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Episode.2 これまでとこれから
Guest ― 七種と結人 (Vague Boundaries)
ショッピングモール内の、比較的人の少ないベンチに、本條さんと二人で座っていた。夏休み前の平日だからか、週のど真ん中だからか、週末に比べたら然程人は多くなかった。
「灯里さん見て見て、あのCM流れてるよ」
店頭から流れてくるモニターを見ながら、はしゃいでる本條さんに、俺は「何回も見てるでしょう」と、少し呆れ気味に言った。
「良い物は、何回見ても良いんだもん」
「それはそうですけど……」
良いか悪いかは解らない。でも、身内贔屓を差し引いて見ても、本條さんらしさがよく出ていて格好良いと思う。
今までCMなんて、商品を売る為だけのモノだと思っていたが、このCMは何回見てもまるで映画のワンシーンの様で、たかが商品を売る為だけのそれには見えなかった。
「ポスターも貼ってあるよ」
「そりゃあそうでしょう」
CMの商品は、バッグや小物類も扱っているブランドだ。主にアパレル関係を幅広く手掛ける、日本でも有名な海外のハイブランド。近年ではコスメも扱っていて、コスメは年に数回程、新商品のCMを制作するのだという。
七月になると、そのブランドのコスメ新商品であるCMとポスターが解禁された。ほぼ毎日、電車内の中吊り広告や、駅のコンコースでもそのポスターを見ている。そして、街頭でも度々目にしていた。
今日はドライブがてら買い物に来ていたが、このショッピングモール内の、液晶モニターでもCMは流れていた。通り掛かったコスメのコーナー付近でも、小さなモニターからCMは流れていて、ポスターも貼ってあった。
(本人を目の前にしてアレだけど……いや、本当に格好良いんだよな……これの写真貰ったから、本條さんには内緒で、怜くんに持ち歩きの方法を教えて貰って、いつも鞄に入れてるんだけど……バレたら終わる)
「この商品のお店はないのに、CMが流れてたり、ポスターが貼ってあったりするんだね」
「それは、代理店を通して扱っているからだと思います。そもそも、日本での支店は少ないらしいですし、コスメはまた別のセクションだと聴きました。だからそういった契約代理店が、日本で取り扱っているんでしょうね」
「詳しいね」
「実は俺も気になったんで、七種さんに聴きました」
気になった事や、知らない事を知りたくなるのが、人の性だろう。特に俺の場合、それが他の人より少し強い。元々持っていたものなのか、仕事柄なのかは解らないけれど。
今までは、仕事に関係ない事はあまり深く考えたり、興味を示す事もなかった。でもこの一年と数ヶ月で、仕事以外の事で新しく得た知識も多い。何よりも、興味の対象は広がって、視野も広くなった気がする。
「このCMは現地でも流れてるそうです。ポスターは、コスメを扱っていない本店や他の支店でも、大々的に貼られてるらしいですよ」
「そういえば、次のオファーも来てるって野崎さんが言ってた。そうなったらきっと、七種さんは年間契約になるね」
「他人事みたいに言ってますけど、青葉くんもそうなるんでしょう?」
「俺は既に、契約してるんだよね」
言われてみれば、ハイブランドのファッション雑誌でも、このブランドの服を本條さんが着ている写真があった。その雑誌に載っていた腕時計が素敵だなと思ったけど、俺は仕事中は外すから、宝の持ち腐れだと思ったのを思い出した。
「何を二人で騒いでんの?」
「噂をすれば七種さん」
「は?」
不意に声を掛けられて声がした方へ視線を向けると、七種さんと結人くんの二人が、スタバのドリンクを両手に持っていた。
「噂になる程の話はしていませんよ。CMとポスターの話をしていたんです」
「あぁ、俺達も並んでる時にその話してましたよ。はい、青葉くんは俺のオススメカスタムフラぺです。灯里さんは七種さんセレクトのフラぺです」
「ありがと〜」
「ありがとうございます」
二人も空いているスペースに座ると、七種さんは持っていた一つを結人くんに渡していた。それを受け取った結人くんは、満面の笑顔で受け取って飲み始めた。
本條さんと俺は、お互いのを一口ずつ飲んで「美味しい」と、その感想を言い合った。
「で、なんの話してたって?」
「CMとポスターの話と、七種さんに次のオファーが来てるって話」
「あ〜、そういえば何か言われた覚えもあるけど……ぶっちゃけそれどころじゃなくて、言われるまで忘れてたわ」
俺が結人くんや本條さんから聴いた話だと、七種さんは拘りが強く、集中すると寝食も忘れるという。写真や映像に関してはそれが顕著で、細部に至るまで物凄い拘りを持つ。
俺が見ている限りでは、タスク管理が上手く、何事も順序立てて進めようとする。その上で、自分基準での些細な事は二の次になりがちだと見受けられた。そして割りと大雑把。
「七種さんめちゃくちゃ忙しくて、ご飯食べさせるのも、寝かせるのも大変だったんだよ」
「だから、それはごめんって……いつも言ってんじゃん」
「結人くんがしっかり者で良かったですね」
何だか尻に敷かれてる様にも感じたが、それを言ったら七種さんの面子が潰れると思って、結人くんに言葉を投げ掛けた。
「そんな事ないです。放っておこうと思っても、気になって落ち着かなくなるんですよ」
「自分だって人の事言えないだろ」
「う"……それはそうだけど……」
どうやら会話の雲行きが怪しくなってしまった。でも、どんなに多忙であっても、健康には気を付けて欲しい。何事も身体あってこそだ。
「結人くんも、食べたり食べなかったりなの?まさか寝てないって事はないよね?」
「寝不足になる事はあっても、寝ないって事はないです。まぁ……寝た気がしない時もあるけど。食べるのは……タイミングもあるから、やっぱり不規則にはなっちゃうかな〜」
本條さんの言葉にバツが悪そうに答えるのを聴いて、しっかり者という言葉は、撤回しなければいけないと思った。そして、七種さんのタスク管理云々は、仕事のみに発動されている様だ。
しかし考えてみれば、俺以外の三人はその仕事柄、食事も睡眠も不規則になりやすい。
「そういうのって、工夫次第じゃないの?」
「俺も今そう思いましたけど、青葉くんの仕事とはまた違います。なので俺には、これといった案が思い付きません」
「これでも気を付けてんだけどな〜」
「いっぱいいっぱいになると、もう無理だよね」
敢えて厳しい事を言うならば。いくら気を付けていても、実行に移さなければ、気を付けていないのと同じだ。いっぱいいっぱいになって無理だと嘆く前に、何かしらの対処は出来なかったのか。
どんなに中途半端であってキリが悪くても、時間が来たらそれらを一旦止めて、食事をするなり睡眠を摂るべきだと思う。休憩も大事だ。それが、必要最低限の健康維持だと思っている。
(でもそれが出来るなら、とっくに実行してるだろうし……まぁ今の所、見た目には悪い所もなさそうだし……平気かな)
「ねぇ〜それより、早く洋服見に行こうよ〜」
「えっ、もう飲んだんですか?」
「喉渇いてたから。それに、オススメだけあって美味しかったしね」
「お腹を壊しても知りませんよ」
俺がそう言うと、結人くんがドキッとした顔をするので、何事かと思っていたら、七種さんが「結人も一気に飲んで腹壊すなよ」と、揶揄う様に言っていた。どうやら、結人くんはお腹を壊しやすいタイプらしい。
「冷房効いてるから、寒くなってんじゃないか?」
「実はちょっと寒い……」
それを聴いて、肩に掛けていた俺のストールを、結人くんに「せめて上だけでも」と言って掛けてあげると、七種さんと本條さんが「ぅわ〜、イケメン」と、ハモって言った。
「イケメン二人が何言ってるんですか。ねぇ、結人くん?」
「灯里さんもイケメン……」
俺は(これはダメだ)と思って、反論するのは諦めた。結人くんも顔立ちが整っていて、イケメンだと思う。ただ……比べる時点で二人に失礼だと思いつつも、弟の蓮くんに比べると、可愛いイケメンといった感じになってしまう。
「結人くんは、どんな服が好きなんですか?」
「着れれば何でもいいんですけど……強いて言うなら、シンプルなのが好きです。ホントはカッコイイのとか着たいんだけど、顔がコレなんで似合わないから」
どうやら俺が可愛いと思った顔は、結人くんにとってはコンプレックスらしい。それを聴いて(俺も自分の顔が嫌いだったな〜)と思い返した。
高校に入るまでは、女性の様な顔が嫌いで仕方なかった。虐めとまではいかなくても、顔の事で弄られてうんざりしていた時期もあった。未だに勘違いされる事が多いけど、それももう慣れた。
「ならいっその事、カッコ可愛いというのはどうですか?今は、男女兼用の中性的な服も多いですから」
「う~ん、試した事なかったかも」
「そういう店があったと思うんですけど……って、何を二人でニヤけてるんですか?」
結人くんと二人で話している間に、七種さんと本條さんの二人が、スマホを片手にニヤニヤしている。すると、結人くんが「も~、また撮ってたな」と、頬を膨らませながら七種さんを睨んでいた。
「青葉くん、そうなんですか?」
「だって~、灯里さん楽しそうだったから。今日も推しが可愛い!」
「あ~、はいはい。でも、結人くんは怒ってますよ?」
本條さんの言葉に呆れながらも、結人くんが怒っているのを看過出来ずに、七種さんに抗議する様に言った。
「照れ隠しだよな~。なかなか慣れてくれなくて」
「慣れる訳ないじゃん」と、うんざりするしている様にも、呆れている様にも取れる言い方をして、結人くんは項垂れてしまった。
その気持ちは解らなくもない。写真を撮られる事が苦手だった俺が、本條さんに撮ってもいいと言った。それを切っ掛けに、何かにつけて本條さんは俺を撮った。でも最初はなかなか慣れなくて、今の結人くんの様に、ムッとして拗ねたりもしていた。
「でも、七種さんはカメラマンですからね。撮るなというのも、酷な話だと思います。それに、撮らずにはいられない習慣というか、衝動があるんだと思いますよ」
「実は余程の事がない限り……それこそ、衝動みたいな?そういうのがない限り、人物を撮る事って今まで殆どなかったんです。仕事だから撮るっていうのも、あんまり気が進まなくて……だから編集ばっかりで、作る仕事は断って来たんです」
「今は俺の事、めちゃくちゃ撮るじゃん」
「年末くらいかな……青葉と元宮さんを見ていて、二人を撮りたいな〜って思い始めた。その後……結人と出会ってからは、結人を撮りたいと思ったんだよね」
「だからって……」
例え仕事であっても、七種さんの基準はあくまでも、撮りたいか撮りたくないかの二択なのだろう。その上で"惹かれる何か"が必須条件なのだろう。だからこそ、本條さんの願いは長年叶わずにいた。
プロのカメラマンとしてではなく、映像編集という仕事に携わりながら、自分が『これだ』というモノばかりを撮ってきた。本人曰く『ただの趣味ですよ』とも言っていた。
仕事なのだから、妥協して割り切るのが、普通で当たり前だろう。仕事や社会なんてそんなものだ。
でも七種さんにはそれが出来なかった。自分の中の拘りを捨てるくらいなら、カメラそのものを捨て、撮る事すら辞めていたかも知れないと思った。
「俺ね、灯里さんにも言ったんだけど……例え変顔でも虚無顔でもいいんだよ。灯里さんが俺だけに、俺の前だけで見せてくれる表情を隈なく写真に撮って、永久保存しておきたいんだよね。だから変に気取ったり、カッコ付けなくていいって言った」
本條さんはたまに、永久保存という言葉を使う。初めてそれを言われた時は、流石に一瞬固まった。付き合う前にあげたクリスマスプレゼントだったのだが、折角選んだマフラーと手袋が、使われずに永久保存される所だった。
会話の途中でつい、そんな他愛のない事を思い出してしまった。とはいえ、今ならその気持ちも解る気がした。
俺も、俺が撮った本條さんの写真はずっと大切に、アルバムフォルダーに入れておきたい。もしかしたら、七種さんも同じ様に思っているのかも知れない。
「まぁ、そう言われても……って感じはするんですよ。後から撮った写真を見せて貰うと、やっぱり変な顔していたり、間抜けな顔をしている写真もあるし。正直その場で消してやろうかと、何回も思いましたよ」
「そうそう。それでよく、最初の頃は『消せ』『消さない』って、よく言い合いしてたよね」
「二人も言い合いとかするの?」
驚いた様に結人くんが言う。喧嘩とまではいかないが、言い合いになる事はたまにある。軽い喧嘩はした方がいいとも聴くが、しないに越した事はないと思う。それ以前に、そこまで発展しないのだが。
「う~ん……たま〜にするかな。こう見えて灯里さん頑固だしね。でも最終的には許してくれるか、俺が怒られて終わる」
「どうせ、青葉がロクでもない事言い出すんだろ」
「そんな事ないと思う……あっ、そんな事より服選びに行こうよ〜」
「あ、誤魔化した」と結人くんが言うと、七種さんも「解りやすいな〜」と言って笑っていた。
本條さんがわざと巫山戯て言った事に対して、結人くんはそのまま素直に反応した。
こっちが心配する程、結人くんは写真を撮られる事が、嫌ではないのかも知れない。ただ慣れてなくて、その照れ隠しで怒ってみせているだけなのかも知れないと思った。
四人で目ぼしい店を見付けては中に入り、結人くんに似合いそうな服を選ぶ。だが、本人も含めて、皆の意見が合う洋服がなかなか見付からない。
そもそも今日、このショッピングモールに来た目的は、結人くんへの誕生日プレゼントを選ぶ為だった。
結人くんとの付き合いがまだ、それほど長くはない為、何を贈ったらいいのか解らなかった。なので、七種さんに聞き出して貰おうと思っていたら、当の本人の知る所になってしまった。
『もし可能ならでいいんだけど、一緒に出掛けて洋服を選んで欲しい』
『凪沙達と行った時、あんま買えなかったからな』
『そうなんだよ。アイツ自分の服ばっか見るし、挙句の果てには俺に女性物の可愛い服着せようとするし……七種さんが選んでくれた一着しか買えてない』
凪沙さんとは、結人くんの従妹でイラストレーターをしつつ、俳優業もこなしている人で、本條さんとも何回か共演していた事のある人だ。
『そういう結人も、わたあめだとか変な雑貨屋とか、関係ない店ばっか見てたじゃん』
『いや、まぁ……そうなんだけどね。まぁ、あれはあれで楽しかったからいいんだけど、目的は果たせてない……』
聴けば、洋服が欲しいと、結人くんが言っていたのが事の始まり。誕生日当日に、凪沙さんとそのパートナーの人と、七種さんの四人で出掛けた。渋谷や原宿辺りのお店を見に行ったものの、そういう結末になったという。
そんな訳で、誕生日からは少し遅れてしまったが、本條さんと俺の休みが合って予定がなかった今日、四人で買いに来る事になった。
「確かあっちの方に、その手の店があった気がするんですけど……昔の記憶だから曖昧なんですよね」
「灯里さんの昔っていつ?」
「最後に来たのが大学の時で、本当は水族館を目当てに来たんです。だけど、人が多過ぎたのでこの辺をブラブラしてました。10年近く前ですね」
10年も経てば、記憶も曖昧になる。それ以上に、店の入れ替わりも早い。現に、あったと思った店がなくなっていて、違う店に変わっていた。今流行りのゲームキャラの店もあって、休日や長期休みはさぞ、人が多いのだろうと思わせる。
「えっ?灯里さんって幾つなんですか?」
「蒼蒔や縁人さんと大差ないんですよね?」
「縁人さん?あぁ、一ノ瀬先輩ですね。そうです、学年だと二つ違います」
「えっ?ゆか兄と二個差……て事は……30?!は?見えないんだけど?!」
それは、どっちの意味の"見えない"なんだろうと思うと、つい顔が引き攣りそうになる。
「俺、てっきり七種さんと同じくらいだと思ってた」と言われて、何となく安心感の様な物を感じた。
「ていうか、先生ってそんなに老けて見える?」
「言われてみれば、そうなんだって感じ。そもそも、年齢不詳過ぎるんだよ。でも、蒼蒔さんは若く見える」
「蒼蒔は妖怪歳取らずだからな」
「あぁ……七種先輩は昔と変わらないですよね。昔から綺麗でした。今の一ノ瀬先輩を、俺は知らないんですけど、昔から貫禄というか、独特の雰囲気があったので、その所為じゃないですか?」
七種先輩とは、本條さんと付き合って少し経った頃、会って挨拶程度に話をした。その後も、本條さんの事務所と、俺が勤務する病院で、共同で押し進めているLGBTプロジェクトのオンライン会議で、モニター越しに何回か会って、話をしている。
一ノ瀬先輩とは再会も何もしてはいないが、一緒にゲームをする仲ではある。そして、結人くん達の従兄でもあった。それを知ったのは割りと最近の話。
「いや……蒼蒔も縁人さんも、今もそんな感じだな〜」
「俺、先生が居るだけで、背筋がシャキッとする。でも、すぐに元に戻っちゃうんだけどね」
その姿は想像に容易いと思った。本條さんは基本的に礼儀正しく、人当たりの良い優等生タイプの好青年だ。でもそれは、誰もが知る"本條青葉"だ。でも実際は、一度気を許した相手には素で接するので、最初は誰もがそのギャップに戸惑う。
「青葉くんと俺って、二つしか変わらないのに、この差は何だろうって思うよね……」
「そういう事は、比べるものではありません。結人くんには結人くんの良さがあって、青葉くんには青葉くんの良さがある。結人くんにしかなくて、青葉くんにない物がある。その逆も然りですけどね」
「う~ん……奥が深い。でもそれって、人と比べるモノじゃないよなって、最近になって思える様になったかな」
「そうですよ。誰にだってそういう所はあるんです」
結人くん自身が、それとは気付いていない所を、七種さんは敢えて教えていないのだろう。確かにそれは、自分で気付いてこそだと思う。
それに気付いた時、それは彼の武器となり、次の成長へと繋がる。結人くんの成長も楽しみだと思った。
「ねぇねぇ、あそこにそれっぽいお店があるけど……あれ?」
「あの店だったかは……ちょっと定かではないんですが、近くにも似た様な店があったと思います」
「あ~、確かにこの辺は、それっぽい服が売ってる店が何軒かあったな」
俺の言葉に、七種さんも何かを思い出したかの様に言う。皆でその方向へと歩き始めた。
「俺、池袋って言ったらメイトとか、らしんばんしか解んないからな……こっちまで来たの、地味に初めてかも」
「結人ん家からだと何気に遠いよな。俺はアキバに行っちゃう。PC関連もそっちの方がいいし」
「七種さん=アキバってまんまじゃん。それって昔から?」
「昔から。アキバや茶水に行く方が多かったな」
前を歩く二人の会話が、何かの呪文に聴こえる。隣に居た本條さんも、小声で「あれは英語でもなくドイツ語でもないんだよね?」と、確認する様に言う。
俺が「日本語で唱える、呪文か何かじゃないですかね」と巫山戯て言うと、本條さんが笑いながら話に乗ってきた。
「今流行りの、気が付いたら異世界に居た的な?」
「それなら、数学を勉強し直さないとダメですね。聴いた話によると、異世界では数学が最強らしいですよ」
「えぇっ、俺もうダメじゃん。着いて早々にフラグ立つよ」
「回収早過ぎませんか?」
そんなどうでもいい様な事を言い合って笑っていたら、七種さんに「そこの二人、イチャってないで早く来いよ〜」と揶揄われた。
「二人だってイチャイチャしてたじゃん」
「えっ、普通にヲタク話をしてただけですよ」
「まるで着いて行けないです。最近やっと、怜くん用語に慣れてきた感じですね」
「それガチのやつじゃん」と言って、結人くんは大笑いし始めた。
「聴き慣れただけで、言っている事の半分は未だに理解不能です」
俺がそう言うと、本條さんが「俺は大体、理解出来る」とドヤり出した。七種さんが「はあぁ〜」と、呆れた様に盛大な溜息を吐いた。
「お前はそういう勉強じゃなく、普通に勉強やり直せ」
「え~、勉強嫌いなんだけど~」
「この前もいくつか漢字読めなかっただろ。元宮さんに鍛え直して貰え」
「あの漢字は難し過ぎだって~って、あれ?二人は?」
二人の会話が長くなりそうだったので、結人くんと先に二人で、手前にあった店に入っていた。
「あ、この辺が男女兼用のコーナーみたいですよ」
「おぉ……でも、いかにもって感じする」
「いかにも?」
「あぁ、えっと……地雷系って言うんですけど、その……メンヘラとかがよく着てるんですよ」
メンヘラの語源はメンタルヘルスで、ネットスラングから生まれた言葉だ。近年では、実際に病んでいるいないに関わらず、精神的に不安定な人の事をいう。そしてそういった人達が好んで着る服が、確か地雷系と呼ばれていた気がする。
「つまり、洋服……ファッションの事をそう呼ぶんですね」
「理解早くないですか?脳の情報処理速度が、めちゃくちゃ早い」
「病院には若い看護師さんやスタッフも多いので、間接的にでも耳に入って来るんです。単にそれらを繋ぎ合わせただけですよ」
そんな話を二人でしていると、店員がやって来て「ご試着出来ますので、気軽に試してみて下さいね」と言う。二人で適当に「ありがとうございます」と言うと、店員は何処かへと消えた。
「これはどうですか?シンプルですけど、さり気なく猫耳が付いてます。前開きパーカーになってるので、下にこの辺のデザイン性が高い服を合わせてみるとか……」
「デザインならこっちの方が好きかな……似合うか解らないけど着てみようかな」
「荷物持ってます」
結人くんが服を持って試着室に行くと、七種さんと本條さんがやって来た。
「もぉ、置いて行かないでよ~」
「あれ?この中に居るのって結人ですか?」
「そうです、試着してます」
俺が言い終わると、中から結人くんが出てきて「どうですか?」と、不安そうに訊いてくる。
「あ、そういう格好も新鮮でいいな。パーカーがシンプルだから、インナー派手にしたのか……うん、似合ってるよ」
「そのパーカー良いですね。俺も家で着るのに欲しいです」
「灯里さんも着てみれば?」
そう言われて、同じパーカーを取りに行って戻ると、その場でカーディガンを脱いで、そのパーカーを着てみた。
「どうですか?」
「似合う。灯里さん可愛い!灯里さんはスタイル良いから、何着ても似合うよ。他にも試着してみなよ。そういうチャレンジもいいと思うな」
「じゃあ……着てみます」
なんだか良いように丸め込まれた気がしなくもない。試着室に入って、着替えながら考える。普段とは違う服を着るのは、自分でも別人になった感覚がする。きっとそれは、俺だけじゃなく、誰しもが感じる事だと思う。
アニメやゲームのキャラクターの格好をする、コスプレイヤー達も、普段の自分と切り離してそのキャラになりきる。本條さん達の様な俳優も、役になりきって役を演じる。その違いは、趣味か仕事かの違いだろう。もしかしたら、プロのコスプレイヤーという職業があるのかも知れないけど。
そんな俺も"別の自分になりきる"という経験をした。そしてそれが、意外にも楽しいと思った。その貴重な経験をしたのは、先月の事。
七種さんと本條さんの二人が、初めて正式に仕事をしたのが、いま世間を騒がせてる例のCMだった。
結人くんが絵を描いて、七種さんが仮の動画を作った物を見せて貰った時から、早くも完成が楽しみで仕方なかった。それを言うと、七種さんは『あくまでも仮で、実際に撮ってみないと解らない』と言っていた。
言ってはいたけど、その不安の様な不穏な言葉が、本当に的中するとは誰も思ってもいなかっただろう。特に俺は、そういう事は全く解らないから、本條さんから撮影中の話を聴かされても、いつも通り暢気に(大変だな)くらいにしか思っていなかった。
そんな俺にまさか、そのCMの出演依頼が来るとは、それこそ誰も思いもしなかっただろう。まぁ、一番驚いたのは他の誰でもない、俺自身だったけれど。
最初に七種さんからその話を聴いた時は、何の冗談かと思った。勿論、考える間もなく『お断りします』と即答した。
しかしその日の夜、七種さんが家に直談判をしにやって来た。玄関を開けるなり、七種さんが『お願いします!』と、頭を下げた。玄関先でそれをやられたら、たまったものではない。
本條さんが『話だけでも聴かない?』と言うと、七種さんが『誰の所為だよ』と怒りを顕にした。一緒に来ていた結人くんが、必死に七種さんを宥めるのを見て、溜息混じりに『話を聴くだけですよ』と言って、リビングへとに通した。
お茶を淹れて皆の前に置くと、俺が『本條さんの所為なんですか?』と訊いた。
『俺はちゃんと演ってた。なのに七種さんがすぐに、違うとか、そうじゃないって言うんだよ』
『イメージは伝えてあんのに、その通りに出来てないからだろ』
『マネキンは灯里さんじゃないもん!』
『お前がモデルは嫌だって言うからだろ。いや、俺もモデルは使いたくないけど……だから、苦肉の策でマネキンにしたんだろ。お前も納得したよな?』
数日前、本條さんから『変更が出た』という事は聴いていた。それが多分、今二人が話しているマネキンだかモデルの話なのだろうと思った。
この撮影に毎回同行しているといっていた結人くんに、俺は『まるでダメなんですか?』と小声で訊いた。すると結人くんは首を横に振って、間を開けてから『七種さんの悪い癖が出てるんだと思います』と言った。
結人くんが言うには、本條さんの演技は完璧で、そう言われない限り、いつもと変わらない本條さんだという。にも関わらず、七種さんがダメ出しをするのだと言った。
それを聴いて(悪い癖って、拘りの事か?)と思った。そこで俺は、七種さんに『いつも通りに出来ているなら、何の問題もないんじゃないですか?』と訊いてみた。
『いつも通りでいいなら、俺が撮る必要はないんです。他の名だたるカメラマンに撮って貰えばいい』
『それは俺が嫌!七種さんに撮って欲しかったの!』
『仕事に私情を持ち込むな!』
『いや、今まさに私情を持ち込もうとしてますよね?』
俺の一言に、場の空気も三人も固まった。一瞬(ん?変な事言ったか?)と思ったが、すぐに(いや、正論だな)と気を取り直した。
『別に本條さんの肩を持つ訳ではありません。ただ、七種さんの言葉は、そのまま自分に返ってますよって言いたかったんです』
『まぁ……確かにブーメランではあったかな。俺だって正直、元宮さんにこんな事を頼むのは嫌でしたよ。言ってしまえば元宮さんは素人だし、身バレしたら青葉との事もバレかねない訳だから。でも、こうするしか"撮りたいと思う青葉"が撮れなくて……』
そう言った七種さんは、妥協するべきか否かのジレンマを抱えている様に見えた。最後の"撮りたいと思う青葉"という言葉には、悔しささえ感じられた。
と、そこまでは理解出来たが、この場を収める策が思い当たらない。俺が引き受ければ、この場も丸く収まって、即解決するのは解ってはいた。俺が引き受けない理由は、七種さんも解っている。
確かに俺自身も、七種さんの撮った写真や映像は好きだ。でも、それとこれとでは話は全く別だ。そもそも何故、俺でないとダメなのか……は、何となく察しは付いたが、それは引き受ける理由にはならないと思った。
本條さんが七種さんに撮って欲しい理由は、前に聴いた事がある。それは、撮られる側の主張にも感じた。なら七種さんはどうなのか?
『七種さんが、本條さんを撮りたいと思った……この仕事を引き受けた理由は何ですか?』
『単純に言えば、今の青葉に魅力を感じたから。青葉がまだ持っているだろう、本質を引き出したいと思ったんです。でもやってみたら、そう上手くはいかなくて……当たり前ですけどね』
『それは、本條さんが演じてしまうからですか?でもそれは本條さんも仕事で、プロだからこそですよね?あ、違う……ちょっと待って下さい……』
それなら七種さんが言うように、他のカメラマンでも良かった。でも、本條さんは七種さんでないとダメだと言う。そして七種さんは、本條さんの本質を引き出したかった……。
『つまり、完璧過ぎる本條さんがダメなんですね?』
『え、俺が悪いの?』
『いえ、悪い訳ではありません。それが本條さんの仕事ですから。でもそれだと、七種さんのオーダーには答えられていませんよね?』
『うん?そうなのかな……?これでも頑張って、期待には答え様としてるんだけどな~』
恐らく、そう思っている時点でダメなんだろう。そしてそれは、七種さんも似た様なものだろう。きっと今の様に、きちんと言葉で伝えられていないのではないかと思った。
『俺が訊くのは本当に、失礼なんですけど……七種さんって意外と、コミュニティ能力低いですか?』
本当に俺が言えた事ではないのは解っていた。だから、文句や反論を受け付ける心構えをしていたのだが……。
『言われてやんの~』と、笑いながら結人くんが言う。それに対して、考え込む様に『ん~、別に低くはないだろ』と七種さんが返した。
『七種さんは、コミュニティ能力が低い訳じゃないんですよね。ただ、仕事中や何かに集中しちゃうと、周りが見えなくなるって言うか、聴こえなくなるって言うか……』
『なら結人は、語源化能力が低い』
『あ、それ俺もじゃん』
『確かに青葉も低いな』
三人が笑いながら話しているのを横目に、俺は(これはもう妥協するしかないのか)と、溜息を吐いた。でもその前に確かめたいとも思った。なので、三人に向かって『一度、見学させて貰う事って出来ますか?』と言った。
『見学ですか?』
『何の為に?』
『本当に俺が必要かどうかを、確認する為です』
俺がそう言うと、七種さんが『撮影が入ってる日ならいつでもいいですよ』と言ってくれた。ならばと、直近で空いている日に見学に行くと言って、その日は解散となった……。
不意に試着室のカーテンが少し開いて「灯里さん、次はこれ着てみて~」と言って、本條さんが服を持って来る。
「さっきから一体、どれだけ着せる気ですか」
俺が試着をしながら、先月の事を思い返している間にも、次から次へと服を試着させられた。いい加減、呆れてそう言うと、本條さんは「結人くんも同じ目に遭ってるよ」と悪びれる事もなく、無邪気に言って笑った。
「変な所で似た者同士ですよね」
「変かな~?」
「他にも店はあるんですよ?」
「そうだね、他のお店も見てみたいな。俺、二人に言って来るね」
本條さんはそう言い残して、一つ間を置いた隣の試着室へと行った。俺は元の服に着替えると、脱ぎっ放しになった服を拾い始めた。
(う〜ん……いい歳してって感じだけど、このパーカー欲しいな。まぁ、家で着るだけなら許されるだろ……買うか)
そう思いながら試着室を出ると、結人くんが駆け寄って来て「灯里さん助けて!てか、あの二人止めて〜」と、泣きそうな声で抱き着きながら言う。
「どうしたんですか?」
「俺が「どれも良くて悩む」って言ったら、二人で「全部買おう」って言い出して、それはダメって言っても聴いてくれないし、挙句どっちが払うかで揉め始めたんです」
「ったく……」
結人くんの話を聴いて、呆れるを通り越して、怒りに近い感情が湧いてきた。俺は結人くんを連れて、会計の前で騒いでる二人に向かって「そこの馬鹿二人、店内で騒ぐな。迷惑だろうが」と言うと、途端に二人は静かになった。
「バカって……」
「怒ってる……」
七種さんと本條さんが交互に言うと、今度は「お前の所為で俺までバカ扱いされただろ」「七種さんの所為で怒られたじゃん」と、小学生並みの喧嘩を始めた。
「店員さん、すみませんが一旦キャンセルして貰って良いですか?」
「あ、はい。全て取り止めで宜しいですか?」
「はい。もう少し考えさせて下さい」
「解りました」
店員が一瞬苛ついた様に見えたが、それに気付かなかった事にして、何とか営業スマイルで押し切った。そして二人を振り返って「喧嘩するなら店の外でやって下さい」と言うと、本條さんが「買わないの?」と暢気に言い出す。
「買いますよ。結人くんが本当に欲しいと思った服をね」
「どれも気に入ってるなら全部買おうよ」
「悩むくらいならその方が早い」
「そのセレブ思考どうにかなりませんか?」
俺は二人に、世の中にはいくらあっても困らない物もあるが、あり過ぎても困る物もあると話した。特に服等は、流行りや衝動で買っても、流行りが去った後や冷静になった途端に、飽きて着なくなりクローゼットの奥にしまい込まれる。
「第一、既に持っている服との相性もあるでしょう?良いと思って買っても、合わせる服がなければ意味がありません」
「だったらセットアップで買えばいいじゃん」
「俺もそう思うけど」
有名俳優でお金に困ったり苦労する事とは無縁だろう本條さんと、薄給だと言いながらも本当にお金に苦労した事がないであろう七種さん。
この二人に、どうやったらそのセレブ思考を改善させる事が出来るのかと、こんな仕事をしていながら、改善させる自信が失くなっていく気がした。
「俺の話し聴いてました?極論ですけど、沢山あっても結局は、その内の気に入った何着しか着なくなる、って言ってるんです。そして着なくなった服が、行き場を失くして箪笥の肥やしになるんですよ」
「あ、だからなのかな……」と、それまで無言だった結人くんが、そう前置きをして話に入ってきた。
「ゆか兄って滅多に服買わないんだよね。大体いつも同じ格好してるんだけどさ……」
「あの人は興味ないからだろ。買いに行くのも面倒臭いって言い出す。そもそも普段は着物しか着てないじゃん」
「まぁそれもそうなんだけど、前に一緒に買い物に行った時に、ゆか兄は買わないの?って訊いたんだよ。そしたら『どうせ気に入った服しか着いひんしな』って……それって、さっき灯里さんが言った事と似てない?」
その話を聴いて、それまで煩かった二人が黙った。まさか一ノ瀬先輩の話を聴いて、二人が黙るとは……その情報は先月に知りたかった。
「えっと、ゆか兄の事だから、きっとお金の問題とかじゃなくて……蒼蒔さんが言うには『縁人は気に入った服しか着ないよ』って言ってて……」
「言われてみれば縁人さんって、俺がまだ高校の時に見た事のある服を未だに着てたりするわ」
「あ〜、う〜ん……言われてみると、俺も大体いつも同じ服ばっかり着てる気がする。七種さんもそうじゃない?」
「まぁ……着れりゃあ何でもいいって思いつつ、気に入った服買って、それをヘビロテしてるな~」
納得する二人を見て(なるほど)と思った。この二人を説得または改善させようとするなら、具体例を挙げるか、一ノ瀬先輩の話を聴かせるのが最善策なのだと思った。それと同時に、自分の仕事に益々、自信が失くなりそうな気がした。
「灯里さんもそういう理由?」
「俺は当たり障りなく、自分に合う服しか選ばないんです。その方が外さないですから。でもこのパーカーは欲しいなと思ったんですよね」
「えっ、俺もこのパーカーは欲しいって思った。ぅわあ……もしかしてこれ買ったら推しとお揃い?」
そういえば最近、結人くんまで俺の事を推しだと言い出した。怜くん達といい、本條さんといい、そう言われる要素が一体、自分の何処にあるのか未だに解らない。
「あと、そのTシャツも良いなって思ったんですけど、家で着るだけとはいえ、流石に派手かな~って悩んでるんです」
「絶対、それも似合う。俺はこっちのアシメのTシャツが、シンプルで良いなって思った」
「似合うと思いますよ。じゃあ、その二点を買いましょう。俺はこの二点を買います」
そう言って二人で会計に行こうとしたら、後ろの二人が「じゃあ、お金は俺が払う~」「いやいや、此処は俺が払う」と、またしても言い合いを始めた。
「此処は俺が払います。二人は俺達に試着させた、服の片付けを手伝って来て下さい」
俺が"文句は受け付けない"といった感じで言うと、二人は不満気な顔をしながらも、店員の手伝いに行った。それを見て、レジの所に居たさっきの店員に「お会計お願いします」と言って、二人分の服をレジカウンターの上に置いた。
「すみませんが、こっちの二点とこっちの二点を別々の袋に入れて下さい。会計は一緒で大丈夫です」
俺が言うと、店員が「少々お待ち下さい」と言って、レジを打ち始め金額を言われる。結人くんがバッグの中に手を入れようとしたので、無言で手で制して支払いをしていると、二人を見ていた結人くんが、呆れた声で言い出した。
「もお〜、また二人で騒いでる。七種さんたまに、子供みたいな所あるなって思ってたんですけど、青葉くんと居ると余計にそんな気がする」
言われて振り返ると、確かに何かを言い合っている様に見えた。それを見て、俺も呆れながら言う。
「確かに子供っぽいですよね。あの二人って、兄弟みたいじゃないですか?俺は兄弟喧嘩した事ないですけど、友達から聴いていた兄弟あるあるみたいな感じがします」
「あ〜、言われてみればそんな感じ。俺も蓮と喧嘩した事ほぼないけど、あの二人は、典型的な兄弟あるあるを実践してる気がする」
会計を済ませて服を袋に入れて貰うと、それを持って二人の所へと行った。俺が「お待たせしました」と言うと、本條さんが「待ってた!」と、勢いよく言う。取り敢えず俺達は店員に頭を下げて、その店を後にした。
「何かあったんですか?」
「青葉が腹減ったって言うから、二人が戻って来るの待とうって話してたんです」
「言われてみればもう昼時ですね。結人くんもお腹空きました?」
「実はお腹ペコペコ」
結人くんもそう言うので、買い物は一旦止めて、四人でランチにする事になった。するとここでも、何を食べるかで七種さんと本條さんが揉め始める。
「展望レストランのランチコース!」
「昼からそんな贅沢出来るか!」
服は全部買おうとしていたのに、どうして食事にはケチを付けるのか謎だと思った。俺はその逆で、出来るなら食事にお金を掛けたい。
「ちょっと待って下さい。今日の主役は結人くんです。結人くんが食べたい物にしませんか?」
俺がそう言うと結人くんは、困った様な顔で「あのさ……」と、言葉知りを濁した。
「友達に教えて貰ったお店で、行きたいって思ったのが二つあるんだけど、どっちもこの中じゃないんだよね」
「それは一旦、この建物から出るという事ですか?」
「そう。でももしかしたらまた、ここに戻って来るかも知れないって考えると、皆ダルいかなって……」
結人くんはそう言うと、七種さんをチラッと見た。それに気付いたのか「いいよ、そこに行こう」と、七種さんが言った。
「やった!でも本当にいいの?」
「今日の主役は結人だしな。それに、ブクロに来るって決まった時点で、メイトやら何やらにも付き合わされるんだろうって思ってたし。二人もそれでいいなら、そこにしよう」
「俺は構いませんよ」と俺が言うと、本條さんも「結人くんの行きたい所に行こう」と言った。
「ん?結人くん、二つあるって言ってたよね?」
そう言って本條さんは首を傾げる。俺は「どういう店なんですか?」と訊いた。
「一つはデパートの屋上。なんか庭園みたいなのがあって、フードコートみたいになってるらしいです。で、もう一つは公園内にあるお店で……店内でも公園でも食べられるらしい」
結人くんはスマホを見ながら説明していた。さっき、友達から教えて貰ったと言っていたから、LINEかメールを確認しながら説明しているのだろう。
「あ、公園のランチの画像送って貰ったんです。これ……」と言って、結人くんは俺達にその画像を見せてくれた。
「美味しそう!」
「意外とボリュームありそうですね」
本條さんと俺が感想を言うと、やはりスマホを弄っていた七種さんが、結人くんに向かって「結人が言ってた、デパートの屋上……ってこれ?」と、スマホを見せながら訊く。
「あ〜そうそれ。そっちも良くない?」
「天気が良いから、どっちも良いな。さっきのランチも気になるけど、こっちは色んな店があるし……」
「そうなんだよね……」
結人くんと七種さんが、どっちにするか決め兼ねて、頭を悩ませている。
「だったら今はこっちの公園に行って、夜は屋上に行けばいいんじゃない?あ、夜だと庭園が見れないか」
「画像を見る限り、夜はライトアップされてるみたいだな」
「それもまた良さそうですね。では、今は公園に行って、夜は屋上に行くのはどうですか?」
そう提案すると、結人くんが「え、両方行ってくれるんですか?」と、興奮気味に言う。俺が「いいですよね?」と訊くと、二人は笑顔で「もちろん」と言った。
「では早速行きましょう。写真を見ていたら、俺もお腹空いてきました」
「でも……えっと……どう行けばいいんだ?土地勘ないから迷子になりそう」
「貸して」と言って、七種さんが結人くんのスマホを見る。
店やビルの名前が書かれていても、それが何処にあるのか解らないと意味がない。スマホを確認しながら歩くのは、周りに迷惑だし、何より危ない。
「あ~、把握。はい、スマホしまっていいよ」
「把握って……覚えたの?」
「大体の位置は覚えた。ていうか俺は、リアルだと道路で覚えるから」
「リアルでもマッピング能力高いって凄いな」
そう話ながら歩く二人の後ろを、本條さんと二人で、さっき見たランチの話をしながら着いて行く。擦れ違う人々は誰も、本條さんに気付かない。それどころか気にもしない。
そこでふと気になって「今日って、野崎さんも怜くんも休みですよね?」と、本條さんに訊いた。すると「あ、ダミー君?今日は七種さんがやってくれてるよ」と、あっけらかんと言った。
「いつも思うんですけど、例えダミー君が仕事していても、こんなに気付かれない事あるのか?って思うんですよね」
「木を隠すなら森の中って言うでしょ?それに、誰もそんなに周りを気にして歩いてない。気にするとしても精々、目の前に障害物があるかないかくらいじゃない?」
言われてみればそんな気もする。俺だって擦れ違う人の顔を、一々見たりしない。でも、電車の中吊り広告に、本條さんが写っていたら思わず目が行く。
「ん?思ったんですけど普通、青葉くんの大ファンなら、怜くんみたいに目敏く見付けませんか?」
「それは怜だから見付けられるんですよ」
いつから聴いていたのかは解らないが、結人くんが会話に参加してきた。
「いくらファンでも"こんな所に本人がいる訳ない"って思うんですよ。心理学でそういうのないんですか?」
七種さんにそう訊かれて、思い付いたのが"肯定と否定"だった。
普通に考えて、ファンなら"本人に会いたい"と思うのではないだろうか。なのに"いる訳ない"と思うのは、ある種の矛盾ではないのか。
「肯定と否定という、矛盾しか思い付きません。でも多分、そういう事じゃないんですよね。規定の心理とファン心理は、微妙に違う……複雑ですね」
「そこまで大袈裟なもんじゃないと思いますよ。試しに俺が"此処に本條青葉が居るぞ"って、大きな声で言ったとしても、大半の人は"何言ってんだアイツ"って通り過ぎて行く。それだけの事ですよ」
「あぁ……だから、木を隠すなら森の中なんですね」
何となく解ってきた気がする。つまり"会いたいけど会える訳ない"という思い込み。七種さんが言った様に、肯定と否定という程のものではなかった。前提として"会えない"があるからだ。
「ファンは"俳優の本條青葉"しか見ない。誰も素の俺を見ないし、見ようともしない。だから今流れてるCMも、ファンの人達全員が良いって言ってる訳じゃない。一部のファンからは不評だったって……そういう噂があったのも知ってるよ」
「噂じゃなく本当の話だろ」
「いやでも、青葉くん。それは本当に少数派だよ。それに今じゃ、その人達も"やっぱりいい"って言ってるよ!」
そんな噂があった事を俺は知らない。それについて、本條さん本人からも、何も聴かされていない。その事で、何かを隠している素振りもなかった。つまり……。
「そう言ってる割りに、全く気にしてませんね?」
「えっ?!気にしてるんじゃないの?!」
俺がそう言うと結人くんは凄く驚いて、本條さんを問い詰めるかの勢いで言った。
「ん?気にしてないよ。う〜ん……そりゃあ少しは気になったけど、それ以上に俺はあの出来に大満足してる。七種さんに撮って貰えて、本当に良かったって思ってるよ」
「本当にそう思ってんなら、ランチ奢れ」
「えっ?!じゃあ今の演技だったの?!俺、青葉くんに騙された?!」
「あはは……騙したお詫びに、ランチは俺が奢るね~」
そんな話をしていたら、目の前に都会にしては広めの公園が現れた。中に入ると、青々とした芝生が目に飛び込んで来る。そして、目指していたカフェレストランが見えた。
「意外と広いね〜」
「あの建物が目的の店ですね」
「折角だから外で食べない?」
「暑いのに?日焼けするぞ」
七種さんが、結人くんの日焼けを気にしている。結人くんも色が白いから、赤くなって痛くなるのだろう。
「パラソルがある所なら、日焼けしないんじゃない?」
「もう一回、日焼け止め塗れば大丈夫かな。結人くんも塗りますか?」
「俺、持って来てないです」
「俺ので良かったら使って下さい」
結人くんと俺で、日焼け止めを塗りにトイレに向かい、七種さんと本條さんで、ランチの注文と席の確保をする為に、二手に分かれる事にした。
トイレに着いてバッグから日焼け止めを出すと、それを結人くんに差し出して、交代で塗り始めた。
「二人にして大丈夫だったかな〜。また喧嘩してないといいんだけど……」
「どうですかね。仲が良過ぎても喧嘩はしますからね」
そう言って笑いながら手を洗って、二人が居るであろう方へと向かうと、二人はパラソルの下のテーブル席に座っていた。しかし二人は無言で、ムッとした様な顔をしていた。訊く間でもなく喧嘩したのだと解る。
「今度は何が原因なんですか?」と、流石にうんざりしてきてきた。
そもそもこの二人の喧嘩の原因の大半は、下らない事ばかりだった。それを見聴きしていると、本気で精神年齢が小学生並みなんじゃないかと、それこそ"いい歳をして"と些か心配になる。
「聴いて。俺は灯里さんの隣に座りたいって言ってんのに、七種さんは結人くんの顔が見たいから、結人くんの前に座るって言い張るんだよ」
「だって可愛い顔は常に見ていたいだろ」
やっぱり下らなかった。別に誰が何処に座ろうが、どうでもいいだろうと思う。
「これって仲良しなんですかね……」と、結人くんが小声で訊くので、俺も小声で「仲良しですよ」と、笑いを堪えながら言った。
「まぁ……取り敢えず、食べませんか?さっきからお腹の虫が煩いんです」
移動中にかなりお腹が減ったらしく、店から漂ってくる匂いで、お腹がぐうぐうと鳴っていた。俺は二人の下らない兄弟喧嘩は放っておいて、早くこの空腹を満たしたかった。
「そんなにお腹減ってたの?」
「移動中に意外とカロリーを消費していたらしいです。しかも、食欲を誘う良い匂いがもう……食べていいですか?」
俺が捲し立てる様に言うと、三人が一斉に笑い出した。俺は(何か変な事を言ったか?)と思いながらも、ランチボックスの蓋を開けた。
「おぉ……見せて貰った写真の通り、凄く美味しそうですよ。しかも実物を見ると、ボリューム感が半端ないですね」
「灯里さんの、食事に対する気持ちも半端ないよね」と言って、本條さんが楽しそうに笑う。
四人で「頂きます」と言って食べ始めると、思い思いに話し始めた。
「美味し〜い」
「外で食べるとまた違いますね」
「ポークジンジャーなんて、オシャレな名前が付いてるから何かと思ったら、普通の生姜焼きだった」
「ふはっ……うん、まぁ、生姜焼きだな」
その遣り取りが面白いのと可愛いとで、気持ちが和んで顔が緩む。弟がいたら、こんな感じなのだろうかと思った。それとも七種さんと本條さんの様に、下らない喧嘩ばかりしていただろうかと、そんな想像をするのも楽しかった。
「食べ終わったら芝生の上で昼寝出来るね〜」
「日焼けするから止めろ」
七種さんの言う事はもっともだが、本條さんの意見にも賛成したくなる。青空の下で、あの青々とした芝生の上で大の字で寝転がったら、さぞ気持ちいいのではないかと思った。
俺の誕生日に二人で行った水族館近くの公園で、二人で寝転がった時の事を思い出した。あれからまだ半年も経っていないのに、仕事の環境も変わったり、二人で過ごす時間も、本條さんが車の免許を取った事で大きく変わった。
何よりも、こうして一緒に出掛ける友人……と呼んでも良いのかは解らないが……が増えて、今までにない色んな経験をしている。その事が楽しくて、改めて(視野が……世界が広がるって良い事だな)と思った。
「そうだ。この近くに大きな本屋があるんだけど、行ってみてもいい?専門書的な本も売ってるみたいだから、ちょっと見てみたい」
「医学書もありますかね?」
「多分ありますよ。青葉くんの気になりそうな演技とかの本や、七種さんの好きなカメラや写真集とかもあるみたい」
「それは気になる。じゃあ、食べて休んだら行く?」
その意見に皆で賛成した。その後は、再び服を見に行くと決めた。夜ご飯はデパートの屋上だ。
誰かが思い付いた事を話すと、そこから話の輪が広がる。例え、その話の内容が解らなくても、聴いているだけでも充分楽しかった。
そんな楽しくて、美味しかったランチタイムが終わると、結人くんが言っていた本屋へと向かった。言っていた通り大きな本屋で、案内板を見るとB1から9階まであって、各フロアに専門学書が置いてある様だった。
見たいコーナーが皆違うだろうという事で、集合時間を決めてバラバラに行動する事になった。
俺は参考になりそうな本を、目に付いた物から手に取っては、中を見て棚に戻すという行為を繰り返していた。
(これといった本がないな……あ、これはどうだろう)と思って、手に取った一冊の本を読み始めた。
すると「また難しい本読んでる」と言って、本條さんが現れて、俺の肩に頭を置いた。一番最初に飽きるだろうとは思っていたが、本当に飽きるのが早い。
「パソコンの本を読んでいたんじゃないんですか?」
「読んでも解らない。教えて貰った方が早い」
「ん〜、それなら小説のコーナーに行きましょうか?」
「うん、行く~」
二人で小説が置いてあるフロアに行くと、数ヶ月前に発売された立花先生の本が、まだ平積みになって大々的に置かれていた。
「ゲームやって配信したり、多分だけど、会社の仕事もあるのに……いつ書いてるんだろう?」
「それは俺も思いました。それ以前に、ちゃんと睡眠を摂っているのか気になります」
「心配する所がそこっていうのが灯里さんらしい」
「あ、二人もこのフロアに居たんだ」
七種さんに声を掛けられて、俺は「何か目ぼしい本はありました?」と訊いた。
「あった。気になっていた本もありました」
「結人くんは?」
「まだ見てんのかな?でもそろそろ時間だし……下で待ってますか」
三人で集合場所に行くと、結人くんは既に来ていた。手にした本を、目を輝かせて見ている。
「それ買う?」
「うん、七種さんは?」
「俺も買うよ。一緒に払うから貸して。あれ?二人は買わない?」
会計に行こうとした七種さんが、俺達を見て訊いた。俺は巫山戯た感じで言う。
「選んでる最中に邪魔されたんです」
「俺、邪魔した?」
「冗談ですよ。でも本はまた次の機会に買います」
すると結人くんが「この後また服を見に行くって言ったけど……」と、言い難いといった感じで話し始めた。
「夜にまた、こっちに戻って来ないとダメじゃん?それはやっぱり手間になると思って調べてみたら、近くにもそれっぽいショッピングモールがあるみたいなんだよね」
「へぇ、池袋ってなんか色んなお店がいっぱいあるんだね」
「一日居ても飽きないんじゃないですか?」
「それはどうだろう?」
ショッピングモールに家電量販店もあり、デパートもあって飲食店も多い。結人くんと七種さんが言っていた、アニメやゲームに関する店も多いのだろう。ゲームセンターらしき店もあったし、映画館もあった。
でも、一日居ても飽きそうもないと思ったが、住んでる人達や、通学通勤でよく来る人にとってみたら、案外そうでもないのかも知れない。
「お待たせ。どうかした?」
会計を済ませた七種さんが戻って来て、結人くんが俺達に提案した事を、話して聴かせた。
「三人がそれでいいなら、俺はそれでいいよ」
「じゃあ、行こう!」
俺達は次の目的地へ向かって歩いた。その途中、歩道に面したデパートの壁面に、ズラっと例のCMの広告用ポスターが貼られていた。
「うわ〜凄っ。怜が見たら拝み倒しそう」
「ん?このデパートには、このブランドのお店あるの?」
「あぁ……都心部の主なデパートには、入ってると思うけど」
「色毎に貼られてるんですね」
これだけのスペースで広告を掲載するのは、珍しい事なのだと七種さんが教えてくれた。それだけの投資をしてまで、力を入れているという事なのだろう。
俺はこのポスターを見ながら、先月のあの日の事を思い出した。
撮影場所は都内某所。廃ビル寸前の一部屋。そこに着くなり(都内にもこんな場所があるんだ)と、変な所に感心をしてしまった。
通されたその部屋の一面は、黒の布で覆われていて、アンティークなソファが一つ置かれていた。出入りするスタッフらしき人達は、思っていたよりずっと少なくて、本当に此処で撮影が行われるのかと疑いそうになった。
『あれ?七種さん、モデルさんですか?』
『違うよ。関係者……ていうより、救世主かな?まぁ、どっちにしろゲストだから、粗相のない様にな』
冗談なのか本気なのか、反応に困る言い方をしながら、七種さんは機材の準備を始めた。俺は(そういえば本條さんは何処に行ったんだ?)と、辺りをキョロキョロしていると、背後から『充電~』と言って、本人が急に抱き着いて来た。
『あら美人さんねぇ、しかも本條ちゃんが懐いてる~』
俺が慌てて本條さんの腕を振り払おうとすると、本條さんが『美人でしょ。俺の大切な人だから、手出さないでね』と言う。
『ちょっ、何言ってんですか。あの、違いますから』
『元宮さん、大丈夫です。此処に居るスタッフは全員、蒼蒔や俺の昔からの知り合いです。そして皆こっち側です』
七種さんの言った『こっち側』が、一瞬(どっち側なのだろう?)と思うくらいには動揺していた。
『会社に頼んだんです。俺が撮る事や、撮影場所から何から全て、極秘案件にしてくれって。スタッフも、俺が信頼出来る人達だけに声を掛けて、協力して貰ってます』
『でも……』
『俺が大丈夫だと思ったから、皆に話したんだよ。勝手に言い触らしてごめんなさい』
『いえ、本條さんが大丈夫って言うなら、それは別にいいんですけど……あの、すみません、数分だけ待って下さい。ちょっと、情報を整理します』
多分、誰も嘘は言っていない。そして、この場に居る全員が、ゲイやレズまたはバイ……つまり俺と同類である事も、漂う空気で察した。
全てが極秘案件だというからには、この撮影自体が極秘なのだろう。そしてそれを、社長も七種先輩も了承済み。極秘案件だからこの様な場所で、密やかに撮影をしているのかと思った。
『あ、もしかしてこの場所、気になります?』
『はぁ……極秘案件だからなのかなと思ったんですけど……』
『この場所は、七種さんと俺で見付けたんです』
ビニール袋を持った結人くんが、そう言いながら部屋に入って来た。一緒に入って来たスタッフらしき人も、同じビニール袋を持っていた。
『場所を探すのも、自分達でやるんですか?』と訊くと、結人くんが俺に、飲み物を差し出しながら『いや、たまたま見付けたんです』と言った。
『早速だけど青葉、通しやるぞ〜』
『は〜い。じゃあ行って来るね』
そう言うと本條さんは、皆から視覚になる様に俺の前に立つと、俺の頬に軽くキスをして、ソファの方へと歩いて行った。俺は(な、何考えてんだ!)と、心の中で怒鳴った。
そして撮影が始まると、マネキンを相手に……マネキンだと解らない様に加工するらしいが……本條さんは演じ始めた。
確かにただ見ているだけでは、何がダメなのか解らない。でも、確かに"演じている"様に見える。七種さんの話を聞いた後では、今見ているモノが嘘に見える。俺は(なるほどな)と思った。
俺が普段、本條さんを撮っても同じだ。勿論、格好良い事には変わらないし、リラックスした顔をしている。でも、不意打ちで撮った写真の方が、より"俺だけが知っている本條青葉"だった。
そう考えている間にも、七種さんの『違う、もう一回』『そうじゃないだろ』等の、ダメ出しの声が聴こえて来る。
俺は(どうしたら本條さんに伝わるんだろう)と考えた。こういう事も、自分で気付かなければダメな気はするが、埒が明かないのも事実だ。
『結人くん。申し訳ないんですが、本條さんと二人で話す事って出来ませんか?』
『出来ると思いますよ。七種さんに話して来ますね』
結人くんが七種さんに、俺の話を伝えに行ってくれた。すると、結人くんが俺を振り返ってグッドサインをした。そして『30分休憩にしよう』と七種さんが皆に言うと、結人くんを連れてモニターの前に座った。
『灯里さん、どうだった?』
そう言いながら、本條さんは俺に寄り掛かるように、隣の椅子に座った。
『Perfection。格好良かったです。でもやっぱり、七種さんのオーダーには答えられていません』
『えぇ……何それ。もう全然、解らない』
『本條さん。この前、マネキンは俺じゃないから……みたいな事を言ってましたけど、マネキンに俺をちゃんと投影してますよね?なのに、何がダメなんです?』
本條さんが驚いた顔をして俺を見る。その視線を受け止めて、俺も本條さんを真っ直ぐに見返した。
『マネキンって体温がないでしょ?顔や声や仕草とかは、投影出来るけど、体温はどうやったって無理。気持ちが冷めるし萎える』
『だったらモデルさんでも良かったんじゃないんですか?』
『もっと無理~!それにモデルさんの起用は、七種さんも悩んでた。この仕事は極秘案件だから、それを理解して協力してくれる人じゃなきゃダメ。そもそもイメージに合う人が見付からなかった。その両方がダメならマネキンしかないってなったんだけど……結局マネキンもダメじゃん。折角、七種さんに撮って貰える事になったのに……』
人目も憚らず……とはいえ、気を遣ったスタッフがパーテーションを用意してくれたのだが……珍しく肩を落として、本條さんは項垂れた。
これでは堂々巡りだ。このままでは、二人の関係も悪くなり、仕事自体も頓挫しかねない。この仕事は、二人にとっての成長であり、二人の願いだった筈。
(だからこそプライベートも仕事も混ぜ合わせた上で、捨てる覚悟が……違う、本條さんは"まだ"それを出していない。かといって"俺しか知らない本條青葉"を、世間に曝け出すのは……)
『本條さん』
『なぁに?』
『もし目の前に俺が居たとして、そういう感じの……演技は出来ますか?』
『んんん?そういうって……』
俺も何と言えば解らないまま話した所為か、上手く説明が出来なかった。それでも本條さんは一生懸命、言葉の意味を考えていた。
『あっ、ふふつ……うん。出来るよ。灯里さんに対して見せる表情だけど、灯里さんにしか見せない表情はしなければいいんでしょ?』
『そうです。その上で、役を演じる……出来ますか?』
『任せて。俺を誰だと思ってんの?』
本條さんの言葉を聴いて、腹を括る覚悟を決めた。俺は七種さんの元に行くと、条件付きでいいならモデルを引き受けると言った。
『マジで?!良かった〜。あっ、条件くらい、いくらでものみます。何でも言って下さい』
『七種さん、良かったですね!』
傍に居た結人くんも、自分の事の様に喜んでいた。その場に居たスタッフも、不安そうにしながらも安堵の溜息を吐いていた。
『それで、条件って何です?』
『極秘案件だから大丈夫だと思いますし、その辺は信じています。それでも、名前も顔も絶対に出さないで下さい』
『勿論です。青葉との事もありますからね』
『本條さんとの事は勿論です。でもそれ以上に……あ、俺の本業は精神科医でカウンセラーなんですけど……』
そう前置きをして、その場に居る全員に聴こえる様に、念を押す様に話を続けた。勤務する病院に、迷惑が掛かる様な事はしたくない事。俺にとって何よりも優先すべきは、患者達を守る事にあるのだと言った。
『いやん、カッコイイ〜。ただの美人かと思ったけど、イケメンじゃな〜い』
『じゃあ、普段は病院の先生なんだ』
『俳優と医者って、ゆいぴの好きなBLに出て来そう』
『BLじゃなくても普通に鉄板じゃない?』
皆が口々に、思い思いに話し出した。どうやら、何とか受け入れて貰えた様だ。それからはトントン拍子に話が進み、気が付けば撮影も無事に終わり今に至る。
「このポスターやCMを見る度に、これを撮った時の事が、昨日の様の事に思い出されるんです」
「まだ一ヶ月半くらしか経ってませんからね」
「俺も覚えてるよ。俺だって素人なのに、色々手伝わされたり、その場でラフ画描かされたり、ガチで大変だった。でも貴重で新鮮な経験だった」
結人くんの言う通りだと思った。やった事がない事をやる訳だから、普通に仕事をするより何倍も大変だった。でも、確かに新鮮ではあったし、貴重な経験ではあった。
「このまま俺専用のモデルになっちゃいなよ~」
「青葉、それズルい。俺だってもっと元宮さん撮りたい」
「えぇ~っ、二人だけズルい。俺だって灯里さん専用の……専用の何だろう……?」
結人くんはそう言うと、真剣な顔で考え始めた。それを無視するかの様に、七種さんと本條さんがまた言い合いを始めた。俺は「結人くんは俺専用のデザイナーさんですかね?」と言うと、結人くんは「へっ?」と驚いた顔をした。
「服のデザインはしないんでしたっけ?」
「今まで考えた事なかったんですけど、今回の事で服っていうか、衣装のデザインも面白いと思ったんですよね。だからさっき、その手の本を買って貰いました」
「もし"次があったら"また、結人くんがデザインした服を着たいです」
俺が結人くんに言った言葉に、結人くんは「是非!」と元気よく言った。そして、七種さんと本條さんが「次?!」と仲良くハモった。
「次もやってくれるの?本当に俺専用になってくれるの?」
「また撮らせて貰えるんですか?いつにします?」
「俺の気が向いたらです。そんな事より、早く結人くんの服を見に行きましょう」
笑いながら三人に言うと、三人が「今の笑顔もう一回!」と、スマホを片手に仲良く声を合わせた。
次があるかなんて俺にも解らない。それでも思う……。
(やってみたら本当に楽しかった。きっと他にもそういう事は沢山あって、俺はこれからも、もっと沢山の経験をするんだろうな……)と、雑踏を歩きながらそう思った。
【End】
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