第29話 ひとつ屋根の下で

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第29話 ひとつ屋根の下で

 ピンポーン――夕方、渚と夕飯の準備に取り掛かったときだ。玄関のチャイムが鳴る。  まあ、相手は誰だかだいたいわかる。宅配便ではない。  渚の様子を伺うと、知らん顔で圧力鍋に肉を入れている。  二度ほどチャイムが鳴ったあと――。  ピンポピポピポピポピポピポピポピポ……。 「あー! うるさい!」  渚はインターフォンの応答ボタンを押すと――なに? ――と返事をする。  画面には飛倉が俯いて手だけインターフォンに伸ばしてる様子が映る。  飛倉は顔を上げると――。 『おせーよ、居るんだから出ろよ』 「まだ早い。外で遊んできてよ」 『無茶言うなよ、金もそんな無いわ』 「はぁ……」 「まあ、入れるだけ入れてやったら?」 「ごめんね。いいの?」 「いいとは言いたくないけど……」 「本音は」 「叩き出したい」  ふふっ――と渚は笑うと、ため息をひとつついて玄関に行った。  ◇◇◇◇◇  渚の後をついてきた飛倉。ダイニングの椅子のひとつに荷物を降ろすと――。 「やっぱ向こうと違ってこっちの家は狭めーな」  渚の家は新しくはないが玄関やお風呂などの間取りにかなり余裕のある3LDKなので十分広い方だ。この飛倉という男の物言いは好きになれない。 「――夕飯なに? オレ、肉が食いたいな」  そう言いながら飛倉は荷物の隣の椅子に腰かける。 「飛倉くんの分は無いから外で食べて来て」 「そんな金あるかよ」  渚は圧力鍋を火にかけると、隣のフライパンに油を通す。 「やろうか?」  ゴボウをささがきにして水に落とし込んでる僕に渚が声をかける。 「このくらいはいつもやってるから大丈夫」 「さすがだね」 「このくらいは誰でもできるよ」  渚は料理中なのにいつもよりもずっと体を寄せてきていた。  いつもなら包丁使ってるからダメだよなんて言うのに。 「で、その男はなに?」――飛倉が今更ながら僕のことを聞いてくる。 「わ、私の旦那サマ……」 「えっ」  突然の渚の発言に慌ててしまい、何と言葉を繋げればいいかわからない。 「なんだそれ」  飛倉もまた、そう言ったきりしばらく喋らないでいた。 「――渚は学校に行き始めてからどんどんお淑やかになってって話しかけづらかったけどよ、小さいころと変わんなくて安心したわ」 「――向こうの女友達はデレるくせに人の顔色ばっか窺ってよ。それに三人くらい付き合ったけど、渚みたいにいい体してんのは居なかったわ。あ、今はフリーだからな」  渚がきんぴらごぼうを作り終え、あとは圧力鍋待ちとなる。  味の調整は渚が僕の好みを覚えたいからというので最近はいつも任せてある。  珈琲を淹れ、ダイニングの残り2つの椅子に僕と渚は座った。 「――知ってっかこいつ、お転婆だから飛倉の屋敷に来ると必ず一度は水路に落ちてたんだぜ。つか俺の珈琲は?」 「自分で淹れれば?」 「……んで、水路に落ちるとこいつと一緒に風呂に入らされるの。まだ遊んでたいのに参ったわ」 「まだ小学校にも入ってなかったころのことでしょ。そんなので人の体知ってるみたいに言わないでくれる?」 「一緒に寝た仲なんだぜ、つれないよな」  なんて何故か僕の方に聞いてくる。 「それ、もっと古い話じゃない。二歳とかの。写真でしか知らないし」  渚はイライラして普段からは想像もつかないくらい喋り方に棘があった。  飛倉はニヤニヤして僕の様子を伺っていたが、急にパッと顔を輝かせた。 「お前、爪伸びてんな」 「ん?」  僕は自分の爪を見る。白い部分は少しあるけれど、伸びてると言うほどでは無い。  そうしていると、飛倉は自分の指を見せてくる。  明らかに深爪しているその指は、先端が丸っこいせいで短い印象があった。 「清潔にしてないと女に嫌われんぞ」  僕と渚は顔を見合わす。 「ん……でも、渚はこの指が好きなんだって。それに爪を切りすぎると不器用になるし」  渚の話は本当だった。僕の指先はほっそりしていて、特に人差し指と親指の先端は尖っている。ある程度爪が無いときっと丸くなっていたに違いない。そんな指先を渚は綺麗だと褒めてくれる。 「女をわかってない童貞はこれだからな」  得意げな飛倉が何を言いたいかは何となくわかった。いろいろ理由はあるけれど、爪が伸びてたってなんとでもなる、それだけの話だ。ただ、だんだんと年寄りの与太話に付き合わされてるような気分になってきた。こいつは単に僕にマウントを取りたいだけなのだ。  それにしても満華さんといい、僕はそんなに童貞っぽいのだろうか。  あのあと満華さんと話す機会があって聞いてみたけれど、――別にそう見られるのはそんなに悪い事じゃない――と言ってはくれていた。  その後も飛倉の自慢話は続いた。中免取ってバイクを買っただの、別れた女が離してくれないだの、クラスの半分くらいの女子とはデートしたことがあるだの、どうでもいいような話ばかり続くので、僕と渚はテーブルの下でお互いの靴下を脱がし合って遊んでいた。そしてときおり渚が唇を噛んで笑いを堪えるのに気を良くした飛倉は、また新たな自慢話で僕にマウントを取ろうとしてくるのだった。  ◇◇◇◇◇  ご飯が炊きあがり、圧力鍋の肉も柔らかくなると、渚が味の調整をして調理を終えた。  その間に僕は不要になった調理器具やお皿を洗って片付ける。すると渚もニコリと微笑む。 「太一くん、座って座って。あとはやるから」  渚の言葉に甘えて、席に着いて待つ。三人分のご飯をよそってくれたあと、深皿に煮つけたスペアリブと豚バラ軟骨をよそってくれるのだが……。  おそらく、渚のことだからお代わりするのに十分な量を用意してあったのだろう。が、明らかに……明らかに大量の――おそらく渚や飛倉の量の倍以上の――肉が深皿に積み上げられていた。 「なんか違くね?」 「太一くんはいっぱい食べるんだ。だからちょっと足りないかも。あ、きんぴらはお代わりあるからね」  渚は肉はそこまでたくさん食べない。なので少な目なのだけど、飛倉も同じ量だった。お代わりの分も全部僕の皿に載せてしまっている。まあ、食べられなくはないので問題ないけど。 「客にその扱いはどうなんだよ」 「客じゃないから。お肉にありつけたんだから文句言わないでよ」  結局、ガッツリご飯ときんぴらまでお代わりして食べてしまった僕は、渚に――おいしかったよ――と声をかけると――ありがと――と返してくれた。  ◇◇◇◇◇  渚は空き部屋に掃除機をかけて布団を一組運び込む。僕も手伝って飛倉の寝床を用意した。  飛倉は僕たちについてきて荷物を空き部屋に運び込む。 「必ずシャワー浴びてからお布団入ってね。じゃあおやすみ」 「いや、おやすみってまだ七時にもなってないだろ」 「お・や・す・み!」  渚はそう念を押すと、僕の手を引いて部屋に連れ込んだ。  渚の部屋にはお出かけ前、迎えに来たとき運び込んだ僕のお泊り用の荷物がある。 「洗面所に行って歯磨きだけしたら寝よ」 「うん。え?」  渚は洗面所で化粧を落とすと顔を洗って肌の手入れをし、コンタクトを外していた。  その間、僕は歯磨きをして顔を洗った。渚には待っていてくれるよう頼まれていたのでそのまま彼女を待ち、洗面所を後にした。部屋に戻ると渚がドアにロックを掛ける。 「……えっと、布団は持ってこないの? あと今日、たくさん遊んだからシャワー浴びてこないと」 「うち、余ってるお布団一組しかないから、ちょっと狭いけど私のベッドでね。お母さんもそうしなさいって」 「ぇえ……」  完全にお母さんに把握されている上に、術中に嵌っているのでは……。 「シャワー浴びないとシーツとか汚れるよ」 「どうせ後で洗うからいいよ。イチャイチャした後とかいつも洗ってるし」 「体汚れてるし、その、くさくない?」 「太一くんは嫌だった? 私は平気だし大好き」 「渚ならぜんぜん平気だけど……」 「あいつが居る家で裸になんかなりたくないの。太一くんは見られてもいいの?」 「それは嫌だ」 「じゃあこのまま寝よ」  渚の言葉に押し切られ、早い時間からベッドでごろごろしていた。  途中、飛倉がシャワーに入ったり、リビングでテレビをつけたり、一度だけ渚の部屋をノックしたりはしてきたけれど、やがて部屋に戻って静かにしていたようだった。  そして本来は――しないで寝るだけ――が目的だったにも関わらず、何故かいつもより興奮して眠れなくなってしまった僕たちは、音や声を立てないようにこっそりして、アレも迂闊にゴミ箱に捨てないように渚が隠してしまった。
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