第3章 銀朱祭り

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 ウェイル達の様子を見ていた妃は、己の役割が終わったことを悟った。  同時に、魔王もこれ以上警官達を引き付ける必要はないと判断したらしく、炎の蛇が忽然と消滅する。    だが混乱がすぐに収まる筈もなく、人々の怒声や悲鳴は消えずに、辺りに取り残された。  炎の蛇を取り囲み、何とか倒そうとしていた警官達は、困惑した面持ちで消えた蛇を探していたが、しばらくすれば解散するだろう。  逃げ惑っている人々も、いずれは落ち着く筈だ。    魔王の演奏が終わると、妃は学生から手を放し、それきり踊りをやめた。 「なるほど、『送還』か……盲点だったな」    クラッドがウェイルの腕を放すと、ウェイルは足元に転がって来た血に塗れた小石を、ポケットから取り出したハンカチで摘まんで拾い上げながら言う。 「こういう時には、君みたいに核を壊そうとする人が多いだろうけど、僕は『戦闘魔術』はあまり好きじゃないから」  ウェイルは拾った小石を矯めつ眇めつしてみたが、これと言って特徴のない、只の石だった。  特に犯人の手掛かりになりそうにはなくとも、一応持ち帰って保管しておいた方がいいだろう。    ウェイルが小石をハンカチで包んでポケットにしまうと、クラッドは『黒き傀儡』が元来た方へと視線を投げて言った。 「すぐそこで魔術の痕跡が途切れてるから、『黒き傀儡』を発動させて間もないところに、俺達が来たんだろうな」 「そのようだね」  『黒き傀儡』は『招喚魔術』と異なり、目に見える魔術の行使地点が残る訳ではないが、魔術士なら発動した魔術で生み出された存在や現象の痕跡を――それがすぐ近くにあるならば――辿ることができる。  痕跡が途切れている地点と、『黒き傀儡』の移動速度を鑑みれば、術が発動してから、それ程時間が経っていないと判断して差し支えないだろう。  しばらく『黒き傀儡』を生成した場所に留めておいた可能性もなくはないが、ここがいつ人に見られるかわからない住宅地である以上、それは考え難かった。  招喚布を片付けたウェイルが立ち上がったところで、いつの間にか馬車を降りていた少女姿の魔王が歩み寄って来て言う。 「二人掛かりで事に当たった割に、時間がかかったな」 「お待たせして、申し訳ございませんでした」  ウェイルは素直に謝罪の言葉を口にしたが、クラッドは少々苛立った様子で言葉を返す。 「お言葉ですが、私達はこれでも名門と言われる大学の教員なんですよ。十分早い方です」  魔王は無言でその華奢な手を上げると、クラッドの杖の上部に手を掛けた。  そうして杖の上部を素早く数回回し、杖を手前へ倒すと、杖を握るクラッドの上体があっさり流れる。 「っ!?」  子供相手にこうもあっさり体勢を崩されると思っていなかったらしいクラッドは、ただ声にならない声を上げることしかできない。  魔王はそのまま流れるような動きでクラッドから杖を奪うと、傾いだクラッドの体を杖で掬い上げ、石畳の上に投げ飛ばしてしまった。    不意を突かれたとはいえ、クラッドがこれ程あっさり投げられるところを見たのは初めてだ。    ウェイルが呆気に取られていると、しっかり受け身を取っていたクラッドはすぐに起き上がり、魔王に食って掛かる。 「いきなり何てことするんです!? 痛いでしょうが!」 「これで、少しは己の未熟さを理解できただろう」  魔王はクラッドに背を向けるなり、振り向かずに高く杖を放り投げた。  クラッドは慌てて落ちてきた杖を受け止めると、魔王の背中に向かって怒鳴る。 「ちょっと! 勝手に借りておいて投げないで下さいよ! 大事な商売道具なんですから!」 「安心しろ。壊れたなら、弁償はしてやる」 「そういう問題じゃありませんよ!」  肩を怒らせ、まだ怒鳴り足りない様子のクラッドを見ながら、ウェイルは凄い度胸だなと感心せずにはいられなかった。  あの魔王に向かって怒鳴るなど、自分にはとてもできない。  今はまだ魔王も聞き流してくれているが、言葉が過ぎるようなことがあれば、その寛大さも失われてしまうかも知れなかった。  ウェイルはクラッドの気を逸らそうと、質問を投げ掛けてみる。 「どこか痛むところはない?」  クラッドはまだ胸に怒りを燻ぶらせているようだったが、いくらか落ち着いた声で答えた。 「……平気だよ」 「それなら良かった。王妃殿下もみんなの相手でお疲れだろうし、そろそろ戻ろうか」  ウェイルがそう言って馬車へと歩を進め始めると、クラッドもひとまず怒りを収めたらしく、黙って歩き出した。
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