彼氏が風邪を引きまして。

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 明日身に付ける下着、服、アクセサリー、ネイルパーツの選定、カラコンとヘアセットの道具チェック。外出用の財布には必要なだけ中身を移し替えておく。デートの準備は前日に全て済ませておくのが彼女の主義だ。そのためにチェック表まで作っている念の入れ具合である。 「よし、と」  自室でひとり満足げに呟いてベッドに転がり明日のプランを再チェックする。行くべき場所、交通機関、ランチにカフェ、帰りの想定時間まで。昨日今日とあいにくの雨模様だったけれども夕方には雲も切れていたし明日の予報は一転して快晴。特に憂いは無いだろう。  几帳面にスマホのメモに打ち込んでいると、ぴろりんとメッセージ着信の音が鳴った。発信者はオサム。彼氏であり明日のデート相手だ。 【すまんフミ、明日の予定はキャンセルさせてくれないか】  前日の夜になってからそういうこと言う? と一瞬苛立ちが頭をもたげるが、感情的なメッセージを送り付ける前に大した理由もなくドタキャンするような相手ではないと考え直す。 【どうしたの急に。なにかあった?】  モヤっと微かに残る苛立ちを表に出さないように、しかし即答も避けて問い返す。 【昨日ちょっと雨に打たれたからか、熱がな……】  回答とともに土下寝ポーズの犬のスタンプ。  なまじ体力があるものだから甘く見たのだろうか。ともあれ彼が体調を崩すのは、付き合い始めてもう三年にもなるが初めてのことだ。相当の珍事と言って差し支えない。  彼女、フミは目を閉じると深いため息をひとつ吐いて気持ちを整えてから返事を打ち返す。 【仕方ないわね、明日は大事にしときなさい。薬はあるの? 食事は大丈夫?】 【薬は、無いけど熱だけだし冷却シートがあるから大丈夫だと思う。メシはカップ麺の買い置きがあるし】 【そう。まあ無理しないようにね】 【ほんとすまねえ】 【いいから寝なさい】  最後のメッセージに既読が付いてやり取りは終わった。 「あ〜あ、もう……」  仕方ない。本人の油断はあっただろうけど誰も好きで風邪を引くわけがない。わかっている。そうでなくても少々なら無理しがちなのが彼の性分だ。本人が無理だと口にしているときくらいむしろしっかり休んで欲しい。  けれども、そうは言ってもやはりがっかりせずにいられるわけではない。 「明日どうしようかな」  沈んだ気持ちで目を閉じる。しっかり準備してしまったものの、フミ自身はひとりで着飾って出掛けるような性格には程遠い。かと言っていまさらなにもない休日を過ごすのも釈然としない。  ふと、先程のやり取りが思い返された。薬はない。食事はカップ麺。彼女である自分が訪ねていく理由としては充分ではないだろうか。 「そうだ、アイツの部屋へ行こう」  目を開き、確固たる意志を込めて呟く。 「彼女がお見舞いに行って悪いことなんかあるはずないわ。……ひ、昼間だけだし」  オサムのアパートは引越しを手伝ったので場所は知っている。念のためにと合鍵も預かっているが、ひとり暮らしの彼氏の部屋に上がり込むのは高校生の自分にはまだ早いと、堅物の彼女は滅多に行こうとしなかった。  思えばこれもひとつの非日常的イベントであり、オサムの健康的な頑丈さを考えれば、本人には悪いが次はいつになるかわからない千載一遇のチャンスでもある。
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