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駄菓子屋のあやしいうわさ
僕の通う小学校には、通学路に駄菓子屋が3つある。学校から近い順に人気があって、一番遠い駄菓子屋は通う人がいない。細長い店舗で、のれんの奥に何があるのか薄暗くて見えない。いつもお香のような臭いがただよっていて、駄菓子以外にもガラクタがところせましと置かれている変わった店だ。
今、僕はその変わった駄菓子屋の前にいる。扉は開きっぱなしで、冷房は扇風機以外に見当たらない。真夏の太陽に照らされて道路はゆらゆらと歪んでいるのに、駄菓子屋はのんきな扇風機が同じ場所で温かい空気をかきまぜている。
「学区のはずれにある駄菓子屋、知ってる?」
「いつも変な臭いがしてる駄菓子屋?」
最初はクラスの女子が始めたいつものうわさ話だった。
「そうそう。あそこ、やばそうな店員がいるんだけどさ」
「なにそれ」
まだ話の序盤なのに、すでに本人たちは大盛りあがりで教室中に笑い声が響いている。
「ニートっぽいオジサンが出てくんの。そこで魔法の呪文を言うと、おばあさんになって願いをひとつ叶えてくれるんだって。駄菓子屋の魔女」
「絶対作り話じゃん、それ」
聞き耳を立てていた僕も、そう思った。だいたい、駄菓子屋で働いてる時点でニートじゃないし。魔法の呪文でオジサンが老婆になるなんて、今どきアニメでも起こらない。女子たちはケラケラ笑って、あんまり本気じゃない。その日は結局冗談としてその話は終わった。
次にその駄菓子屋が話題になったのは、隣のクラスの女子が、夏休み前に学校に来なくなったときだった。イジメがあったわけでも、家庭に問題があるわけでも病気でもないのに、突然学校に来なくなった。
「あの駄菓子屋に行ったらしいよ」
「えー、あのうわさの?」
今回はさすがに、みんなヒソヒソと声を落として話してる。なんとなく触れたらいけない話題のような、暗黙の了解があった。
「うん。そこで見かけた子がいるんだって。その日のあとから、学校に来なくなっちゃったらしいよ」
「もしかして、あの呪文使ったんじゃないの?」
「うそっじゃあ、魔女のせいで来れなくなったのかな」
そんなうわさが出回るようになった。まだ来なくなって1週間しかたってないのに、もう永遠に来ないかのような雰囲気だ。ありもしない魔法が、まるで本当に存在するかのように語られだしたのも、そのときからだった。みんな、あの駄菓子屋にいるオジサンが魔法を使えると信じて話す。先生まで、しばらくは例の駄菓子屋には近づかないように、と言い始めた。帰りの会でそう言われた日から、あの駄菓子屋は学校公認の魔法が存在する店になった。
僕はしばらく店の前で立ちつくしてたけど、だれもやって来なかった。お客さんも店員も、だれもいない。通行人さえいなかった。
魔法の呪文は覚えてる。今ならだれにも見られない。
勇気をふりしぼって、無人の駄菓子屋に足をふみ出した。風なんか吹いてないなのに、店に入ったとたん「チリン」と風鈴の音がした。見上げてみても、どこにも風鈴はぶら下がっていない。今日もお香らしき臭いが充満してる。
どこかで見張られている気がしてきて、足元から寒気がのぼってきた。前に来たときはこんなことなかったのに。暑くて汗が染み出してるはずなのに、冷房の効いてない店内でうっすらと鳥肌が立つ。
やっぱり帰ろう。
そう思って、店の奥に背を向けたところだった。
「いらっしゃい」
ぞわり、と全身の毛が逆立った。少しの音もしなかったのに、僕の真後ろからオジサンの声がした。走り出して逃げたいのに、両足がコンクリートに埋まったみたいにびくともしない。
「ほしいのがあったら持ってきな」
オジサンがそう言ったあと、何かに座る音が聞こえた。まるで親戚のオジサンみたいに話すから、緊張がゆるんで首が動くようになった。少しだけ首をまわして後ろに座っているらしいオジサンを視界に入れてみる。
なんだ、思ってたよりも若いじゃん。クラスの女子がオジサンと言うから、無精ひげがボーボーの白髪交じりのオジサンを想像してた。本物はもっと若くて、想像していたよりは清潔感があった。白髪もないし、シミもシワもないけど、少しまだらにヒゲが生えている。でも、たしかにお兄さんと言うには、僕と年が離れすぎてる気もする。
「ん?」
僕の視線に気づいたオジサンと目が合ってしまった。
「あの」
このまま店を出るのは難しい気がする。何か買いに来たフリをしなくちゃだめだ。僕はとっさに近くにあった駄菓子のせんべいをつかんだ。
「これ、ください」
びっくりするほど小さな声しか出なかった。それでもオジサンは僕の声が聞こえたのか、だまってレジを通してくれた。テープを貼ると「はい、30円」と出された手に、50円玉を乗せる。20円を渡されて、僕は自分の財布にしまいながらもぞもぞしていた。この流れなら自然に店を出られる。だけど、本当にそれでいいのか?
おつりを財布にしまっても、財布をカバンにしまっても、買ったせんべいを受け取っても、なかなかレジの前から動かない僕にオジサンも不思議に思ったらしい。
「他にもなんかいるか?」
僕は自分がなんのためにここに来たのか、もう一度言い聞かせる。
「どうした」
怪訝な顔のオジサンに負けないように、ぎゅっと手を握りしめた。ヒュッと鳴るのどをこじ開けて大きく息を吸うと、いっきに魔法の呪文を唱える。
「マゴケラヒ!」
バクバクと大きな音をたてる心臓の鼓動を感じる。オジサンはちょっとの間ポカンとしたあと、大きな口を開けて笑った。
「あっはっはっはっは!」
突然笑い出したオジサンに動揺した。おどおどした僕を無視して、オジサンは豪快に笑い続けてる。よっぽど面白いのか、目に涙が浮かんできた。クラスで又聞きした呪文は、間違ってたっぽい。
「いやぁ、悪い。あまりに面白くって」
オジサンはまだ言葉のあいだに笑いをはさみながらも、僕をまっすぐに見た。目の色が金色だ。ほんのわずかに輝いていて、きれい、と言いそうになる。目はガラスのように透き通って、暗闇にいる猫みたいに光っていた。
「自分で考えた呪文ながら、なかなかマヌケな感じだったな」
「え?」
目尻にたまった涙を手の甲で雑にこすりながら、オジサンはまだちょっと笑ってる。
「どこで知ったんだ、俺の呪文は」
「呪文って……」
「今、自分で言ってただろ。マゴケラヒ」
オジサンはレジの奥から出てきて、僕の前に立った。思ったよりもずっと背が高い。この小さな駄菓子屋じゃ、背伸びをしたら天井に頭がついちゃいそうだ。骨ばった手を出すと、僕の眉間に指を突き刺す。
「それは、この前考えたばかりの俺の呪文だ。俺と契約を交わすために使う。お前はどこでそれを知った?」
耳をはうような低い声で言われて、背筋がビクリとする。下手なことを言うと食べられそう。駄菓子を買ったときの方が、愛想はないけどまだおだやかだった。
「学校で、クラスの女子が話してたのを聞いて、その、呪文を言うと魔女になって願いを叶えてくれるって言ってたから」
早口になりながら、言わなければいけないことをしぼり出した。オジサンはだまったままほの暗く光る目で僕を見下ろす。値踏みをされているみたいに、上から下まで何度も金色の目が動いている。その沈黙が僕の不安を風船みたいにふくらませていく。
値段がついたのか、オジサンの視線がようやく僕から外れた。その目が後ろの扉に向かうと、指をパチンと弾いた瞬間にガラガラといきおいよく引き戸がしまった。僕はもう少しで悲鳴をあげるところだった。駄菓子屋の戸が閉まると、見えないところに冷房があるのか、だんだんと冷えた空気がただよってくる。
「魔法使いの前で呪文が唱えられた。掟の通り、契約を結ぼう」
オジサンがそう言うと金色の目の光がどんどん強くなって、短かった髪の毛がぐにゃぐにゃと伸びてきた。
「名を申せ」
平安時代のお姫様顔負けのロングヘアになったオジサンに、重々しくきかれる。
「高宮 円」
怖くて体が固まっていたはずだったのに、なぜだか口が勝手に答えてしまった。
「円か。あまり魔力は感じないが、どんなもんか見せてみろ」
オジサンは大きな手を僕の頭にかざした。何も感じないけど、オジサンは何か考え込みながら、なるほどな、と言っている。その手が離れるとグラっとめまいがして、お尻から床に落っこちた。寒気がおさまって、いつも通り体が動く。今のは一体なんだったんだろう。
「お前は魔力の量は少ないが、かなり質のいいものを持ってるな。俺の弟子としては合格だ」
「弟子?」
「お前が唱えたのは、魔法使いの弟子になるための契約の呪文だ。一度唱えた契約は破棄できない。今日からお前は、俺の一番弟子だ」
「ええ!」
オジサンは満足そうにうなずくと、また指を鳴らして駄菓子屋の戸を開けた。髪の毛がシュルシュルともとの長さに戻って、目の色も気がつくと黒くなっていた。もう金色に光らず、普通の人間の目だ。
「あの、願い事は?」
「言っただろ、あれは弟子になる契約の呪文だって。願い事は修行して自分で叶えろ」
「そんな」
「それから、円」
突然、名前で呼ばれたから慌ててピシッと背筋を伸ばした。
「今日からお前は俺の弟子だ。俺のことは師匠と呼ぶように」
「師匠?」
「弟子なんだから当然だろう?」
それはそうだけど、本当に僕は弟子になったのか? オジサンはたしかに一瞬手品みたいに見た目が変わったけど、僕には何も起きていない。
「まだ自分が弟子になったと思ってないな?」
オジサンはやれやれとでも言いたそうな顔で、駄菓子屋の壁にかけてある薄汚れた鏡を指さした。鏡には僕が映っている。
「何だこれ!」
僕の右目だけが、さっきまでのオジサンと同じ金色に光っている。おそるおそる触ってみたけれど、触った感じはなんともない。オジサンを見ると、片眉を上げて「ほらな」と言った。
「それは契約の印だ。お前が一人前になる頃には、別の色に変わる。魔法使いは皆、魔力が体からもれると、それに反応して瞳が光る。ある程度自由に魔法を使えるようになると自分で抑えられるんだが、円は魔力の量が不安定だから、出したり引っ込めたりするまで時間がかかりそうだな」
「そんな、どうすればいいの!?」
こんな目になっているのが他の人にバレたらどうしたらいいんだ。もし母さんに見られたら、即座に病院に連れて行かれるに違いない。オジサンの話では病院で治療して治るものではなさそうだし、もしかしたら実験台にされてしまうかも……!
「安心しろ、普通の人間には見えない。その目が見えるということは、そいつに魔力があるということだ」
「みんなには見えないの?」
「見えない。見えるのは一定の魔力があるやつだけだ。弟子の目の色は師匠の目の色。つまり、円の目は俺と同じ色をしている。俺の色はちょっと特別だから、他のやつが見たら俺の弟子だってすぐに分かるはすだ」
オジサンはレジの椅子から身を乗り出して、となりの棚から駄菓子のチョコレートをひろった。そのまま包を開けると大きな口を開けて食べてしまう。自分の店の商品だから、そういうことをしてもいいのかな。
「俺は総視だ。魔法使いとして立派に育ててやるから覚悟しろよ」
口の中のチョコレートをもごもごといわせながらオジサンにビシッと肩を叩かれて、僕はよろめいた。こうして僕は、願い事を叶えてもらいに来たはずの駄菓子屋で、魔法使いの弟子になってしまった。
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