2770人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
番外編 君を訪ねて
「これが、その書類です」
「……見せていただくわ」
女将は彼の手紙を読んだ。
「誰とは書いていないけれど、誰かの警護をするのね」
「自分はお答えできません」
「……最近、政局が不安定だけれど、こんな温泉街に関係あるのかしら」
女将の鋭い視線に武は彼は目を伏せた。
「お答えできません」
「こんなに旅館があるのにうちに勤務したいなんて、まさかその対象者がうちにいる、なんてことはないでしょうね」
「……お答えできません」
武の態度に女将は片眉をあげた。
「答えているようなものじゃないの。まあ、いいわ……そして、あなたの所属は秘密警察ね」
彼は女将が読んでいる間に補足説明をした。
「上官はいつもここに泊まると聞いています。何より女将の待遇が素晴らしいと」
「そんなことはどうでもいいわ。で? ここで働いて秘密の任務をする、と」
「はい」
「内容を詳しく言えないのはわかりますが」
女将は弱り顔で首を捻った。
「うちの従業員や、お客様に迷惑が掛かるのは困るわ」
「十分、配慮します!」
「加えて。あなた堀田様の息子さんなのね」
「はい」
女将は書類を机に置き、武をきっと睨んだ。
「露子を追い出しておいて……よく顔を出せたこと。さすが寛永さんの息子さんね」
「言葉もありません」
武は目を伏せてから女将に顔を上げた。
「確かに。露子は我が屋敷において、苦労ばかりしていました。自分は堀田家を代表して彼女に謝りたいと思います」
「謝って済むことなんですか。だいたいあなたの父親はね」
女将は寛永が露子を連れ出した経緯を話した。武は初めて聞く話だった。
「そうだったんですね。実は我々は露子が父の愛人の娘だと、勘違いしていたんです」
「まさか? 寛永さんは否定していたでしょう」
「はい。でも父は露子を信用していたので」
武の悲しげな顔に女将も眉を顰めた。
「確かに。寛永さんとは『露子のこと』を詳しく話さない約束で送りだしたから、私のせいかもしれないわ」
「『露子のこと』というのは、人を見抜く力のことですか」
「あなたは知っていたのね」
「はい。その理由はわかりませんが」
女将は露子が人の仕草を学んでいたと話した。
「あの子は他にも人の些細な点を見ていると思うわ。それを判断材料にして見極めているとだと思います」
「仕草? なるほど……」
「まあ。今更知ったところで堀田さんには関係ないでしょう」
「女将!」
「な、なんですか」
武は座布団を降り、両手を付いた。
「自分は、ずっと露子を妹だと勘違いしていたんです! ですが、本当は露子が好きでした」
「あなた……」
「大切にしたいんです! 今回は任務で来ましたが、どうかどうか」
「…………」
……堀田家の三男で、軍人の男が頭を下げるなんて。
多くの人を見てきた女将は、プライドを捨て謝る武に驚いた。女将は武や堀田家の人が露子のことを誤解していたのは自分にも非があると思い、唇を噛み締めた。
……ここまでするなんて、これは本気のようね。
「わかりました。あなたを雇いましょう」
「本当ですか?」
「断っても無理そうですしね。ああ、仕事はちゃんとやってもらいます。それに露子のことですが、それはあなたが責任を持って謝ってください。まあ、あの娘が受け入れるかは知りませんが」
「ありがとうございます! ああ……良かった」
安堵のため息をついた武に女将はお茶を勧めた。
「安心するのは早いでしょう。露子は頑固だから、あなたを許さないかもしれないわ」
「……そうですね」
「あら? 自信がないのね」
武は真顔でお茶を飲んだ。
「露子は、自分を許さなくてもいいんです。それは仕方がないことなので」
「諦めるということ?」
「いや? そうではありません……」
武は顔を上げた。
「とにかく。気持ちを伝えます。それだけです」
……まっすぐなのね、眩しいわ。
女将の許しを得た武は、女将の指示で旅館の着物に着替えた。
「さて、着替えましたよ。女将、露子はどこですか」
「待ちなさい。今は忙しいの」
紹介は後、と言われた武は、することがないので薪が積んである裏庭にいた。
……あ? あれが露子だ……
長い廊下を歩く露子が見えた。葬式で会った時より、ふっくらしていた。暑いせいか頬が染まり必死に仕事をしていた。
……おお……やはり露子が一番美人だな。え、こっちに来る?
薪を取りに来た露子に、武は顔を隠し対応した。
「これか」
「は、はい。あの、あなたは?」
……くそ、こんな形で会うとは。
武は必死に顔を隠し、露子に渡した。
「まだ使うのか」
「いいえ。これでいいです」
……どこかで聞いたような声ね。
露子は不思議そうにしていた。武の心臓はドキドキしていた。
「ありがとうございます」
「あ、ああ」
彼にお礼を言い露子は戻っていった。武はドッと汗をかいた。
……早く、紹介してもらわないと。俺の身がもたない。
武は女将を探しに旅館に戻った。その胸は露子に会える嬉しさでいっぱいだった。
fin
最初のコメントを投稿しよう!