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【優視点】
店を出て行く鈴香さんの背中を見送り考える。真紘さんと鈴香さんの間に何があったのだろうかと。
空いたグラスを片付け、カウンターを拭きつつ彼女との会話を振り返る。
誤魔化してはいたが真紘さんの名前を出す度に、ほんのりと染まる頬が、鈴香さんにとって真紘さんが特別な存在だと知らせていた。
二人は恋人同士なのだろうか?
あの日以来、クラブに来なくなった真紘さん。鈴香さんをお持ち帰りしようとしていた俺に向けられた怒りは本物だった。背をビリビリと震わすほどの威圧感と怒声に、真紘さんの逆鱗に触れてしまったと気づいたが遅かった。あの時、ボコボコにされなかったのは、最後の温情だったのだろう。
あの日から真紘さんとは連絡をとっていない。
このBARにも顔を見せなくなった事からも、真紘さんの怒りは相当なモノだったと理解している。
鈴香さんは、真紘さんとの関係を否定していたが、お互いがお互いにとって特別な存在であるのは間違いない。しかも、連日のヤケ酒とも取れるBAR通いは、二人の間で何かあったとしか思えない。
このまま鈴香さんの行動を見て見ぬフリを続けていいのだろうか。
真紘さんには、計り知れない恩がある。
キャバクラのボーイとして働いていた時、その店の上客とトラブルを起こしクビになった俺を、このBARで働けるように口利きしてくれたのが真紘さんだった。当時、クラブで王のように君臨していた真紘さんと俺との接点なんて、ほとんどなかった。よく連んでいた仲間に紹介してもらい、二言三言会話が出来る程度の付き合いしかなかった俺の事なんて記憶にすら残らないだろうと思っていた。
住む世界が違う人。あの退廃的な世界の王と平民程には距離感があったと思う。
もちろんそんな俺が、仕事をクビになろうが生活に困窮しようが、真紘さんには関係ない事で、たとえ小耳に挟んだとしても俺を助けようとは考えないのが普通だろう。
しかし、真紘さんは違ったのだ。
ただの知り合い程度の俺の為に、自身が働いていたBARのオーナーに頼み込んでくれた。後から知った話だが、自分の代わりに雇ってくれてもいいと直談判しに来たとオーナーから聞いた時は震える程感動したのを覚えている。
いつだったか、真紘さんに聞いた事があった。どうして知り合い程度の俺を助けてくれたのかと。
一言、『お前が気に入ったからだ』とだけ、素っ気なく言われた言葉が今でも俺の中に残っている。
あの時から真紘さんの存在は俺の目標であり、特別な存在なのだ。
ただ深く付き合えば付き合う程、深まる疑問。仲間想いの行動を取る反面、周りに侍る女に対する態度は辛辣で、彼を巡って女達が争おうが、良い雰囲気になった女が他の男に奪われようが無関心。果ては、真紘さんを束縛するような言動を取ろうものなら、泣いて縋られようが容赦なく切り捨てる。そんな態度を貫く真紘さんを見て、女に言い寄られ過ぎて、女が嫌いになったのではないかと思っていた。
鈴香さんがクラブに現れるまでは。
道端で真紘さんと鈴香さんに、たまたま出会った時から、真紘さんの態度は少し変だった。連れの女達が無理矢理、真紘さんの腕を取らなければ、あの日彼らがクラブに来る事はなかっただろう。
酒に酔い、真紘さんに偶然会った事でテンションが上がった女達は気づいていなかったが、腕を絡ませた女を見下す真紘さんの瞳は、今まで見た事がないほどの辛辣な視線を送っていた。
あれは、完全に鈴香さんとの二人だけの時間をぶち壊しやがってと無言の威圧を女達にぶつけていたと思う。しかも、鈴香さんの監視を俺に頼む程の熱の入れようだ。あれで、二人がただの同僚だなんて誰が信じるだろうか。
ただ、あの時の俺は本当に馬鹿だった。
冷静に考えれば、鈴香さんが真紘さんの大切な人だと分かりそうなものなのに、そんな女性を持ち帰ろうだなんて、アホとしか言いようがない。
あぁぁ、あの日の自分を殴りたい。
ただ、鈴香さんって俺のどストライクなんだよなぁ。
あのちょっとお姉さん振る感じとか、悩んでいる時の物憂気なため息とか、ちょっとエッチな話になるとわずかに頬を染めて慌てる感じとかスレてなくて、唆られる。それを無自覚でやるものだから、ギャップにハマる男は嵌まってしまう。あの時の俺が血迷ったのも、鈴香さんのせいだ。
理不尽な八つ当たりをしているのも自覚している。ただ、彼女の事を意識し出したそばから、失恋決定だなんて悲し過ぎるのも事実で、はっきりしない二人に少しくらい苛立ちをぶつけても良い気がする。
本当、さっさと、くっついてくれ……
このまま見て見ぬ振りも出来ないし、彼女の周りでウロつく輩も気になる。
あの男は気づかれていないと思っているのだろうか?
鈴香さんは気づいていないが、彼女が来店する度に、時間差で頻繁に現れるスーツ姿の男。彼女が見える位置に必ず座り、ジッと鈴香さんを見つめている。たぶん気づいているのは俺くらいだろう。
ストーカーか?
スマホを取り出し、メール画面を開く。
『真紘さん、お久しぶりです。鈴香さんの事でお伝えしたい話があります。お会い出来ないでしょうか? 急を要する案件も有りますので、出来るだけ早く連絡を頂ければと』
着信を告げるスマホのバイブ音が鳴る。
『真紘さん』の文字を真っ黒な画面の中に見つけ苦笑が漏れる。
やっぱり、二人はただの同僚ではないのか……
胸に去来した落胆を無視し、通話ボタンを押した。
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