ホーリー・ファンタジア

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ホーリー・ファンタジア

 四月の柔らかい風が、教室のカーテンを膨らませた。  私はそのカーテンを優しく束ねるようにしてまとめて、授業が始まる準備をする。  朝一番、教室に来て空気の入れ替えをする。  そんなことが私の、唯一心安らぐ時間になっていた。    しばらくすると、いくつかの足音が聞こえ始める。  徐々にクラスメイトが登校してきて、私の影は少しずつ薄くなっていく。 「おはよう」  セットされた整った黒髪に、鮮やかな茶色の瞳。  サスケくんが教室に入ると、女子たちは「わっ」と喜ぶ。そして、何人もの生徒が彼の元へ駆け寄っていく。  それもそうだろう。昨日あんなにもすごい試合をしていたのだから。  昨日のライブ配信はオンライン上で行わなれる学生専門の大会だったらしい。  サスケくんは、見事にその大会で優勝したのだ。 「大会見たよ~! おめでとう!!」 「見ててハラハラしたけど、本当にかっこよかった」 「決勝の相手高校生でしょ? 百地くんすごすぎるよ!」  溢れんばかりの賞賛。気づけば、他のクラスからもサスケくん目当てで人が集まってきていた。  転校してきて間もないのに、すでにこの人気。  人気配信者っていうのもあるけれど、それ以上に、彼は……。 「雨宮さん、おはよう」 「お、おは、おはようございま」  サスケくんは私の隣の席。爽やかにランドセルを机の上に置く彼に挨拶を返そうとするが、うまくいかない。彼が人気者なのは、有名な配信者だから……だけじゃない。  誰にでも分け隔てなく話す、優しい人だからなんだと思う。  そして私が挨拶さえ言い切れないうちに、私と百地くんの間に人の壁ができていく。  小学六年生にもなって友達がひとりもいない私と彼には、大きな大きな差がある。ぐっと唇を噛みしめて、私は静かに自分の席に座った。  サスケくんを取り囲む生徒たちは、競うように彼に喋りかける。  特にひとりの女子はすごい勢いで、サスケくんの席の前を陣取っていた。  うちのクラスの一軍女子。オシャレと名高い奈月ミユさんだ。   「ねぇ、本当に昨日すごかった! ミユ、興奮しすぎて叫んじゃったもん~!」 「あはは、ありがとう。ホーリー・ファンタジア、面白いでしょ?」 「うん、見てるだけでも面白い!」 「実際にプレイしてみても面白いよ。奈月さんもプレイしてみたらどう?」 「えー、難しそうだもん。それにミユは女の子だから、格闘ゲームなんてできないよ」  うんうん、とまわりの男子たちは頷いている。 「ミユちゃんは戦いとかできないよな。オレたちもホーリー・ファンタジアはしているけど、簡単そうに見えて奥が深いゲームだし。百地くんみたいなプレイヤーだと、オレらでも勝負しようなんて思わねーもん」  男子たちからもそう思われるくらい難しいゲームなんだ。  たしかに昨日の試合は一秒の動きを競うような、とても激しい攻防が続いていた。  傍目に見るとすごく難しそうだ。  サスケくんの方を見ると、少し困ったように眉を下げて笑っている。 「そんなことないんだけどなぁ。やっていると楽しいから、すぐにみんな慣れると思うけど」  サスケくんは一呼吸置いた後、体をぐっと後ろにそらせて私に話しかけた。 「ねぇ、雨宮さんはゲームとかしないの?」 「え!? 私、私はゲームは……」  また私が言い終わる前に、クラスメイトの笑い声で返事はかき消された。   「アハハハハ!! 百地くん、雨宮さんがゲームなんてするはずないじゃん!」 「そういえば百地くんは転校してきたから知らないか。雨宮さんは昔からずっと静かで大人しい子なんだから」 「趣味なんて、勉強と本読むくらいじゃない? 体育でもいつもどんくさいんだから。そうだよね、雨宮マリンさん?」  奈月さんが、私を小バカにするように笑った。だけど、本当だから言い返せない。  こくんと小さく頷くと、また私とサスケくんの間には人の壁ができたのだった。  本当は、サスケくんに「昨日の試合すごかったよ」って言いたかった。あんなにも胸が躍る試合を見せてくれて「ありがとう」って伝えたかった。そんな簡単なことすら、私にはできない。  朝入れ替えたはずの空気が、すでによどんでしまったようだった。
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