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夏海に連れられてきた場所を見て、陸は固まっていた。
山の中の渓流だった。ちょうど流れがぐにゃりと曲がっているところで、陸たちは淵側に立っている。見下ろす流れはゆらりと穏やかで、川の色は深い緑に染まっていた。
「どう? 涼しいでしょ」
夏海の言うとおり、とても涼しかった。日差しは木々に遮られて木漏れ日となり、絶えず流れる冷たい水に熱気も追い払われている。避暑にはもってこいのその場所で、陸は微動だにしなかった。
「で、この岩。登るから着いてきて」
夏海は傍らにそびえる大岩をぽんと叩くと、岩肌のくぼみを利用して登り始めた。慣れているのか、すいすいと登っていく。
着いてきてと言われた以上、陸としては着いていく他ない。夏海が登ったあとを一手ずつ一足ずつ、ゆっくりと確実に登っていく。幸い、陸の身長と体力なら苦労せず登り切れる岩だった。
「登れたね、えらいえらい」
夏海は褒めてくれたが、陸はそれどころじゃなかった。なぜこの岩に登ったのか、その理由は容易に想像できる。故に陸は気が気ではない。今にも岩の上にへたり込みそうだ。
そんな陸の不安と焦燥は、残念ながら夏海には通じなかった。
「そんでね。この岩、度胸岩って言ってね。地元の子ども達が度胸試しに使うんだ」
そう説明した夏海は岩の上を数歩、川とは反対方向へ歩き、振り返ると、
「こんな、風に!」
だっと駆け出すや、陸の前を通り過ぎ、岩の端から向こうへ──跳んだ。
遅れて、どぶんと大きな水音が響いた。陸がおそるおそる覗き込むと、波紋と白泡が川面に漂うのが見えた。
ざばと、夏海が顔を出した。目を閉じたままの顔をぶるぶると左右に振り、度胸岩を見上げる。覗き込む陸と視線が合った。
「冷たくて気持ちいいよ! ほら、陸も!」
度胸岩から少し離れた水中に浮かんだまま、夏海が手招く。
──やりたくない。
夏海を見下ろしたまま立ち尽くす陸。嫌だ、跳びたくない、正直に無理だと言ってしまえばいい、それでいいじゃないか、何も恥ずかしいことじゃない──心の中に弱さや怖さがいくつも浮かぶ。
陸は頭をぶんぶんと振り、無理やりにそれらを振り払った。
夏海がやったように岩の上を後退り、深呼吸ひとつ。ギュッと目をつぶり、震える足を叱咤し、
──負けたくない。
かっと目を開くと、駆けて、跳んだ。
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