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参の章 口寄せ
翌日。僕は再び近江屋へと向かった。もちろん、りんさんに会うためだ。
「あら、諭一郎さま。一体どうされたんですか?」
「実はあの後――」
にわかに信じてもらえないだろうけど、僕はあの後起こった事実をありのままに話した。当然、りんさんはこの怪奇現象について信じてもらえなかった。それでも――僕があの時感じたのはまさしく「龍馬の魂がそのまま僕の肉体に乗り移った」という感触だった。
「なるほど。諭一郎さまはどういう訳か坂本龍馬に憑依された。憑依された後――諭一郎さまは坂本龍馬として此の世に顕現なされた。そういうことでしょうか?」
「その通りです」
「突然お聞きしますが、諭一郎さまは――口寄せの家系じゃありませんでしょうか?」
「僕は薩摩――すなわち鹿児島の出だから、そういう家系だということを意識したことがありません。りんさん、何か思うことでもあったんでしょうか?」
「いえ、別になんでもありません。ただ――最近、そういう口寄せ等を行って多額の金を騙し取るという被害が多発していると聞きました。諭一郎さまは新聞記者だから、あまり関係ないと思いたいですけど……」
言われてみれば、九州地方でそういう口寄せを行う巫女は――いるのか。いたとしたら――多分、奄美の方だろうか。少なくとも、僕の周りで口寄せを行う人物はいない。しかし、あの時確かに僕の肉体に坂本龍馬の魂が乗り移った。それは間違いなく言える。
結局、憑依に関して得られる証拠はあまりなかった。どうして坂本龍馬は僕を肉体として選んだのだろうか? 考えれば考えるほど――それが分からなくなる。僕の頭は、混乱していた。今は洋装を着ているが、いつ僕の服が和装になるかは分からない。龍馬の魂は――気まぐれなのだ。
そうこうしているうちに、夕方になった。龍馬が僕の肉体を乗っ取るとすれば――この時間帯だろうか。しかし、どういうわけか、その日は龍馬の幽霊が姿を現すことはなかった。矢張り、あの時は偶然だったのか。偶然だとすれば――僕の気が狂れていただけか。そう思っていると――また、僕は意識を失った。龍馬が顕現しているときの僕は、なんというか意識がない。しかし――龍馬としての記憶はなぜか持っている。つまり、今の僕は「増澤諭一郎」ではなく「坂本龍馬」なのだ。
僕は――増澤諭一郎の意識として龍馬の魂と話をした。
「――また、現れたのか」
「そうじゃき。わしは、おまんの事が気に入った」
「気に入ったって、どこが気に入ったんだ」
「おまん、『にゅーすぺいぱー』を書いているらしいな。わしも長崎で『にゅーすぺいぱー』は読んだことがあるき。しかし、『にゅーすぺいぱー』は英語じゃき――ジョン万次郎の手助けがないと読むことができん。おまんは、日本の言葉で『にゅーすぺいぱー』を書いているき――わしにも読ませてくれんかの」
にゅーすぺいぱー――すなわちNewsPaper。それは「新聞」の英語読みか。それが理由で――龍馬は僕の肉体に憑依したのか。しかし、僕はただの新聞記者だ。一応、戊辰戦争の時に薩摩軍へと従事していたが――僕のような下級武士は大砲の点火すら許してもらえなかった。下級武士は下級武士らしく、現地の戦後処理を行うしかなかったのだ。
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