母犬

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「……」  ――大切にするからね。ずっと愛して育てるからね、最後の日まで。  そう呟こうとして、やめた。自分が彼女の立場だったらどうだろう? (さら)っていく奴にそんなことを言われるというのは。  たとえ性格が暗かろうが、尻尾の形が変だろうが、そんなのは他の生き物が勝手に言っていることだ。母親にとってはただただ、お腹を痛めて生んだ可愛い我が子なのに……。  母犬のまなざし。何度も何度もこういう別れを繰り返してきたのだろう、その瞳には、もはや戸惑いも怒りも宿ってはいない。  ならば、「無」なのだろうか。別れを重ねて、すり減って、もう何も残ってはいないのだろうか? いや、違う、彼女の中には確かに何かがある。  柔らかな毛皮、温かな血肉の奥底に、透明な水晶にも似た何かが。見つけ難くとも、見失い易くとも、触れれば何よりも確固たるものが――。そうでなければ、こんな一心に私のことを見つめ続けるはずもない。  ああ……絶望でもなく、諦観でもなく。  かといって恨みでもなく、ましてや赦しでもなく。  惜しさ、寂しさ、悲しみ、ですらない。  人の感情という、こんな手垢と(よど)みまみれの物差しで彼女を推し量るのは間違っているかもしれなかった。だが、それでも敢えて言うのなら、「願い」や「祈り」なのではないかと――。  夫も息子も気がつかなかったあのまなざし。同じ母親である私だけに突き刺さったこの感覚は、水晶でできた牙みたいに深く食い込んで、抜け落ちることも溶け去ることもなく、きっと永遠に忘れられるものではない。……  結局、何を言うでもなく、ゆっくりと檻に背を向けた。これから仔犬を見るたび、触れるたび、あの母犬の静かな瞳を思い出すのだろうと予感しながら。
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