第26話 三学期

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第26話 三学期

 正月、僕たちはもう一度神社に詣でた。渚と約束した――今年は一緒にお出かけしよう――の最初のお出かけだった。正直、後から思うと露店での出費は大きすぎたが、渚といろいろ楽しめたかと思えば……まあ、いいかなって。  翌日からは渚はお母さんについて、母方の実家に顔を出しに行った。二日後には帰ってくる予定だったのが、渚たちが帰ってきたのは三日後の五日だった。せっかくの僕との冬休みが一日減ったと渚が残念がっていたけれど、残りの三日は渚との時間も十分作れた。  そして三学期、始業式の最初の登校日――。  僕は何故か学校最寄り駅の駅員室に居た……。  目の前のちょっと派手目のスーツ姿のお姉さんが騒ぎ立てているが、何を言っているかわからない。話している内容が突拍子もなさすぎて、頭がついていかなかった。 「あ、えっと……」  僕が何か言おうとすると、駅員さん二人が僕を冷めた目で注視した。 「――ほんとに僕がやったって?」  ハァ――と難しい顔をした皺の目立つ駅員さんは溜息をつく。 「若いから衝動的にそういうことをやってしまったのかもしれない。が、反省の態度も示さないのは良くないな」  僕は電車の中でいつの間にか隣に居たこの女性に右腕を取られ――痴漢! ――と声を上げられた。電車内はそこまで混雑していたわけではなかったので、僕も気を抜いていた時の出来事だった。そして学校最寄り駅の近くと言うこともあって、うちの高校の生徒がサラリーマンに混ざってそこそこ乗っていた。  僕は痴漢を否定して、駅に着いたらさっさとこの場を去ろうと思っていたけれど、駅に着く前、無駄に正義感に煽られたうちの生徒――おそらく上級生――二人に乱暴に取り押さえられた。おかげでシャツのボタンがひとつ飛んでった。  目の前のお姉さんは僕の親を呼べと騒ぎ立てているが、こんなくだらないことで母に迷惑をかけたくない。ただ、駅員さんたちは彼女に同情的。このまま帰してくれそうにはない。自分ではどうしようもない状況に血の気が引き、手が冷たくなっていくのが感じられた。  ヴヴ――とお守りのように握りしめていたスマホが鳴る。 『太一くん、何かあった?』――通知欄には渚からのメッセージの一部が表示される。この駅で待ち合わせている渚だった。渚――彼女に助けを求めてどうにかなるものなのだろうか。目の前のお姉さんからの暴言に晒されるだけではないのだろうか。 『ごめん、ちょっとトラブ――』  バシッ――スマホに打ち込みかけたところで、目の前の女にスマホを叩き落とされた。 「スマホなんか弄ってんじゃないわよ!」  その女は僕のスマホを拾い上げると、勝手に操作を始める。さすがにこれには駅員さんも驚き、やめるよう注意するが女は止まらない。やがてどこかに電話をかけ始める。僕は呆然とその様子を見ていた。 「もしもし、そちらは太一くんの…………えっと身内の方? ――太一くん、痴漢したんですよ。――私? 私は被害者です。――ええ、いま駅員室で駅員さんが叱ってくれてます。すぐに来てもらえませんかね。場所は――」  そう言って女は電話を切ると、ようやく僕のスマホを駅員に渡した。こんな横暴を働かれても、駅員はその女を叱りつけもしない。駅員から戻されたスマホは画面にヒビが入っていた。液晶には問題が無いから保護ガラスだけかななんて、僕は今あるどうしようもない現実から逃避していた。  コンコンコン――駅員室のドアのひとつ。僕の背後にあるホームへの出入り口のドアがノックされる。若い方の駅員が応対にドアを開けると若い女性の声がして、駅員と会話している。 「あの、この子が現場を見ていたというのですが……」  若い駅員に導かれて部屋に入ってきたのはうちの高校の女子の制服。  なんと同じクラスの三村だった。  三村のことは正直、嫌いだった。演劇部での渚に対する暴言は許し難かった。三村は姉ナントカ先輩が居なくなってから、僕や渚を避けるようになっていた。クラスでも以前のように騒ぐことは無く、笹島や萌木について回るだけになっていた。 「見てたけどそいつ、痴漢なんてしてないが」 「同じ高校じゃん、庇ってるだけでしょ!」  いや、僕を取り押さえたやつらも同じ高校だったんですけど……。 「そいつを庇う義理はないし、そいつも私のことは嫌いだからそれはない」 「まあ……」――僕はそう伝えたが、三村が助けようとしてくれてることに困惑していた。 「それに、そいつの彼女、おっぱいでっかいからお姉さんじゃ興味湧かないと思うよ」  言いながら、三村はスマホを弄っていた。 「なんですってぇ!?!? 侮辱だわ! 駅員さん、警察呼んで!」 「いいよ、どうぞ。でもさ、困るのはお姉さんじゃないかなあ」  三村はスマホを女の方に向ける。こちらからは見えないが、女とそれから駅員さんたちがスマホを覗くと、女は顔を青くする。若い駅員さんが――これ警察呼んだ方がいいですね――と言うと、女は跳ねるようにドアに向かい、駅員さんの制止を振り切って駅員室から飛び出していった。  しばらくして追いかけて行った若い駅員さんが戻ってくるが、女には逃げられた様子だった。駅員さんたちは僕に謝り、警察に届け出るため少し待ってくれるよう頼んできた。僕と三村はそのまま取り残された。 「青い顔しててウケる。ざまあねえの」  三村は先程までの態度からすると、憎まれ口とも思えるような言葉を叩いてきた。 「ありがとう三村」 「あの女、前に痴漢のでっち上げでオッサンから金巻き上げてたから撮ってたのに、よりによって瀬川が狙われるとかないわ。せっかくゆすって金巻き上げようと思ったのに」 「マジかよ悪党だな」 「申し訳ないとは思わないの?」 「三村が犯罪に手を染める前でよかったわ。どっちにしても助かった」 「お礼は体で払ってくれる?」  何言ってんだこいつ……って思ったけど、そんなことして何の得があるのか。 「鈴代に嫌がらせのつもりか?」 「いつもみたく渚って呼ばないの? 二人っきりの時よく呼んでるじゃん。――鈴代ちゃんの泣き顔が見られるなら何でもさせてあげる」  は? 三村の言葉に一瞬、頭に血が上ったが、何故か声に出して怒る気にはなれなかったのと――バン――とドアが勢いよく開け放たれた音で気がそれる。 「太一くん!?」  駅員室に入ってきたのは渚だった。  しまった、連絡の途中だったと今更思い出し、慌てて立ち上がる。 「渚!?」 「太一くんのスマホから変な女の人が! 太一くんが痴漢したって!」  メッセージを読んだあの女、そのまま渚に電話をかけたのか。 「そっか、ありがと渚。その話は三村が助けてくれて無実を証明してくれた」 「よかったぁ……太一くんがそんなことするはずないもんね……三村さん、ありがとう」  三村は何も言わなかった。  涙目の渚は僕の顔に両手を当てる。温かい……。 「顔が真っ青。ごめんね、傍に居てあげられなくて」 「十分すぎるよ。ありがとう」  顔が少し温まると、冷え切った両手を包み込んでくれた。  その後、警察が来て事情を聴かれた。僕は三人が学校に遅れたから、理由も含めて担任に一報をお願いした。  ◇◇◇◇◇  二時間目の途中で登校し、職員室に寄って話を聞かれてから教室に入るとちょうど業間だった。 「よう太一。痴漢で捕まったって?」 「いや、冤罪だって。事情を聴かれてただけだから」  山崎が笑いながら聞いてくる。新崎さんや宮地さんもやってくる。 「瀬川くん、何があったの?」 「二年の先輩がさぁ、痴漢捕まえたって自慢してたらしいよ。その相手がどうも瀬川っぽかったから心配してたんだ。ついさっき鈴音から冤罪だから大丈夫って聞いたから心配はしてなかったけど」  鈴音ちゃんは忙しそうにスマホをいじっていて、渚にはちょっと手を上げて挨拶しただけ。渚は鈴音ちゃんには簡単に連絡をしていた。ついでに事情を聴かれた文芸部の皆にも説明をして欲しいとお願いし、コミュニティに招待していた。スマホのバイブが鳴りっぱなしなので部員のみんなとやりとりしてるのだろう。 「変な女に痴漢扱いされて、それで三村が無実を証明してくれて助けてくれた」 「へぇ、佳苗お手柄だね」  宮地さんが声を掛けるも、その三村本人はさっさと席について知らん顔をしていた。 「ま、太一が鈴代さん以外の女に手を出すとかありえないよな。なあ田代?」  山崎が声を掛けるも田代は席に着いたま微動だにしない。 「田代?」  様子のおかしい田代。声を掛けるも返事がない。 「朝からあんななんだよ。太一がどうのと言ってたから、来たらいつもの調子に戻るかと思ったんだけど……」  なんて話していると、その田代が突然すっくと立ち上がる。  田代はそのまま僕の所まで詰め寄り、血走った眼で僕を睨み、両肩を掴むとそのまま力いっぱい押してきて、僕は黒板横の壁に壁ドン? される。そうして田代は呟くような声で――。 「太一……いや太一先輩、イブの夜……やりましたよね……」 「えっ、いや、何を……かな……」 「とぼけないでくださいよ先輩。やりましたよね、やったんですよね……」 「そ、それは渚の名誉のために答えられない……」 「なっ……」  田代は肩を掴んでいた手を離し、一歩二歩後退る。 「――名前呼び捨て……」  三村の前で名前呼びしてたからなんとなく言ってしまったが、しまったと思ったときには遅かった。ぶわと涙を溢れさせた田代は止める間もなく――誰も止めていないが――教室を駆け出していった。 「どしたん田代」  宮地さんが聞いてきたが僕は何も言えなかった……。 「あ、瀬川、いま姫野さんからも聞いたけど大変だったな」  そう言って外から教室へ戻ってきた相馬。  事情を説明すると相馬は――。 「そんな事だろうと思って1-Cに行ってた。一応、向こうでは姫野さんたちが鈴代さんから連絡を貰ったみたいで、冤罪って話を広めてくれてたよ」 「朋美ちゃんが心配してメッセージくれてたの。ちょうどさっき返信したとこ」  あの渚を苛めてたという姫野はすっかり渚と仲良くなっていた。よく自分を苛めていた相手と仲良くできるなと誰もが一時期は思っていたけれど、姫野は洗いざらい渚に想いをぶちまけてからというもの、敬愛ともいうべき感情を渚に向けていた。渚はと言うと、僕が自分を変えてくれたというだけだった。  ◇◇◇◇◇  僕を捕まえたあの二年の先輩たちは、顔こそ映ってないものの連れていかれる僕を撮影して学年のコミュニティに流し、それが一年にも回って来ていたらしかった。その後、ニ、三日の間はその自慢話とともに、僕――1年の鈴代 渚の彼氏、或いはざまぁの人――の痴漢の噂は広まっていたが、当の1-Aのクラスメイトが誰も信じていなかったこともあってすぐに鳴りを潜めた。  幸いなことにあの女も捕まって、冤罪でっち上げの犯人としてネット上で報道されたため、まだ先の話ではあるが二週間ほどで噂は完全に否定されることとなる。  あ、田代については昼休みには何事もなかったような顔をして戻ってきたし、僕をおかしな呼び方で呼んだりもしなくなった。ただ、初詣のことは滅茶苦茶文句を言われたのであのまま後輩面されてた方がマシだったかもしれない。
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