陸の章 悪霊

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陸の章 悪霊

 刀を抜いていく。生身の人間だと抵抗があるけど――悪霊相手なら刀を抜くことは厭わない。もちろん、相手が「人斬り以蔵」ということは分かっている。下手したら――僕は以蔵さんの悪霊に斬られて命を落とす可能性もある。もっとも、「悪霊に殺される」という自体はあまりないと思いたいのだが。  以蔵さんが、龍馬の魂に話しかける。 「こうやって、龍馬と面を向かって刀をぶつけることになるとは思わんかったき」  答えは分かっていた。 「わしも――おまんとはあまり戦いたくないき。決着は早めに付けるぜよ!」  刀と刀が激しくぶつかっていく。「人斬り以蔵」の異名は伊達じゃないのか――正直言って太刀筋(たちすじ)は以蔵さんの方が遥かに上である。しかし、僕も負けてはいられない。龍馬は北辰一刀流の免許皆伝である。僕は、龍馬の魂を頼りに以蔵さんに対して一閃で斬っていく。当然、悪霊に対して肉体的な感触はない。 「龍馬ぁ! おまんの太刀筋はそんなもんき! これで死ねぇ!」  挑発した以蔵さんが、僕の心臓をめがけて刀を突き刺す。――僕は、このまま死ぬのか。そう思ったときだった。 「以蔵、残念ぜよ。おまんは――成仏しきれてないき」  龍馬の一言で、以蔵さんはそのまま固まった。そして、その隙を狙って――僕は以蔵さんの首を斬った。悪霊といえども、首は飛んでいく。 「げはァ! わしの首がァ!」 「これで、おまんは成仏できるき」  以蔵さんは――なんだか悲しそうな顔をしていた。 「わしの行き着く先は――どこじゃ」  首のない亡霊に対して、龍馬が話をする。 「おまんは――人殺しだ。恐らく、地獄で裁かれるき。そんぐらいの覚悟は出来とるか」 「ああ――出来とるき」  以蔵さんの躰が、段々と消えていく。これは――成仏出来たのだろうか。彼が成仏したところで――「人斬り以蔵」という異名は後世に語り継がれるだろうし、岡田以蔵という人物が人殺しであることに変わりはない。だからこそ――今まで悪霊として此の世を彷徨っていたのだろうか。 「以蔵、最後におまんと決闘できて良かったき。わしは満足ぜよ」 「そうかえ。おまんは――本当に龍馬なのかえ?」  僕は、「増澤諭一郎」として自分の意志で言葉を発した。 「すまない。僕は――坂本龍馬なんかじゃない。僕の本当の名前は、増澤諭一郎という新聞記者だ」 「新聞か。聞いたことがないぜよ」 「以蔵さんが死んでから――この世の中は確かに変わった。龍馬さんがやってきたことは、間違っていなかったんだ」 「そうかえ。わしは――土佐勤皇党の大悪人じゃき、世の中が変わる瞬間を見届けることが出来んかったき」 「だからって――悪霊として現世に転生するのは悪いことだと思う。彼の世で成仏すべきです」 「彼の世か。わしは――この先どうなるんじゃ?」 「多分、()の世に連れて行かれるんだと思います。――もうすぐ、以蔵さんの躰が消えていく。僕から話せることは、もうないんだ」 「りょ、龍馬――」  以蔵さんは何かを言おうとしていたのだが――そのまま完全に消えてしまった。これで、良いんだ。  騒ぎを見ていた神主さんが、此方に駆け付けてきた。服装は――洋装に戻っている。 「あ、あなたは――先程の男性じゃないですか。それにしては、見事な太刀筋でしたが……」 「僕の名前は増澤諭一郎と言います。どうやら、坂本龍馬の霊が取り憑いてしまったようです」 「憑き物なら――お祓いしたほうが良いと思いますが」 「その必要はありません」 「どうしてでしょうか?」 「龍馬さんは――多分、明治という世の中を見たくて此の世に顕現したんだと思います。顕現に当たって――僕の肉体を介して受肉した。そんなところでしょうか」 「なるほど、興味深い。――ああ、私の名前を申しておりませんでしたね。私の名前は、神崎靖(かんざきやすし)と言います。諭一郎さん、どうしてあなたに対して龍馬さんの魂が顕現したのか――詳しく聞かせてもらえませんでしょうか?」 「分かりました」  こうして、僕は靖さんに対してこれまでの経緯を詳しく説明することにした。
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