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序
放課後、小学校の門を出たら祖母が待っていた。
共働きの両親に代わって、保育園通いの頃から迎えは祖母だった。
小学生にもなれば、お迎えなど必要ないのだが……そう言いそうになったが言わなかった。
祖母の濡れた靴下を見てしまったからだ。色の変わってしまった靴下を見て、傘を持って出なかったことを後悔した。
祖母は限りなく優しいのだということ、そして恐ろしく心配性だということをわかり切っていたはずなのに。
学校から祖母の家までは歩いて二十分。子供が歩く距離にしては遠いと感じる。雨だと余計に……
景色は灰色で、くすんだ靄の向こうにかすんでいた。
「気を付けて歩かないといけないよ」
折に触れて、祖母は孫を正しい道に誘うように、様々なことを教えてくれた。
「この世……私たちが生きている世界の道と、あの世に続く道はね、見分けがつかないものなのよ」
「ふうん……もし、間違って行っちゃったらどうなるの」
「すぐに引き返さなきゃならないねえ」
「気がつかなかったら? 知らないであの世に行っちゃったら」
祖母の教えてくれることは、時折、怖い結末の話だったりする。
「あの世はものすごく高いところにあるのよ。めったなことでは生きて戻れないんだよ」
そぼ降る雨の中、祖母が立ち止まった。
「例えばね、ほら、ここから先は死者が行く道だよ」
祖母の視線の向こうは、今まで歩いて来た道と何ら変わりないと感じた。一車線の、住宅街から少し外れた路地。人気はないが、今も車が一台走って通り過ぎた。
「この先の世界ではね、生者――つまりまだ死んでいない人間は、その世界の物を口に入れちゃダメなんだよ」
「なんで」
「死者の国の食べ物を口にするとね、もう二度と、こちらには戻れないからよ」
「死んじゃうってこと?」
「ちゃんと死ねたらいいんだけどねぇ」
祖母の言葉は意味深だった。「ちゃんと死ぬ」とはどういう意味だろうか。
尋ねようとしたが、祖母は一人で先へ行く。
「ばあちゃん!」
その先は死者が行く道だよ――と言う前に祖母が振り返って手を振った。いつの間にか雨が止んでいた。
麻耶はただひとり、くすぼった霧の中に立っていた。
(そっか。ばあちゃんは死んだっけ)
三年前、麻耶が小学校を卒業してすぐに亡くなったことを思い出した。
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