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Episode.3 繋がる縁と広がる世界
Guest ― 縁人と蒼蒔 (歪乱狂喜)
偶然は必然というのなら、偶然とは何なのか。そういった概念性は、この際どうでもいい。ただこれが、本当に偶然だというのなら、それはもう……人を引き寄せる天性の才を持つ二人のその力が、大いに発揮されたとしか思えなかった。
事の発端となったその日……その時までは、何事もなくいつも通りに診察も終え、宿直医への引き継ぎも済ませた。更衣室で着替えを済ませて、ロッカー室で帰る支度をしていた。
そこへ、引き継ぎが終わると同時に、姿を見掛けなくなった関谷が勢い良く入って来た。その瞬間、少し驚いて「何だよ」と、思わず強い言い方をしてしまった。
だが関谷は、特に気にする事でもなく「まだ居て良かった~」と、安心した様に言った。
「そういうお前こそ、帰ったのかと思った」
「いや、車に置きっ放しにしてた物取りに行ってた」
そう言うなり、手にした長方形の箱を、俺に差し出して来た。俺はそれを受け取って「ん?着物か?」と訊いた。
「オフクロから預かったんだよ。浴衣だって」
「母さんから?ていうか何で浴衣?浴衣なら、去年買ったけど……」
俺にとってはもう、実家である関谷家。そして、父さんも母さんも、俺にとっては実の親も同然だった。二人も俺の事を、兄さんや関谷と同じ様に、自分達の息子だと思ってくれていると思う。
大学に入ってからは家を出て、一人暮らしを始めた。実家に帰るのは盆と正月くらいの放蕩息子に、それでもマメに連絡をくれる。
こうしてちゃんと働いて、元気に日々を過ごしていても、何かに付けて連絡を寄越すし、世話を焼こうとする。俺も家族からは、かなり甘やかされてると思う。
「それ知らなかったんだろ。それにほら……何年かに一度は家族全員分、浴衣でも何でも新調するじゃん」
「あぁ……でも、俺達だっていい大人なんだし、ちゃんと働いてんだから、こういうのはそろそろ……う〜ん……そうじゃないんだろうな」
「親からみれば、子供は幾つになっても子供なんだろ。俺も新しいの渡されたよ」
苦笑いをしながら、関谷も帰る支度を始めた。その横で俺は(今回の柄は何だろう。色は……無難に紺かな?)と、箱に入っている浴衣を見るのが、段々楽しみになってきた。
「そうだ。これ持って歩くの大変だから送っ─」
「灯里さん、お祭り行こ~!」
「本條さん?!」
関谷に車で送って貰おうと話をしようと思ったら、ロッカー室のドアが勢いよく開くと共に、大きな声で本條さんが現れた。意に反して関谷とハモってしまった。
「どうして此処に?」と関谷が訊くと、本條さんは「早く終わったから、サプライズで迎えに来た~」と、満面の笑みで言った。
「だからって、勝手に入って来たらダメじゃないですか」
「勝手じゃないよ。二人しかいないから入ってもいいって、三谷さんに許可貰った!」
「三谷……」
それを聴いて、男性の看護師の顔を頭に浮かべながら、頭を抱えそうになった。
本條さんと三谷の二人は、本條さんが入院している時から仲が良かった。それ以外の看護師達やスタッフ達……病院関係者とも、本條さんは仲が良い。それはきっと、本條さんの人柄の成せる技だろう。
「ていうか、お祭りって言ってなかった?」
「此処に来る途中、お祭りをやっているのを見たんです」
「あ~、もうそんな時期なんだな〜」
関谷が鼻の下を伸ばして、野崎さんと仲睦まじく、暢気な会話を繰り広げている。なのに本條さんと俺は、押し問答を繰り返しているだけだった。
「ねぇ、行こうよ~」
「執拗い。そんな人の多い所に……いや、大丈夫なのは解ってます。それでも万が一って事もあるでしょう」
「億万が一にもないよ」
「ダメです」
何故だかは解らないが、人混みに紛れていても、本條さんだとバレた事は一度もない。勿論、前もって何処かへ出掛ける予定がある時には、野崎さんか怜くんに、ダミー君をお願いしている。
それを前に出掛けた時に話したら、本條さんは"見ようとしない"のだと言い、一緒に出掛けた七種さんは"信じないようとしない"のだと言った。
二人の言わんとする事も解らないでもない。屁理屈の様にも、矛盾している様にも取れるが、それがファン心理という物なのだろう。
見ようとしなければ、それは"見ていない"のと同じで、信じようとしなければ、それは"信じていない"のと同じ。人は見たいものしか見ない。信じたいものしか信じない。それもまた、人間の心理なのだろう。
「人が多い方が逆にバレにくいんじゃないか?」
「そうですね。お祭りでは皆、屋台などに気を取られますからね」
「そうそう。どうせ「あの人、本條青葉に似てる」~って、言われるだけだよ」
揃いも揃って危機感が無さ過ぎる。本来なら、止める立場である筈の野崎さんまでもが、本條さんの肩を持つ様な事を言う。
しかしここまで盛り上がられると、頑なに反対するのも気が引けてくる。それ以前に、何を言っても止められる自信もなかった。
「解りました、行きます。でも、何かあったらすぐ帰りますからね」
「やった~!灯里さん大好き~!」と言って、抱き着いて来ようとする本條さんを、その手前で「ストップ」と言って止めた。
勢いに流される様に、四人でお祭りに行く事に決まった。それこそいい大人達が、(祭り如きで何をはしゃいでいるんだろうな)と思ったが、実はお祭りが好きな俺にとっては、ちょっと楽しみだったりする。
(そういえば去年……)
本條さんと買い物に行った帰りに、秋祭りがやっているのを見掛けた。案の定、それを見た本條さんが『行こう』と言い出した。
行きたい気持ちと、本條さんの存在がバレたらと……という葛藤の末、誘惑に負けて行く事になった。その時の事を、本條さんに話したら、真剣な顔で「またリンゴ飴食べて」と、意味の解らないお願いをされた。
「リンゴ飴?あぁ……今日は食べません」
「えぇ~、食べてよ~」
「理性に負けて帰りたくなっても知りませんよ?」
駄々を捏ねる本條さんの耳元で、俺がそう言うと「それもそうか」と笑って言った。
荷物と共に車に乗り込むと、その移動中に実家の母さんに電話をした。
浴衣のお礼を言い、家に帰って中を見るのが楽しみな事も伝えた。そして最後に『たまには顔を見せに来て。本條さんと一緒にね』と、お決まりの台詞を言う。
実は母さんも義姉さんも、本條さんのファンだ。事ある毎に連れて来いと言われる。
でもまぁ……その事を抜きにしても、今まで決まった相手もおらず、いつまでもフラフラしていた放蕩息子だ。それがやっと特定の相手を作り、一緒に住み始めた。ファン云々の前に、親としては、相手の人となりを把握したいのだろう。
俺はいつもの様に「忙しいからまた今度ね」等と、適当に言って電話を切った。そのタイミングの良さで、関谷が「電話終わった?もう着くからな」と言った。
程なくしてお祭り会場に着くと、集合時間を決めて別行動をする事になった。
「念の為……SNSには"青葉くんはスタジオで自主練中"と、投稿しておきました」
「野崎さんありがとう」
「元宮先生が一緒なので大丈夫かとは思いますが、油断はしないで下さいね」
「解ってる、じゃあまた後でね~」
それを合図の様に、それぞれ逆方向へと歩き出した。思っていたよりも、色々な屋台が出ていた。
お面を頭のてっぺんに着けている子供達や、かき氷や水飴を持って歩いている中学生らしき子達の姿も多い。屋台から漂って来る匂いに、食欲をそそられてしまう。そのお陰で、無性にお腹が空いてきた。
「青葉くん、お腹空きません?」
「あははっ……同じ事、考えてたみたいだね。何食べたい?」
「セオリー通り、焼きそばもお好み焼きもいいんですけど、フランクフルトもケバブも食べたい……あの串焼きも気になるんですよね」
目に付いた物は何でも美味しそうに見えるし、お祭り効果と匂い効果か、どれもこれも食べたくなってしまう。
「全部食べよう」
「流石に全部は無理じゃないですか?」
「半分こ出来るのは、半分こしたら良くない?焼きそばやお好み焼きは半分こ出来るでしょ。そしたらその分、他の物も食べられるよ?」
「それはどうかな……」
どんなに"食べるぞ"と意気込んでも、いざ食べようとすると、思ったよりられなかったりする。
「取り敢えず半分こ出来る焼きそばと、お好み焼き食べようか」
「そうしましょうか。飲み物も買いましょう」
「お酒飲む?」
「動きながらなので止めておきます。無難にお水にしましょう。あっ、あの光ってる飲み物、面白そうですよ」
そこからは食べたり飲んだり、色んなお店を覗いては見て回った。お土産に買うと言っていたりんご飴も買って、狐のお面を買った。綿あめを買うと、二人で摘みながら食べた。
人混みで迷子にならない様にと、本條さんが手を繋ぎ出した。俺は「誰かに見られたら」と言うと、本條さんは周りを見ながら「夜だし、俺達の手元なんて誰も見てないよ」と言った。
一通り回っている途中で、救急隊員の人を見掛けた。病人か怪我人がでたのかと思って見ていたら、知ってる顔があった。
隊員の人と関谷、もう一人が状況説明をしているらしく、傍に野崎さんと、七種先輩が居た。その説明が終わったのか、関谷達が救急車から降りて来る。その姿を見て本條さんが「立花先生?!」と言った。
「立花先生って……つまり、ゆかっちさんで、一ノ瀬先輩?」
「そういう事。あ、気付いた。行ってみよう」
「え、でも……」
「いいから」
確かに関谷が救急隊員と一緒に居たのは気になる。それ以上に、先輩達と一緒に居たのも気になった。
「先生~」と言って駆け寄る本條さんの後ろから、着いて行った。
「おん、青葉やないけ」
「何かあったの?」
「急病人が出たんです。遼さんが処置をしている時に、救護の方が来まして。その方の案内で救護テントに行ったら、蒼蒔さんと先生が居たんです」
関谷が急病人を助けたらしい事は解ったが、そこにどうして、その二人が居るのかが解らなかった。
「二人も来てたんだね」という、七種先輩の問いに「あ、お久し振りです、えっと、この状況は……?」と、見当違いな返事をしてしまった。
その時の様子を七種先輩が、野崎さんの話を纏める様に、話して聴かせてくれた。
そして、一ノ瀬先輩の指示で七種先輩がサイレントで救急車を呼び、到着するのを見計らって担架で連れて行った様だ。サイレントにさせたのは、患者の容態がそこまで危険ではないと判断した為と、お祭りに水を差すのは無粋だと判断したからなのだろう。その咄嗟の判断力が、お世辞抜きで凄いと思った。
「戻んで」
「良かったら四人もおいで。パイプ椅子だけど休めるよ」
一ノ瀬先輩の一言に七種先輩がそう言うと、何となく四人でその後を着いて行った。
さっきから俺がずっと黙っているからか、本條さんが「そうかした?」と心配そうに訊いてくる。俺は「え、何もないですよ」と答えた。
何もないというのは嘘だった。一ノ瀬先輩は、高校の時から背も高かったし、イケメンだった。でも今はそこに"大人の色香"の様な物も相まってか、ドキドキしてしまう。
目が離せないというのも違う気がした。隙がなく無駄のない動作。常に神経を張り巡らせている様な緊張感が漂う。
時折お祭り会場に目を遣っては、ふと見せる微笑み。だがその後、微かに垣間見せる物寂しそうな表情は、一体何だろうと気になった。
通されたテントのパイプ椅子に座ると、酔っ払いのお爺さん達が「ゆかちゃん、また美人捕まえたか」「爺さんもモテモテだったからな」等と軽口を言う。
「酔っ払いはよお喋りよる。おい、皆に茶でも出したれや」
一ノ瀬先輩が呆れた口振りでお爺さん達に言うと、七種先輩を振り返ってそう言った。
「今やってるよ。あ、青葉もお茶で良かった?」
「うん、お茶で良いです」
一ノ瀬先輩と七種先輩の遣り取りが、あまりにも長年連れ添った夫婦……夫夫の様だったので、もしかしたら高校の時から付き合っているのかと勘繰ってしまった。
「えっと、Mao……やなかった。元宮は関谷と同じで、高校ん時の後輩なんやてな」
「そうです。先輩達は有名だったので、二つ下の俺でも記憶に残ってました」
「有名だったのは縁人だけだよ。それに僕は、元宮くんの事知ってたよ。新入生に綺麗な子が入って来たって、噂になってたからね」
七種先輩はキッパリと否定する様に言ったが、七種先輩も一ノ瀬先輩に負けず劣らずの有名人だった。そして俺に、そんな噂があったとは思いもしなかった。
「灯里さん、昔からキレイだったんだね!」
やたら興奮気味に言う本條さんに、七種先輩は「顔で好きになったの?」と、揶揄う様に訊いた。
「違いま〜す。あっ、いや、顔も好きだけど……もぉ、解ってて訊いてるでしょ?!」
「あははっ……うん、良いね。今の青葉はとても素敵だよ」
「そんな事ない。俺はもっと良い男になる予定で〜す」
「ふはっ……なんや"予定"かい」
いかにも本條さんらしい返答に、一ノ瀬先輩が笑いながら揶揄う。すると「せや……四人は明日、暇か?」と、唐突に話題を変えた。
「灯里さんと俺は休みだよ」
「明日は特に、予定は決めてないですね」
「あ~、俺は宿直なんです」
「私は休みですけど予定が……。あの、何かあるんですか?」
顔を赤くしてしどろもどろに野崎さんは言うと、誤魔化す様に一ノ瀬先輩に質問を投げ掛けた。
「花火大会があるやろ。うちの連中……まぁ、身内やな。その面子で行くんやが、暇なんやったら一緒に行かんか?」
「昼間は浅草をブラブラしてね、夜は屋形船から花火を見る事になってるんだよ。船は貸切りだから、青葉が居ても大丈夫」
「屋形船を貸切り?!」と、思わず声が大きくなってしまった。
大きな団体ならまだしも、普通は相乗りだと聴いた。当然、その方が料金も安く済むからだ。それを貸切りにするとは……流石セレブといった所か。
「行ってみたい!浅草も、撮影でしか行った事ないから行ってみたい!」
「花火大会は俺も行った事ないです。精々、テレビで観るか観ないかですね。浅草も長い事行ってないです」
「なら、二人は参加させて貰えばいいじゃん。奏汰と俺は時間まで家でゆっくりしてるよ」
「ですね。怜くんも行くのでしたら、明日のダミー君は私が担当します」
何故か話が"本條さんと俺は参加する"という、流れになっている。だが、目を輝かせている本條さんを見ていると、断る方が何だか気が引けた。
「ほな、二人追加やな。連絡しといてや」
「もうメールした。二人には後でまた連絡するね」
「お、そろそろ終いやな……」
一ノ瀬先輩の言葉でスマホを見ると、21時をとっくに過ぎていた。盆踊りのアナウンスも、次の曲で最後だと告げている。
何気なく会場を見ると、名残惜しそうに友達と帰って行く子供達や、親に手を引かれ今にも寝落ちてしまいそうな小さな子供達。駆け込みで屋台に飛び込み、ギリギリまで粘ろうとする若者達。
「ほな見回り行くか」
「そういえば、伊吹達が戻って来ないね」
「七種さん達も来てるの?」
「皆来てんで」
それ聴いた本條さんが「皆に会いたかった」と、ガッカリした様に言う。七種先輩が「明日会えるじゃない」と、気休めの言葉を掛ける。
「明日は明日。今日は今日なの!」
「駄々捏ねないで、明日の楽しみにしましょう。それより俺達も、今のうちに退散した方が良さそうですよ」
「入口に子供等がたむろし始めるよって、そん前に帰った方がええな」
「むぅ……二人がそう言うなら帰る……」
一ノ瀬先輩の後を追う様に、テントから出て歩き始めると、本條さんは 解り易く、膨れっ面をして拗ねた。
俺は「帰って明日の支度もしないとダメですよ」と言って、気を逸らせ様とした。すると七種先輩が「二人も浴衣で来てね」と言った。
「浴衣……俺、浴衣なんて持ってたっけ?」
「去年、一緒に買ったでしょう」
「あ、そうだった。あれ?灯里さん、さっき電話で「浴衣ありがとう」って、言ってなかった?それっぽい箱も持ってたよね?」
「母さんが買って寄越したんです」
先輩達は、入口とは逆の方向に行く様だったので、俺達はその場で二人に挨拶をして、入口に向かって歩き出した。
一ノ瀬先輩の言った通り、入口付近には既にチラホラと、子供達がたむろしていた。俺達は足早に通り過ぎて、駐車場の方まで歩いて行った。
「それにしても、凄い展開になったな」
車を運転しながら関谷が言う。一瞬、さっきの今川焼きの話かと思ったが、すぐに明日の事だと思い直した。そもそもが、今日のお祭り自体が急展開だった。しかもそこで、思いもよらぬ再会があった事が、偶然と呼ぶにはあまりにも偶然過ぎて、冒頭に戻る。
「急展開過ぎて思考が追い付かない」
「立花先生の予測不可能な行動は昔からだからね、慣れないうちは驚きの連続だけど、色んな経験も出来るし、話をしてるだけでも楽しいから慣れてね」
人の事は言えないが、あんなぶっきらぼうで話していて、本人は楽しいのか疑問ではあった。でも、急病人への対処の話などを聴いてる限り、やはり知識は豊富なのだろうと思う。そもそも小説を書いたり、グループ会社の一端を担っているのだろうから、知識や経験などは多いだろうけど。
一緒にゲームをしていても、的確なアドバイスをくれたりフォローしてくれたりと、恐らく面倒見もいいのだと思う。
「まぁ、そんな重く捉えず楽しんで来いよ」
「皆さんも一緒だと言ってましたから、怜くんも沢山楽しんでくれると良いですね」
「でた!野崎さんの過保護。もぉ〜お母さんは心配性なんだから。ねぇ、お父さんもそう思わない?」
野崎さんの言葉に、本條さんが揶揄う様に言ったかと思ったら、関谷に話を振り出した。
「え?お父さんって俺?」
「野崎さんがお母さんなら、お前がお父さんなんだろう」
「なるほど……母さん。本條さんや元宮先生も一緒だから、心配しなくても、怜はきっと楽しんでくるよ」
「ちょっ、遼さんまで乗らないで下さい!もぉ……」
関谷の言葉で車内は盛り上がって、顔を真っ赤にした野崎さんだけが、居た堪れないといった風だった。それを察したのか、本條さんが「明日が楽しみだな〜」と、話を変えた。
「帰ったら、浴衣を出さないとダメですね」
「去年買ったやつって、結局着れてないんだよね……あれ?灯里さんはどっち着るの?」
「母さんからの浴衣はまだ見てないんですよ。なので、見てから決めます」
浴衣の話から、本條さんが過去に、着物や浴衣の写真撮影をした話を始めた。それは写真集にも載っていたので知っていた。それを言うと「見たの?!」と、興奮気味に食い付いてきた。
「付き合う前です。家にもその写真集ありましたね」
「あぁ、貰うからね……え、付き合う前に見たって初耳なんだけど……」
「初めて言いました」
「何年も前のだから恥ずかしい……」
本條さんが顔を赤くしたり青くしたりと忙しない中、関谷が「イチャイチャの続きは家でやってくれ」と、巫山戯て言う。何気なく見た窓の外に、すっかり見慣れた景色が目に入って来た。
「もう着くから、忘れ物ない様にな」
「逆方向なのに悪かったな、助かったけど」
「どうせ最初から、送れって言う気だったんだろう」
「それはそう」
俺の言葉に関谷が笑うと、野崎さんが「帰りは私が運転しますね」と言った。
「二人だってイチャイチャしてるじゃん」と、本條さんが反撃する様に言った。その言葉に「危ないから、運転中にイチャイチャするなよ」と、俺も乗って言う。
「揶揄うな。それよりほら、着くぞ」
車が停まって荷物を持って降りると、野崎さんと関谷も、運転を代わる為に降りた。
本條さんが「ありがとう」と、二人に声を掛けた。俺も二人に向かって「ありがとうございました」とお礼を言う。
「明日は楽しんで下さいね」
「楽しんで来いよ」
二人の言葉に「ありがと〜」「満喫してくるよ」と、口々に言うと、誰からともなしに「お疲れ様」と言って別れた。
本條さんと二人で、コンシェルジュの人に頭を下げ、エレベーターを待つ。
「先生、カッコ良かったでしょ?灯里さん、ずっと見てたもんね」
「う〜ん……」
本條さんが半分拗ね気味に、残り半分は自慢するかの様に言った。傍から見たらずっと見ている様に見えたらしい。そういうつもりは、全くなかったのだが。
「まぁ、イケメンですよね。格好良かったです」
「何その意味深な感想」
「いや、その……癖でつい観察をしてしまって……それで、目が離せなかった感じなんですよ」
「何か気になった?」
あれは"気になった"と言っていいのか解らない。時折見せるあの物寂しさの様な表情はなんだろうと、そういう疑問の方が先に出た。
やって来たエレベーターに、二人で乗り込みながら、話を続けた。
「謎多き人って印象です。掴み所がない感じもしますけど」
「ふはっ……それは多分、皆そう思ってるよ。でも、裏表はないんだよね。そりぁ、隠し事とかはあるだろうけど、話している事に、裏も表もなくて、嘘も偽りもない。でも自分が言った言葉に、ちゃんと責任が持てる人」
「あぁ、それは思いました。かといって、自分の気持ちを押し付けるでもないんですよね」
「あぁ、それで"ずっと見てた"って言うよりは"観察してた"って事か」
エレベーターを降りて、鍵を開けて二人で「ただいま」と言いながら、中に入って行く。荷物を一旦、リビングに置くと、手を洗いに洗面所に向かう。
淹れたアイスティーを渡すと、本條さんが「灯里さんの浴衣、俺が選んでいい?」と訊くので、俺は「浴衣、似合う方を選んで下さいね」と言った。
バスタブに溜めていた、お湯が溜まった事を報せるメロディが聴こえると、本條さんが先にお風呂に入りに行った。その後ろ姿に、俺は「後から行きますね」と言って、ティーカップをシンクに片付けた。
そして浴衣を出すべく、寝室のクローゼットに向かった。去年買った浴衣を二人分、出してハンガーに掛ける。今日貰った浴衣も、箱から出して掛ける。そして、俺もお風呂に入るべく、バスルームへと向かった。
お風呂でも、今日のお祭りの事や、明日の花火大会の話で盛り上がり、お互いに"遠足の前の日の子供"の様に、テンションが上がっているのが解る。
「そうでした。浴衣を出しておいたので、選んで欲しいんですけど……」
「勿論!早く見たい!」
「必ずどっちかを選んで下さい。どっちも……は、なしですからね」
「んんん?て事は……灯里さんは既に悩んでる?」
ズバリ言い当てあられて、気の利いた言い訳が思い付かずに、黙って無言で頷いた。本條さんは「解った。ちゃんと選ぶね」と、約束する様に言った。
だが……いざ浴衣を目の前にして、本條さんは「う〜ん……う〜ん……」と、頭を抱える勢いで悩み始めた。俺が「やっぱり悩みますよね」と言うと、首に傾げて「そうだ。ちょっと羽織ってみて」と言った。
パジャマの上から一着ずつ着ると、本條さんは「うん、決めた」と、何故かドヤ顔で言った。
「こっちの淡いベージュ」
「ですね。俺もこっちが良いとは思ってたんですけど、去年のも捨て難くて」
「それはまた次の機会に着ればいいじゃん。それに、こっちの方が俺の浴衣に合うよ」
本條さんの浴衣は紺色ベースで、裾と袖にさり気なくグラデーションになっている物だった。母さんから貰った、白くも見える淡いベージュに、金糸が織り混ぜてある浴衣は、去年買った浴衣より合うかも知れない。
浴衣を選び終わると、明日の用意をして、二人で眠りに就いた。
翌朝、アラームの音で目が覚めるも、休みだと思うと起きる気力が出て来ない。でも、横に居る筈の本條さんが居なくて、ボーッとしながら身体を起こす。
寝室に入って来た本條さんが「あ、起きた?」と言うと、俺は「ん……」と言って頷いた。それを見てか、本條さんは可笑しそうに「まだ寝惚けてる」と言った。
「早くない……?」
「休みでも、いつも通りに目が覚めちゃう」
「うん……」
「灯里さんは、休みの日はポヤポヤしてるよね。あ、朝ご飯作ったから、顔洗って来て。一緒に食べよう?」
俺はまだボーッとする頭で「食べる」と言いながら、ベッドから降りた。
顔を洗うとスッキリした。そのお陰か目が覚めて、キッチンから漂う匂いにお腹が鳴った。匂いに誘われる様にキッチンに行くと、テーブルの上には朝食が並べてあった。
朝食を食べて片付けを終えると、本條さんが「13時に下まで迎えに来るって」と、スマホを見ながら言った。
「母さんお勧めの、行きたいどら焼きのお店があるんですけど、行列が出来るそうなんですよね……」
「でもそれ絶対、美味しいやつでしょ。食べたい!」
「俺達だけで並んでもいいですしね」
他にも何か気になる店はないかと、二人で調べた。意見が一致したのは、母さんお勧めの店と、あげまんじゅうの店だった。他はどうやら仲見世通りにあるらしかったので、通り掛かったら見ようという事になった。
仲見世通りには、海外から来た観光人が好きそうな店や、昔からある店も多い等と、そんな話をしながら、本條さんがやっておいてくれた洗濯物を畳んだりしていたら、いい時間になっていて、二人で浴衣に着替える事にした。
「緩くないですか?」
「ん〜、もう少し締めても良いよ。型崩れしたら変でしょ」
「ならもう少し力入れますね」
そう言って力を込めて帯を締めると、本條さんが「待って待って、それはちょっと苦しい」と言った。人の着付けは、力加減が難しい。
本條さんの着付けを終えると、自分も浴衣に着替える。着物を着ると、自然と背筋が伸びる気がするが、それは浴衣も同じだと思った。
「髪が少し伸びたから、横で留めると、いつもと違って良い感じになるかも知れませんね」
「灯里さんも、病院行く時の髪型の方がいいかも」
そう言いながら二人で洗面所に行って、お互いの髪型をセットし合った。
「ねぇ、浅草なら簪とか売ってる?」
「売ってますけ……あ、買いませんよ?」
「ちぇっ、バレたか〜」
「バレるに決まってんだろ」
俺がそう言うと、思わず二人で顔を見合わせて笑った。
リビングに戻って時計を見ると、もうすぐで待ち合わせの時間になる所だった。俺が「下で待ってましょうか」と言うと、本條さんが「そうしよ〜!」と言って、巾着袋を取って玄関へと向かった。
草履を履いて戸締りをすると、どちらともなく「行って来ます」と言って、エレベーター前まで歩いた。数分も待たずにエレベーターが来て、それに乗り込み下まで降りると、エントランスに、七種さんが結人くんと立っていた。
本條さんと二人で「お待たせしました」と言いながら、二人の元に行くと、七種さんが「そろそろ来ると思ってました」と言った。
「ぅわ〜、推しが最高にキレイ過ぎて目の保養!」
「ふふっ……結人くんも素敵ですよ。その浴衣も、とても似合ってます」
「蒼兄が選んでくれた」
「七種さんは浴衣じゃないんだね」
俺も疑問に思った事を、本條さんが言うと「撮影するのに動きにくいから」と言った。俺は(確かに、甚平の方が動きやすいだろう)と思った。
早速と言わんばかりに二人は、車を停めてあるのだろう方向へと歩き出した。
「二人も迎えに来て貰ったの?」
「迎えに来て貰ったというよりは、此処で待ち合わせ」
「結人くん、自分で着付けたんですか?少しここズレてますよ……」
襟元が少しズレていて「ちょっといいですか」と、言ってそれを直していると、結人くんが「七種さんが着付けてくれたんです」と言った。
「何でも出来るんですね」と言うと、七種さんは「何でも……は出来ないですけどね」と言った。
「でも、覚えておいて損はないな〜って事は、一通りやって覚えました」
「それは"撮る為に必要"だった……って事ですか?」
「結果的には。そんな気はなかった事でも、仕事で"やっといて良かった"って思う時はよくあります」
例えその場では、どんな意味があるのか……何の役に立つのか解らない事がある。学生などは特にそう思うものだろう。だが世の中とは面白い事に、いつ何時、それらが役に立つか解らない。そういうものなのだ。
二人の後に着いて行くと、思っていた車とは違う車……ミニバスというのか、マイクロバスというのかは解らないが、普通のバスの小型版が停まっていた。
「わ〜、撮影行くみたい」
「何台も出すより、一台の方が楽だろうって、縁人さんが手配したらしい」
「ゆか兄のやる事って、たまにスケールが違い過ぎててビックリする。もう慣れたけど」
バスに乗り込むと、何故か黄色い歓声で出迎えられた。てっきり、本條さんの事だと思っていたら、視線が全て俺に集まっていたので、驚いてしまった。
「ちょっ……灯里先生って、話に聴いてるより百倍も綺麗じゃん!」
「なぎ、初対面の人にそんな不躾な事言うたらあかんやろ」
「えへっ、すいません。一ノ瀬凪沙です。結人達の従姉で、七種の元同級生。隣に居るのは、ボクの可愛いパートナーの莉夏」
「なんて雑な説明しよるんや……初めまして」
凪沙さんの顔は知ってはいたが、初対面なので「初めまして、元宮灯里です」と、自分の名前を名乗った。
「はわわ……推しが二人共、カッコきれい……ぼぼぼぼく、このまま死ぬのかな……」
「怜ったら、オタクパニック起こしてる」
「怜くん、落ち着いて下さい。それと……皆さん、俺の事は灯里って呼んで下さい」
「あ、俺のことも青葉って呼んでくれると助かります!」
本條さんと二人で、お願いする様に言うと「歳上なのに呼び捨ては、失礼ですよ」と、皆が口々に言う。俺は(言われてみればそうか)と思った。すると、一番後ろに座っていた一ノ瀬先輩が言う。
「なら"さん"なり"くん"付けりゃあ、ええやろが。時間なくなるよって、四人共はよ座れ」
「俺は真ん中辺りがいいな……」
「この辺じゃない?」
「じゃあ、そこにしよう」
俺は何処に座ったらいいのか解らずに、本條さんに助け舟を出す様に見た。
「俺、先生の隣がいい~!」と言って、一ノ瀬先輩の隣へと座った。そして、その横の空いている席を叩いて、俺に座る様に促した。
「七種先輩、着物も似合いますね」
「僕だけ先祖返りでこの顔だからね、外国人観光客って思われそう」
「それでも、似合ってると思います。弟さんの方は子供っぽくなってますけどね」
俺が小さめの声でそう言うと、七種先輩は「元宮くんに褒められると、何だか照れるね」と、珍しく顔を少し赤くしてはにかんだ。
「伊吹は親父さんに似て日本人顔しとんのに、昨日の浴衣といい……なんや似合わんなぁ」
「そう?俺はあの甚平、似合ってると思うけど?」
「う~ん……何でですかね。あっ、チャラく見えるんじゃないですかね?」
本條さんの言う通り、あまり違和感は感じないが、一ノ瀬先輩の疑問には、他に答え様がなかった。
「あははっ……チャラいか……ふふっ……おん、そうかも知れんな……あっはは……」
「ありゃ、先生ががツボっちゃった」
「これは当分、笑いが止まらないね」
俺の言葉がそんなに変だっただろうか。自分では普通に言ったつもりなのに、最近になって笑われる事が増えた。
本條さんには『灯里さんの笑いのツボが解らない』と、よく言われるが、何気なしに言った事で、こんなに笑われるのかと、思う事も増えた。
「あの、俺……そんなに変な事言いました?」
「言ってないよ。でも、縁人のツボが謎なの」
「あっ、それ、灯里さんもだよ」
その時、カメラのシャッターの音がして、振り返ると、七種さんが「爆笑してるレアな縁人さんGET~」と、言いながら笑っている。
「縁人さんもだけど……元宮さんも、意外と沸点低かったりすると思うけどな。頭が良くて、しっかりした人に多いイメージある」
「じゃあ、七種先輩が笑ってないのは?」
「蒼蒔は単に、感情がないだけ~」
「失礼だね伊吹。僕にだって感情はあるよ」
先輩がムッとした様に言う。人間なのだから、感情があって当たり前だ。前の……本條さんや怜くんの様に、感情を押し殺していたとか、感情表現が上手く出来なかった、というのもまた別だけど。
「元宮さんって、冗談でも冗談じゃなくても、割りと無表情だったり、真面目な顔で言うでしょ?」
「そうですか?意識した事ないです」
「解りやすい時もあるんだけどね。あと、思い付きなのかな……気持ちが先行してる時とか、割りと喋るんだけど真顔だよ」
「そうそう、公園でランチした時とかな」
そういえば、あの時も三人に笑われた覚えがある。考えた事もないけど、確かに今まで、顔や態度に出さない様にしてきたから、その癖がまだ抜けていないのかも知れない。
「う~ん……やはり、人間はそう簡単には変われませんね。これでも頑張ってはいるんですけど」
「当たり前やろ。人間、そない簡単に変われるんやったら、元宮達の仕事はのうなるで」
笑いが止まったのか、不意に一ノ瀬先輩がそう言った。すると、本條さんが「そうなったら、俺が灯里さんを養う!」と、意気揚々と言い出した。
それに対して「声が大きい」と、七種兄弟と俺が言い、一ノ瀬先輩は「喧しい」と、笑いながら言った。
「元宮。頑張りに対しての結果が出えひん場合、考えられるケースはなんや?」
「えっ、えっと……努力不足ですかね……すいません、これくらいしかすぐに思い付きません」
先輩の問いに対して、出せる答えが他にない。そもそも、俺の努力が足りないんだと思っているから。
「いやええ。普通やったら、誰もがそお考えるやろし、そお答える。けど、結果を導き出す方法は幾らでもある」
「あ、なるほど。違うアプローチを考える……ですか?」
「せや。物事はいつだって、多角的に捉えなあかん。勿論、想定外の事も含めてな」
つまり、杓子定規に考え過ぎていたのだろう。そして、意識する事で、変わる気がしていたのだ。気がしていただけでは、変わっていなのとほぼ同義だ。
「元宮くん、誰に対してもそういう話し方なの?」
「そうです。でも、青葉くんには少しづつ素が出せる様になった……気がします」
「この前、七種さんと結人くんの四人で、買い物に行ったじゃん。あの時、レジ前で、七種さんと俺の事「そこの馬鹿二人、店内で騒ぐな。迷惑だろうが」って、怒ったでしょ?」
そういえば怒った。でも、そんなキツイ言い方をしたかは覚えていない。そういう事まで覚えているのが、本條さんらしいと思った。
「えぇ?伊吹と青葉を怒ったの?縁人も僕も、そこまで怒らないのに?」
「いや、二人が何かに付けて喧嘩というか、言い合いを始めるんですよ。よくある兄弟喧嘩みたいな感じで。だからその度に、呆れたり怒ったりと……」
俺はあの日の事を思い返しながら、愚痴るみたいに話をした。最後は言い過ぎたと思って、言葉を濁したけど。
「俺、それでいいと思うんだよね。俺だけじゃなく、七種さんに対して言えたのも大きいと思う」
「せやな。相手ともっと仲良おしたい、距離を縮めたい思うんやったら、話し方や言い方を変える。きっと元宮の事やから、意識し過ぎて逆になっとるんや」
「元宮くんは、真面目だからね」
話し方や言い方も、変えているつもりではあった。つもりでは、ダメなんだけど。
「もっと、肩の力抜いて話したったらええねん。少なくとも今、此処に居る奴等は全員、元宮と仲良おなりたい思おてるやろな。それに、例え元宮が、俺並みに口が悪うても、誰も嫌いにはならん」
一ノ瀬先輩が前を見て、断言する様に言う、その言葉にハッとして前を見ると、皆が俺を見ていた。その視線は好奇ではなかった。自惚れていいなら……その視線は、期待が込められている感じがした。
「もっとフランクに話せる様にします」
「ニュアンスを変えるだけでも違うよ。此処に居る皆は、耳が良いから、声のトーンだけでも違うと思う」
「あぁ……声のトーンだけで、雰囲気って変わるのか……」
本條さんの言葉に納得して、顔だけでなく、声の表情も変えてみようと思った。それに……。
「病院から出たら、俺は"先生"ではなく、ただの"元宮灯里"なんですよね」
「俺もそうだけど、灯里さんも人の事言えないよね〜。ずっと仕事脳の時ある」
「あ〜、それ言ったら七種さんもそうだよ」
「縁人もそういう時あるね」
どうやら墓穴を掘った様だ。しかも、一ノ瀬先輩と七種さんまで巻き込んでしまった。すると、前の座席に座っていた凪沙さんが、大きな声で「はいはい、質問!」と、手を挙げながら言った。
「なんやうっさいのお」
「灯里さんは、写真OKですか?勿論、SNSとかには載せません!あ、勿論だけど青葉くんの写真も載せないからね」
「俺で良いなら、皆さん自由に撮って下さい。ただし、期待に添えられるかは……保証出来ないです」
何となく笑いそうになりながら言うと、隣で本條さんが写真を撮っていた。そして「今の良かったよ」と言った。それは恐らく、言い方や雰囲気が良かったという事なのだろう。
楽しければ笑えばいい。嬉しければ喜べばいい。負の感情にしても、TPOさえ弁えていれば、それを晒し出してもいいのだ。
素直になるという事は、思っている事を言うとか、そういう意味だけでなく、感情の一つ一つに対しても同じ事が言えるのだと思った。
「そうだ。昨日、灯里さんと行きたいお店を、ピックアップしたんだよ」
「え、俺もピックアップしたよ。青葉くん達はどこチェックした?」
そう言って結人くんが、俺達の方を振り返りながら訊いて来ると、本條さんが「え~っとね……」スマホを操作している。そして二人の甘党は、保存した画像を見せ合いながら、楽しそうに話している。
「やっぱ、青葉くん達も気になったんだ。俺もこの"4種の抹 茶餡だんご"は外せないと思ったんだよね」
「あ、これは灯里さんが選んだ。俺はこっちの"いちごカステラ串恋みくじ付き"ってやつ。抹茶は苦いから、濃さが選べるヤツじゃないと、俺は無理だなって」
「でもこの"宇宙一濃い抹茶ラテ"は、好みの味が調節出来る、って書いてあるから大丈夫じゃない?」
「あと、皆でシェアしたいのが……」
本條さんがそう言った所で、凪沙さんが「たこの鳴き声でしょ?」と、よく通る声で言った。
「そうそう……え、有名なの?」
「原宿の"あの"わたあめくらいには、有名じゃないかな?でも意外とサクサク食べられるから、この人数なら二枚買わないと足りないかも~」
「あと、おさつチップスと浅草メンチも捨て難いで」
「二人共、なんか詳しいね」
結人くんが不思議そうに言うと、二人は「月イチくらいには行ってる」と、ハモリ気味に言った。
二人の話を聴いていると、イラストのインスピレーションを求めに行くのに、浅草近辺は丁度いいらしい。
何百年もの歴史を持つ六角堂、弁天堂などがある。更に、明治から建っている、有名な神谷バーや、仲見世通りもそれなりの雰囲気があるのだという。
散歩がてら歩いて行くと、かっぱ橋に出る。そこの道具街も色んな店があり、仕事に関係あるなしに関わらず、飽きがこないのだという。
「そうだ、灯里さんは料理が趣味だって聴きました。青葉くんも最近やってるんだよね?」
「そうそう。やってみたら楽しいし奥が深いしで、気付いたらハマった」
「ほな、かっぱ橋はオススメやな」
「何かあるんですか?」
俺が訊くと、凪沙さんが「包丁専門店とかあるんだよ」と言い、莉夏さんが「料理に関する物が、揃ってるんよ」と言った。
「それなら俺も行きたい。まだたいした物は作れないけど、料理も作ってるし。何より、調理器具がなかなか良いの見付からなくてさ」
「解ります。調理器具……やっぱり、道具は良い物を使いたいですよね」
「お前ら今日の目的地は、浅草と花火大会やで」
一ノ瀬先輩が、呆れ気味にそう言うと、本條さんが「じゃあ今度、皆の予定が合う日に行こうよ」と言って、かっぱ橋の話は終わった。
「元宮くんの行きたいお店も、青葉達が言ってたお店?」
「そうです。俺的には浅草メンチは外したくないと思ってます。でも実は困った事というか悩んでる事がありまして……」
「ん?困ってるの?悩んでるの?」
「両方ですね。実は、母からお勧めされたお店があるんです。でも結構並ぶらしくて……だから、俺だけ並んでもいいんですけど……」
そう言いながら、本條さんの方をチラッと見ると、七種先輩が「あぁ、元宮くんと離れたくないんだね」と、可笑しそうに言った。
「亀十やろ。それやったら、買うて来る様に言うてある」
「縁人も好きだもんね」
「やっぱり美味しんですか?」
「定期的に食べたなるくらいにはなぁ。けど、松風も捨て難いで」
母さんに言われて、亀十を調べた時に、どら焼きと一緒に、その"松風"なる物も、一緒に書かれていた。読みながら、口の中に黒糖独特の甘さが広がる感じがしたのを思い出した。
「あ~、やっぱそれも食べたい……並ぶか……」
「ありゃ?灯里さん、どうしたの?」
「母さんからお勧めされた、どら焼きですよ。一ノ瀬先輩から感想を聴いたんです。やっぱり俺、並びますね」
「え~、そんなのヤダ~」
並ぶと言っても、数時間も並ぶ訳ではないだろう。今生の別れの様に、恨めしそうに駄々を捏ねても仕方ないだろう。それだけの価値がきっとあるのだ。
「せやから、元宮達の分を追加で買う様に言うておくよって、食べ歩き楽しもうやないか」
「でも……っていうか、誰が並ぶんです?」
「今、運転しとおオッサンや」
「それは悪いですよ。いくら何でも、そこまで甘える訳にはいきません」
その時まで気付かなかったのだが、一ノ瀬先輩の片耳に、Bluetoothのイヤフォンが挟まっていた。そのイヤフォンから何か聴こえたのだろう、先輩が「人の事は言えんが、お前の方がオッサンやろが」と、笑いながら言った。
「おん、聴こえた通りや。箱が一とパックが二や。あぁ……ほな、少し離れた所に停めても構わん」
誰と話しているのかは解らないが、相手には俺との会話が聴こえていたらしい。そしてさも当たり前の様に、俺達の分まで追加した。
「見慣れない顔があるでしょう?縁人の子飼いの、護衛兼部下、三人衆だよ。運転してくれているのはシン。最前列にいる、身体が大きな方がリュウ。見にくいけどその隣がハン」
どうしてそんな人達が、一緒に行くのか解らない。でも考えてみれば、顔こそ出してはいないが、一ノ瀬先輩は有名人だし、本條さんも有名人だ。それなら、護衛が居てくれた方が安心ではある。
「有名人も大変だな……」とボソッと言うと、七種先輩は「まぁ、縁人はもう慣れっこみたいだけどね」と言った。
そう言った七種先輩の目は、憂いを含んで一ノ瀬先輩を見ていた。俺は(昔も似た様な光景を見た気がする……)と思いながらも、遠い日の記憶を引き出せずにいた。
「後五分で着く。皆、降りる準備しとけや」と、一ノ瀬先輩が大きくて、よく通る声で言った。
一ノ瀬先輩の言葉で、皆が浮き足立つのが解った。特に本條さんは、今か今かと目を輝かせながらソワソワしている。それを見て(本当に子供みたいだな)と思ったけど、それは言わないでおいた。
ピッタリ五分後に車が停まって、護衛の二人が先に降りると、凪沙さん達から順番に降りて行った。俺は本條さんの後ろに着いて行く。運転席の横を通る時、俺は「あの……どら焼き、宜しくお願いします」と、頭を下げながら言った。
「いいんですよ、どうせボスに頼まれてましたんで。それより、何か困った事があったら、あの若い二人に、何でも言い付けて下さい」
「おい、シン。随分とサービスがええやないか」
「何言ってるんですか、ボスの大事なお客さんでしょうが。丁重にもてなさないで、後から怒られるのは嫌ですからね」
「ふふっ……縁人の負けだね」
雇う側と、雇われる側なのだとしても、それだけでは無さそうな、親密さがある様に見受けられた。それに、一ノ瀬先輩が言った通り、年齢も俺達よりは一回りは上の様にも見える。紹介された若い子二人にしても、怜くん達と大差ない様にも見えるし、俺達と大差ない様にも見える。
(人は見た目だけじゃ解らないな)と、つくづくそう思った。
相手の顔や服装を見て、話をして声を聴く。そして、話し方やその内容を聴いてからじゃないと、言い当てられる自信はない。
「灯里さん、早く早く〜!」
「大きな声を出さなくても、今行きますよ」
「ふふっ……こうしてると青葉も、普通の子供みたいだね」
七種先輩がそう言うので、俺は(やっぱり皆そう思うんだな)と、変な所で感心してしまった。
「子供やないけどな。せやけど今まで、こうして皆で出掛けるなんてなかったから、楽しいんやろ」
「元宮くんのお陰だね」
「そんな事ないですよ。それを言ったら、お互い様なんで。俺もこういう事を、殆どしてこなかったので楽しいです」
「これからも二人で、色々楽しめばええんとちゃうか」
そうなのだ。本條さんの仕事量が制限されて、本條さんには時間が出来る。俺はこれ以上、シフト変更は出来ないが、二人で過ごす時間は確実に増える。
その時間を使って、二人でどう過ごすか……それが、今後の本條さんの成長にどう結び付くかは解らないけど。
車から降りると、人混みが凄かった。花火大会との相乗効果なのだろう。俺達みたいに、浅草を見て回ってから、花火大会に行くという人が多いのだと思う。
人混みが多いにも関わらず、団体で歩いている所為なのか、一ノ瀬先輩の存在感なのかは解らないが、一瞬だけ道が拓ける。本條さんは相変わらず、得意の擬態能力で、上手く周りに溶け込めている。
「何食べる?」
「どこも混んでるね……」
「あんま食い過ぎると、晩メシ食えんくなるぞ」
「動くから大丈夫!」
結人くんと本條さんがハモって言うと、一ノ瀬先輩は少し呆れつつも、笑顔でその様子を見ていた。まるで、眩しい物を見るかの様に……。
「若いっていいですよね」
「何言ってんの?僕達もまだ若いでしょう」
「あの子達に比べたら、おじさんじゃないですか?」
「いやいや……二人も言われなきゃ年齢解らないですよ。特に蒼蒔は妖怪歳取らずだしな」
いつの間にか七種さんが、背後に立っていて、結人くんと本條さんにカメラを向けて、シャッターを切っていた。
「あの二人って兄弟みたいですよね」
「そうですか?七種さんと本條さんの方が兄弟っぽいですけど」
「あれ?僕と伊吹は兄弟に見えない?」
「見えない言うより、兄弟っぽくないんとちゃうか」
言われてみればそうだな、と思った。よそよそしい訳ではないが、セオリー通りの兄弟という感じではない。だから、兄弟っぽくない感じがするのだ。
人混みに紛れながら列に並んだりして、皆で食べ歩きをした。俺が、ふと気になった昆布の店の前で立ち止まると、七種先輩が「ここの昆布美味しいよ」と言って現れた。
「そうなんですか。買ってみようかな……けど、どれがいいのか解らないな……」
そう言って悩んでいると、店の人が試食を出してくれた。七種先輩と二人で「美味しい」と、言いながら試食をしていると、店の人が次から次へと出して来る。
「う〜ん……悩むけど、これとこれ……あと、これも下さい」
「全部買えばいいのに」
七種弟のセレブ思考は、兄も同じだった。確かにどれも美味しいけど、食べ切れなかったら意味はない。すると一ノ瀬先輩が「こういうんは、纏めて買うても意味ないんや」と言った。
「美味かったから、また来て買おういう気持ちも大事なんや。そお思たら、次に来る楽しみも出来るやろが」
「それもそうですよね。また来ようって気になります」
「なら縁人はまた来てくれるの?」
「気が向いたらな」
七種先輩は「もう……」と言って、拗ねる素振りをしたが、どうやら七種先輩を説得したりするにも、一ノ瀬先輩を例えで出せばいいのだと解った。
それに……本條さんと俺は、その気になればいつでも来れるが、先輩達はそうもいかないのだろう。そう考えると"纏めて買う"という発想になるのも仕方ないのかと……いや、それとこれは別だな。
一頻り食べ歩いて、人は多いが、何とか休める場所を探して休憩をした。一ノ瀬先輩と七種さんはタバコを吸いに行ってしまった。残った皆で、さっき食べた物の感想を言い合ったり、他にも行ってみたい店の話などをした。
すると、一服し終わった二人が戻って来ると、一ノ瀬先輩が「ほな、そろそろ移動するか」と言って、本来の目的地へと歩き出した。他の店にはまたの機会までお預けだ。
花火大会が行われる会場へ向かう、人の流れに合わせて歩を進める。他愛もない会話をしながら歩いていると、目的地は意外にも近く感じた。そんな時間も楽しいと思えたからだろう。
会場付近まで来ると人の数も多くなり、気を緩めると皆とはぐれそうになる。
(ここではぐれたら、見付けるのが大変だな)と思っていたら、本條さんが手を繋いで来た。俺が小声で「だから……」と言いかけると、本條さんは口元に指を当てて笑った。騒ぐと余計に目立つ。俺は無言で頷いて、その手を握り返した。
目的の船に着くと、順番に乗り込んで行く。外の通路から、草履を脱いで中に入った。そこは座敷になっていて、既にテーブルが並んであり、テーブルセッティングも終わっていた。
皆が思い思いの所に座ると、お茶が運ばれて来た。一ノ瀬先輩が「予定より早なってすまんな」と言うと、職人見習いの様な若い子が「大丈夫です。料理もすぐにお持ちします」と答える。
「あ〜、急がんでええって伝えてや。時間通りに持って来てくれたらええわ」
「解りました」と言って、厨房があるのだろう方へと下がって行った。
船屋も料理屋もきっと、一ノ瀬先輩が贔屓にしているのだろうか、そんな慣れ親しんだ感じの会話が聴こえた。
お茶を飲みながら、再び思い思いに話を始める。気付けば本條さんと俺の周りには、怜くんを筆頭に結人くんに蓮くんまで集まっていた。そして、やたらと写真を撮られた。
「あれ?灯里さん、その髪飾りいつの間に?」
「そういえば、そ、そう兄もして、してたよね」
「蒼蒔さんと二人で、コッソリ買ってたよね〜」
「結人くんと列に並んでたのに、見てたんですか?」
髪飾りについては、誰かに何か言われるとは思っていたけど、買っている所まで見られていたとは驚きだった。流石、本條さんといった所か……。
「灯里さんの、一挙手一投足は全て見逃さない!」
「また大袈裟な……で、どうですか?似合ってますか?」と俺が訊くと、少し離れた所に居た凪沙さん達までもが「似合う〜!」と、皆で何かの掛け声の様に言い出した。
そんな反応が返ってくるとは思わなくて、思わず顔が赤くなるのが、自分でも解って恥ずかしくなった。
「照れ顔の激レア灯里さんだ!撮らないと!」
「俺も撮る!」
「ぼ、ぼくはもももう、撮りました」
すると、やはり少し離れた所に居た七種さんも「今のはグッときますね」と言った後、結人くんに「結人、ちょっと手伝って」と言った。結人くんは「はいは~い」と言いながら、七種さんを手伝いに行った。
残った四人で話をしていると「お待たせしました」と、さきの若い子と、料理人らしき人達が料理を運んできた。テーブルの上の、紙のランチョンマットが敷かれていて、その上に料理が並べられていく。
弁当や御膳の様な形式で料理が出て来ず、どちらかというと、懐石料理の様な体をなしている。これもやはり、一ノ瀬先輩のオーダーなのだろう。
全員の前に料理が並ぶと、次はビールが回って来た。何人かはパスすると言って、ジュースを頼んでいた。本條さんが「どうする?」と訊くので「昨日飲めなかったから、少しだけ飲みましょうか」と言って、ビールを注いで貰った。
「手元に、料理と飲み物は揃ったか?」
一ノ瀬先輩がそう言うと、皆が「ありま〜す」と返事をした。それを聴いて、先輩は「ほな、乾杯すんで」と言うと、皆が一斉にグラスを持ち始めた。
「乾杯」
「かんぱ~い!」
皆で乾杯をすると、ビールをグラスの半分くらいまで飲んだ。そのグラスを置いて美味しい料理に舌鼓を打ち、本條さんと俺はいつもの如く、感想を言い合ったりした。
皆がそれぞれ楽しそうに、時に笑いながら話をしながら、料理を食べている。一ノ瀬先輩はその光景を、笑顔で嬉しそうに見ながらも、やはり時折、何処か物寂しげな表情を浮かべていた。
外が暗くなって来た頃、最初の花火が打ち上がった。花火の音と、河川敷の観覧席に居る人達の歓声も、うっすら聴こえて来る。
一旦箸を置くと、外の通路に出て、次々に上がる花火を見上げた。
「ぅわ〜っ、この距離だと凄く大きく見える……」
「どれどれ……おぉ、これは凄い。でも、音も凄いね」
「ですね」
お祭りの太鼓もそうだが、この花火の音も腹に響く。よく見ると、河川敷だけではなく橋の所にも人は大勢いて、夜空に咲く大輪の花を、皆が見上げていた。
「本当……船からこうして、ゆっくり花火を見られるの贅沢ですよね」
「先生に感謝しないとね」
何ともなしに川に目を遣ると、水面鏡の如く花火が映っていて、ゆらゆらと揺れている。
「川面に映っている花火も綺麗ですよ」
「灯里さんもキレイだよ」
そう言って本條さんは、スマホで写真を撮った。俺もスマホを出して「花火と俺、どっちが綺麗ですか?」と訊いた。
「どっちもキレイ。一瞬だけ咲いて散る花火の儚さっていうの?だからこそ、キレイって思うし、灯里さんは年中無休でキレイだから、比べ様がない」
「ほ〜ん、青葉にも風流らしさが解るんか」
「先生?!聴いてたの?」
「最後の部分だけな。外の空気が吸いたなって出てみたら、二人が居った」
笑いながらそう言った一ノ瀬先輩も、なかなか絵になると思う。それに、儚さで言うなら、七種先輩の方が当て嵌る気がした。それを言うと、七種先輩は「僕自身は儚くも何ともないけど、確かに縁人は絵になるよね」と言った。
「きっと今日という日を、俺は一生忘れないと思います。って、なんか違うな……最近、自分の視野が広がって行く気がするんです。世界が広がったと言っても過言ではないくらい」
「それは俺も同じだよ~。灯里さんが居なかったら、きっと俺は今もあのままだった」
俺は本條さんの言葉を聴きながら、この気持ちを伝える為に一生懸命、言葉を探した。
「結人くんと七種さんと出掛けた時も思ったし、来る前にも言いましたけど、人の縁も広がって、仲良くしたいな、この関係を大切にしたいなと、思える様になったんです」
「ええこっちゃ。人の輪が広がりゃあ、視野も広がる。それが時に、上手く行かん事もある。せやけど、そん気持ちがあれば、幸も不幸も分け合う事が出来る関係になる」
「元宮くんも、もっと視野を、世界を広げて良いんだよ。今日、此処に居る皆……縁人と僕も含めて、もう全員が友達。遠慮なく言いたい事を言って、甘えて良いんだからね」
「導くんが歳上の役目なら、甘やかすんも歳上の役目やな」
一ノ瀬先輩の言葉に、七種先輩が「そうそう。まぁ、大して年齢差ないけどね」と笑いながら言う。
先輩達の事だから、俺の生い立ちから何からの全てを、調べて把握しているのだと思う。でもそれを知っているから、そう言ってくれている訳じゃないのは解った。
二人にとってはそれが普通で、当たり前の事なのだろう。その時ふと、一ノ瀬先輩が時折見せる、物寂しそうな表情の意味が解った気がした。
先輩は何処かで線引きをしているのだ。それはきっと、自分の置かれている立場と、皆との距離が最初から存在しているから。
それでも、自分にとっての大切な人達、大切な物を守る為に、お金も時間も、それこそ自分を犠牲にする事を惜しまないのだろう。
刹那主義とは違う。それが一ノ瀬先輩なりの優しさで、生き方なのだ。
「信じるは己自身ですか?」
「ん?あぁ、そういう訳ちゃうけど、結果的にそうなるんやろか」
「カッコイイ!俺もそうなりたい!」
「ふはっ……仕事中はそうなっとるやないけ」
確かに仕事をしている時の本條さんも、そんな感じではある。出来る事は全てやったのだから、後は自分を信じて全力で演じるだけだ、とよく言っている。
「仕事以外でもそうなりたい。いや、仕事でもそう思えない時はいっぱいあるな」
「それをこれから育てるんでしょう」
「ん~、難しい」
本條さんの言葉を聴いて可笑しくなったのと同時に、不思議と(俺もそうなれたらいいな)と思った。
それには、本條さんと一緒に、俺ももっと成長しないといけないなと思った。
「二人で、頑張って成長しましょう」
「そうだね。灯里さんとなら、何でも頑張れる気がする」
「ほな、二人の成長を楽しみに待つか」
「やだな縁人、お爺ちゃんみたいな言い方しないでよ」
七種先輩のその言葉に、思わず本條さんと二人で笑ってしまった。一ノ瀬先輩の様にはなれないだろう。そして、二人の様な関係にもなれないだろう。それでも、追い付くくらいは出来るだろう。
「元宮、間違えるんやないで。元宮は元宮らしく、青葉は青葉らしく。それを以して成長せなあかんぞ」
「あ~、はい。それは、そうですよね。俺は俺以外の誰かにはなれないんですから」
「解っとるならええわ。そろそろ戻るか」
その言葉を切っ掛けに、四人で中に戻る。すると、七種さんが「そろそろ集合写真撮りますよ」と言った。
「えっ、集合写真?俺も一緒ですか?」
「灯里さん、いつも通りで大丈夫だから、皆で撮ろう?」
「いつも通りって……俺、いつもどんな顔してましたっけ?」
俺がそう言うと、七種さんと本條さんが「そういうとこだよな〜」と言って笑った。
そして「取り敢えず笑っておけば良いんですよ」と、七種さんが言うと、本條さんも続けて言う。
「そうそう、今日あった楽しい事を思い出したりしてね」
「う~ん……精々、顔が引き攣らない様に気を付けます」
そうこうしているうちに皆が集まって来た。怜くんも緊張している様で、落ち着きがなくなっている。それを蓮くんが「大丈夫だからね」と優しく声を掛けて、安心させようとしていた。
その光景を見て微笑ましくなった。その瞬間、シャッターを切る音が聴こえて、俺は(いや待って、いま絶対変な顔してた)と思った。
「てか、凪沙。お前酔っ払ってフラフラしてるから、めっちゃブレるんだけど良いの?」
「ん〜、ならブレない様に莉夏の膝枕で……」と言って、莉夏さんの膝枕で横たわった。
「寝る気なんか」
「はあぁ……凪沙はほっとけ。それにブレとる方が、心霊写真みたいでおもろいやろ」
「ちょっと、ゆか兄。怖い話止めて!」
「俺もちょっと……」
結人くんと蓮くんが訴える様に言うと、その場に笑いが起こった。そんな俺も、おかしくて笑ってしまった。すると、両隣からスマホのカメラの音がした。
「今の凄く素敵……いや、推しはいつだって素敵なんですけどね」
「毎秒、素敵と可愛いとカッコイイが更新される」
「あっ、それ解ります!」
「あの……今は俺を撮るのではなく、集合写真を撮っているんですよ?」
俺がそう言うと、七種さんも「そこの二人は、撮影中に何してんだ」と怒り気味に言った。二人は「ごめんなさい」と言って、悪戯が見付かった子供みたいな顔をした。
それから何枚か撮ると、皆で元居た場所に戻って行った。
「普段撮られるのはかなり慣れましたけど、集合写真の様な物は慣れないですね。無駄に緊張する」
「でもこういう集まりでは、緊張しない方がいいよ。皆が笑ってる写真がいいんだよね」
「笑えてたのか自信ないです」
「んふっ……それもまた、いつもの灯里さんなんですけどね」
いつもの俺が、どんな顔をしているのかは、本條さんが撮った写真を見れば解る。でもそれは本條さんと居る時の顔。なら、職場に居る時の俺、一人で居る時の俺は、どんな顔をしているのだろう。
本條さんと付き合う様になってから、看護師達やスタッフからは、表情や雰囲気が変わったと言われる事があった。それは関谷も、何かにつけて言っている。
(自分じゃあ解らないな……)と、そんな事を考えつつも、暫くはまた花火を見たり、残っている料理を摘みながら、皆と話をした。
でもそんな楽しい時間はあっという間で、気付けば花火大会も終わりに近付き、船から降りる時間も近付きつつあった。
ある程度人が少なくなるまで、船の中で待機する事になっていた。その間に、買ったお土産やら何やらを纏めて、忘れ物がないかをチェックした。
そして……帰りの車の中では、疲れ果てたのか、怜くんと結人くんが寝てしまい、酔っていた凪沙さんも寝てしまっていた。
結人くんが寝ていた為、本條さんと俺が先に降りる事になった。改めて、先輩達にお礼を言った。
「気にしんでええ。二人共、頑張っとったから褒美や」
「元宮くん、青葉を宜しくね」
「あ、はい」
その会話が聴こえていたのか、七種さんが「二人は青葉の保護者か」と、ツッコミを入れていた。それが可笑しくて、本條さんと二人で、声を抑えて笑った。
家に着くと、手を洗ってバスタブにお湯を入れる。先に手を洗った本條さんが、お土産をダイニングテーブルの上に並べていた。
「買って来て貰ったどら焼き、早く食べたい。でもこっちも食べたいな」
「お茶淹れますから、一つずつ食べましょうか」
実は俺も早く食べたくて我慢していた。なので、本條さんの返事を待たずに、お茶を淹れにキッチンへ行った。
「今日は楽しかったね」
「屋形船から見た花火もそうですけど、皆と食べ歩きしたのも、初めてだったので楽しかったです」
「灯里さんも浅草は初めてだったの?」
「違います。えっと……友達と一緒にっていうのが、初めてだったんです」
友達と出掛けた事がない訳ではないが、この前の結人くん達と出掛けた時と同じく、こんなに楽しい時間を過ごしたのが初めてだったのだ。
俺はさっき思った事を本條さんに話した。
自分から仲良くなりたいと思った事も、友達なんだからと言われた事も、これからの俺を築いていく上での糧になる。
広がっていく視野と世界。広がっていく人の輪。それら全てが、これからの俺を後押しして、勇気や元気をくれるに違いない。それが俺の成長に繋がればいいと、心から願った。
「それは俺も同じ。今まで、友達って呼べる相手も居なかったから、凄く新鮮な気持ちだよ。でもそういう事も、お互いの成長に繋がるといいね」
本條さんが言い終わるタイミングで、お湯が溜まったと報せるメロディが鳴った。
「ですね。あ、丁度お湯溜まったみたいですね」
「今日も一緒に入る?」
「いいですよ、青葉くん」
「え……」と、驚いた顔で本條さんは俺を見た。
「今度からは、名前で呼びます。こういう所から、少しづつ変えていこうと思ったんですけど……嫌?」
「嫌じゃない!凄く良いと思う!」
出来そうな所から、変えていく。これが成長への第一歩だと信じて……。
【End】
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