黒髪黒目をしている。そこに崇拝する理由はない。  そもそも彼は先代の子では無い。無から突然発生した孤児(アスク)だ。親はなく、血筋も無い。  この世界では何も無いところに急に赤子が現れるということも不思議ではなく、そういう生まれの象徴である黒髪黒目もありふれている。世界が産み落とした子だと古くから伝わっているが、神が産んだ訳では無いので特別丁重に扱われることも、反対に邪険にされることも無い。ただ生まれた場所によっては衰弱死する者も多く、世界に産み落とされた孤児(アスク)のうち成人できるのは一割にも満たなかった。  ゼンはたまたま主の消えたタイミングで北の城に生まれたから、運良く拾われフリースヴェルグの姓をつけられた。しかしそれ以外は領主となりうる特筆すべき理由がなかった。 「フラムに北を盗られるのは癪に障るな」  口の悪い領民に心からの信頼をされたことはないが、風景は気に入っていたので北領に愛着があった。標高が高く木も生えない山脈に雪が降り積もり、風裏では岩が露出している。少しでもなだらかな場所には家や道が立ち並ぶが、土地が足りなくなると山肌を削ったり支柱で支えたりしていた。特に城は崖にへばりついているような作りで、居住区の一部は大昔の坑道を再利用していた。四本の塔は針のように高く尖っており、頂上から長い金属が突き出ている。  ゼンの言った通り風が荒れ、黒い雲から落ちた轟音と眩い光が塔に吸い込まれていった。北に起こる雷の一割は城に落ちると言われている。初代ケインがこんな雷だらけの場所に城を構えたのは、下の方に住む領民に被害を出さないようにするためだった。塔が避雷針となり、雷を集めているのである。 「今日も燃えなければいいが……」  次々と実家に落ちる雷を見ながらゼンは独りごちた。避雷針になるのはいいが、そのせいで昔から城の火事が問題となっていた。塔も数年前は五本あったが、そのうちの一本は現在修理中である。
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