母犬

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母犬

 春先、家族で柴犬専門の犬舎を訪れた。息子が無事志望校に合格し、その褒美で犬を飼うことになっていたからだ。ずっと犬が欲しいと言っていたし、十五歳という年齢的にも、責任を放ることはないだろう。  民家の裏手に回ると、個別の檻に入った成犬が何頭か見えた。だがそれよりもずっと賑やかなのは、小さなドッグランで走り回る仔犬達だ。実家で犬を飼っていた私と違い、夫と息子は生き物慣れしていない。初めて動物園にでも来たように歓声を上げた。 「可愛い!」 「やあ、みんなとても元気ですね!」 「はい。ああでも、売れ残ったメスばっかりで。ご希望のオスはね、うん、あそこの……」  オーナーが申し訳無さそうに指差す先。無邪気にじゃれあって遊ぶ集団のずっと奥、柵の片隅、へたり込んでオシッコを漏らしている小さい子がいた。 「オスは全部ペットショップに買われていったんですが、あの子だけ売れ残ってしまって。性格が暗いんですかね、いつも情けない様子で後ろにいるんです。尻尾の形もよくないですね……。残りに残って、もう生後半年です。それでもよろしければ、グッとお安くします」  息子は仔犬を見つめたまま、迷うことなく頷いた。それを確認した夫も、私も頷いた。  支払いを済ませ、飼育の心得を聞く。喜びに打ち震える息子に抱かれて、三角耳の仔犬は家族の一員となった。  三人と一匹で車に向かう。後ろを歩いていた私は、ふと視線を感じて振り返った。  鉄の檻の中。落ち着いた美しい顔立ち、すっとした立ち姿の成犬だ。オーナーが告げる。 「あのオスの母犬です」 「あ……」  去っていく子供を見ているのか、どんな思いで……。そう覚悟して、改めて目を向けた。  けれど。三角形をした焦げ茶の瞳が、ヒタ――と見据えているのは、私の顔ひとつだけだった。
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