第3章 銀朱祭り

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 ウェイルはクラッドと少女姿の魔王と三人で、ウェイルの馬車に乗り込み、旧市街の中を移動していた。  『発熱』の魔術で暖かい筈の馬車の中は、しかしどこか冷え冷えとしている。  クラッドは機嫌が悪いようで、先程から一言も発することなく、ウェイルの隣に腰掛けていた。  向かいに腰掛けた魔王も、話す必要がある時以外は無言を貫いている。  ひどく居心地が悪い空気の中、ウェイルが何も言えずにいると、突然馬が嘶きを上げて、馬車が停まった。 「どうしたの?」  ウェイルが馬車の中から御者に向かって尋ねると、御者が動揺に声を震わせながら答えを返してきた。 「も、申し訳ございません。何か妙な物がこちらに近付いて来ているようでして……」  素早く意識を研ぎ澄ませたウェイルは、前方から凝った力が近付いて来ているのを感じた。  どのような魔術なのかは、視認するまでもなく感じ取る力の輪郭から大体見当が付く。  今日の犯人は、これまでとは異なる魔術を行使したようなので、少々処置を講じる必要がありそうだった。 「こちらでお待ち下さい。様子を見て参ります」  ウェイルが魔王にそう言うと、クラッドも座席に立て掛けていた杖を手に取りながら言った。 「俺も手伝うよ。大して役には立たないだろうが、『有るは無きに勝る』と言うし、いないよりマシだろ」 「ありがとう。心強いよ」  ウェイルはクラッドに笑顔を向けてから、再び魔王に言った。 「申し訳ございません。こちらまで手を回す余裕がないので、『発熱』を解かせて頂きます。少し寒くなりますが……」 「気遣いは無用だぞ。我は寒さに凍えるということがないのでな」  魔王はそう言ったが、なまじ外見が少女であるだけに、ウェイルは悪いことをしているような気がして仕方なかった。 「すぐに戻ります」  ウェイルはそう言い置いて、『発熱』の魔術を解くと、『照明』を灯した杖を手にクラッドと馬車を降りた。  馬車は旧市街の中に停まっていて、通りに出ているのは御者とウェイルとクラッドだけだ。  ウェイルは杖を大きく振ると、杖の先に灯していた『照明』を前方に放り投げる。  月明かりを遮る建物の影の中では、ぼんやりとしか見えなかったものの姿が、魔術の明かりによってくっきりと闇の中に浮かび上がった。  そこにいたのは、魔術で創り出された、漆黒の人形だ。  家々の屋根に迫る大きさで、それ程広くはない道をほとんど塞いでいる。  外見こそ大きいものの、只の力の塊であって質量を持たないため、そのゆっくりとした歩みは、あくまで静かなものだ。  おかげで住宅地の只中にも関わらず、辺りは全く騒ぎになっていなかった。  『黒き傀儡(くぐつ)』と呼ばれる、『戦闘魔術』に分類されるこの魔術は、戦闘においては兵士として、平時においては見張りとして使われることが多い。  術者の血を染み込ませた核――多くの場合は石だ――を埋め込むことで、ごく単純な命令しか受け付けないものの、一定時間自律的に動くことができるからだ。  今回の場合は、胸元に一際強い力を感じることからして、そこに核があるのだろうと、ウェイルは推測する。  『黒き傀儡』は、命令次第では戦闘だけでなく、荷物の運搬などにも使えるが、この魔術を使った者はどのような命令を下したのだろうか。  今のところ、特に破壊行動は見られないとはいえ、油断はできなかった。    ウェイルがローブのポケットから取り出した招喚布を石畳の上に広げ始めると、クラッドが『鍵たる言葉』を口にする。 「全てを隔て、守る壁。砕けることを知らず、(はだ)かれ」  クラッドが杖の先で地面を軽く叩くと、魔術が発動し、不可視の魔術の壁が通りを囲った。  『戦闘魔術』の中でも防御に特化した、『防壁』の魔術だ。  『防壁』と言うだけあって、術者の眼前に展開させることが多いが、こうして周囲に展開させれば、戦闘による周りへの被害を抑えることもできる。    クラッドは次いで、また別の『鍵たる言葉』を使った。 「力よ、纏い付け。強化せよ」  クラッドは魔王の力を纏わせる『強化』の魔術を杖に使うと、肩慣らしと言わんばかりに、杖の中央部を支点にして数回大きく回した。  クラッドは魔術士としての力量はそれ程でもないが、杖術の達人だ。  魔術士は杖を持ち歩くのが常なので、近接戦闘を得意とする魔術士は、クラッドのように杖術の使い手であることが多い。    クラッドは杖の先を『黒き傀儡』とは反対の方へと向けると、腰を落として両手で杖を構えた。 「とりあえず、俺が様子見がてら打ち込んでみるから、君はここにいてくれ」 「うん、気を付けて」  ウェイルがそう言い終わるかどうかの内に、クラッドは『黒き傀儡』へ視線を定めて駆け出した。  クラッドは『黒き傀儡』を翻弄するべく、右へ左へと進路を変えながら間合いを詰めたが、『黒き傀儡』は迎え撃つ素振りを見せない。  ただ、静かに前へと進み続けているだけだ。  この『黒き傀儡』は、人や物を攻撃する意図で創造された訳ではないのだろう。    ウェイルがそう考える間にも、クラッドは『黒き傀儡』との距離を縮めていた。  程無くして『黒き傀儡』を杖の間合いに捉えると、クラッドは杖の先を『黒き傀儡』に向けて構え直し、力強く石畳を蹴って跳躍する。 「はっ!」  高く跳んだクラッドは、気合と共に杖を押し出し、『黒き傀儡』の胸部に突きを見舞った。  その一撃は闇を裂くように素早く、そして鋭い。  杖に触れた夜気の揺らぎが、ウェイルの元まで届きそうだった。  石すら砕く一突きだったが、しかしクラッドの杖の先は『黒き傀儡』を穿つことなく、鈍い音を立てて弾かれる。  魔術で創出された物の強度は、術者の力量に比例するものだ。  クラッドと犯人の力量差は僅かなものだったが、その差は如何に武術に秀でていようとも、やはり埋めることはできないようだった。    クラッドは崩れた体勢を空中で立て直すと、『黒き傀儡』を蹴って跳躍し、その場から離脱する。  そうして『黒き傀儡』に視線を据えたまま、ウェイルの元まで下がって言った。 「悪い。何とか核を壊せるかと思ったんだが、俺じゃ無理みたいだ」 「君にばかり働かせるのも申し訳ないし、今度は僕がやってみるよ」 「気持ちは有難いが、具体的にどうする気なんだ? 君の魔術なら、一撃で核どころかヤツを跡形もなく消し飛ばせるだろうが、俺程度の『防壁』じゃあ、間違いなくヤツと一緒に吹っ飛ぶぞ。『照明』の魔術を解除したところで、いくら君でも高等魔術を同時に二つも使えないだろ」  魔術士が同時に発動できる魔術は、多くとも二つまでだ。  初等・中等魔術と高等魔術の組み合わせならまだしも、広範囲を一掃するような高等魔術と、その高等魔術の被害を出さないための『防壁』を同時に発動するのは、クラッドの言う通り不可能だった。    こうして会話をしている間にも『黒き傀儡』は迫って来ていたが、ウェイルは石畳の上に屈み込んだまま、慌てることなく招喚円の位置を調整しながら言う。 「君の言う通り、あれを倒すのも一つの方法ではあるけど、必ずしも倒す必要はないと思うんだ」 「どういうことだ?」  怪訝そうに問い返してくるクラッドに、ウェイルは手を動かしながら言った。 「今からやって見せるよ。そこにいると危ないから、僕の後ろに来て」 「あ、ああ」  クラッドはまだウェイルの意図を掴めていない様子だったが、それでもウェイルの言葉に従って、背後に回った。  ウェイルは招喚円の位置を定めると、立ち上がって意識を集中させる。  『黒き傀儡』は招喚円の中へその足を踏み入れ、もう手が届く距離に迫っていた。  クラッドが強くウェイルの腕を引いて、後ろに下がらせようとするが、ウェイルは『黒き傀儡』を見据えたまま言う。 「大丈夫」  そして、ウェイルは『鍵たる言葉』を口にした。 「世界の外より来たりし力、在るべき場所へ還れ!」  ウェイルが招喚円に杖を突き立てると、招喚円が黒く発光し、『送還』の魔術が発動した。  『送還』は、有形・無形の魔王の力を魔王の元へ送り返す、『招喚魔術』の一つだ。  この場にない物を呼び寄せる訳ではないが、『招喚魔術』は「空間を超越して、何らかのものをただ移動させることを目的として発動する魔術」と定義されているため、この『送還』も『招喚魔術』に分類されている。  『送還』は術者が送り返したい術の使い手に力量で勝り、尚且つ送り返す対象が一部分だけでも招喚円の中に入らなければ発動できない魔術だ。  使いどころは少々難しいが、最高位魔術である『魔王招喚』を行使できるウェイルにとっては、発動における制約など大した問題ではなかった。  『黒き傀儡』は一瞬で世界の外側へと消え去り、核となっていた血に塗れた石だけが、支えを失って石畳の上に落ちる。  それは小石と呼べる程度の小さな石だったが、その小石が石畳を打つ音は、妙に大きく辺りに響いた。
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