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蕾を手折ったαたち
「随分と機嫌がいいな」
「兄上こそ」
「ようやく運命の番が見つかったのだ。毎日が楽しくてしょうがない」
「四十にもなったおじさんが有頂天になっているなんて、みっともないですよ」
シュクラの言葉に皇帝の黒目がすっと細くなる。
「三十のΩに鼻の下が伸びっぱなしの若輩者はみっともなくないのか?」
「キーシュさんはそんな俺も好きだと言ってくれるのでかまいません」
「わたしも同様だ。たしかに歳は離れているが、気持ちはあれと同じだと思っている」
(二十歳も歳が違うのに同じわけないだろう)
そう思ったものの、これ以上何か言うのは得策ではないとわかっている。シュクラはにこっと笑うだけで口を閉じた。
皇宮の奥にある皇帝の私室にシュクラが呼ばれたのは少し前のことだった。何事かと思って来てみれば、延々と惚気を聞かされ続けている。内心「面倒だなぁ」とため息をついていると、そんなシュクラの気持ちなどお見通しらしい皇帝が「本題はここからだ」と口にした。
「ルルアーナがキーシュに会いたがっている。連れて来い」
ルルアーナというのは、キーシュが蕾宮にいたときにやって来た南の島のΩだ。皇帝の運命の番だと判明したのはシュクラとキーシュが婚姻の書類を皇宮に提出する直前で、キーシュは目を見開いて驚いていた。
(キーシュさんもずっと気にしていたようだから、会えるとわかったら喜びそうだけど)
だからといって、すぐに「はい、わかりました」とは答えられない。
(運命の番が金髪だってことは、キーシュさんにも興味を持つかもしれない)
本当は侍女や侍従にも見せたくないのだ。だから屋敷に迎える日も部屋のそばまで輿に乗せたままにした。そんな愛しい人を皇帝に見せることにシュクラは大きな抵抗を感じていた。
(兄上に目を付けられては、いまの俺では敵わない)
うなじを噛んでいても、噛んだαより上位のαに上書きされれば奪われる可能性がある。
目の前にいるのは兄である前に帝国一の上位αだ。半分同じ血が流れているものの、年若いシュクラが皇帝に勝てる見込みはほとんどない。物心ついたときからそのことに気づいていたシュクラは、だからこそ真っ先に「あの人は俺の運命の番です」と訴えお手つきされないようにした。
幸い、皇帝は運命の番を心から信じるαだった。だからシュクラの言葉に耳を傾けた。皇帝自身も長く運命の番を求めていたからか、これまで大輪宮に妃は二人しかおらず子も作っていない。それでも開花宮に十数人のΩがいるのは強いα性を抑えきれなかった結果なのだろう。
(兄上の餌食になる前にキーシュさんを手に入れられてよかった)
同時に耐え抜いた自分を大いに褒めた。皇帝を間近で見てきたシュクラは「ああはなるまい」と暴れ狂うα性に耐え続けた。身綺麗なままキーシュと触れ合うために必死に性衝動を耐え抜いた。そうまでして手に入れたキーシュを皇帝に奪われてなるものかとαの本能が牙を剥く。
「案ずるな。ルルを手に入れたいま、わたしがキーシュに興味を示すことはない。それはおまえもよくわかっているはずだ」
「たしかに、運命の番以外に惹かれるΩはいませんが」
「わかっているなら心配する必要はあるまい?」
たしかに皇帝の言うとおりだ。それならキーシュの心配事を減らすためにもルルアーナに会わせてやるべきだろう。それでもためらうシュクラに、皇帝が小さなため息をつきながら言葉をかけた。
「おまえが真に心配すべきは、むしろ我が妃たちだろうな」
「そっちですか」
「正妃は無類の可愛いΩ好きだ。第二夫人も正妃が愛でるΩを可愛がる。ルルアーナも日々その餌食になりかけたゆえ、いまは大輪宮から我が部屋に移したくらいだ」
「そんな面倒なところにキーシュさんを連れて行くと思いますか?」
「おまえの妃となったキーシュが、大輪宮に挨拶をしに行かないわけにはいかぬだろう」
腹違いとはいえ皇帝の弟の妃が皇宮に来るなら、まず皇帝の妃たちに挨拶するのが通例だ。しかもキーシュは元々Ω宮にいた身なのだから挨拶しないわけにはいかない。
(……あの方に挨拶か)
シュクラは過去に三度正妃に会ったことがあるが、Ωながらαのように剛胆な人だった。第二夫人はお披露目で見かけただけだがΩらしい華奢な様子だった気がする。
(第二夫人はわからないけど、正妃は間違いなくキーシュさんを気に入るだろうな)
一見するとキーシュに可愛らしい部分はほとんどない。体も大きめで、性格のためか男らしさも感じられる。そういった部分が蕾宮のΩたちに慕われる一因になっていたのだろうが、シュクラから見れば雰囲気がとんでもなく可愛らしいのだ。
あの雰囲気を、あの正妃が見逃すはずがない。Ω同士とわかっているのに、シュクラは正妃に対してとてつもない警戒心を抱かざるを得なかった。
(……やっぱり連れて来るのはやめようかな)
「今回断ったとしても、連れて来るまで何度でも呼び出すぞ」
「脅しですか」
「皇帝の命令を脅しと言うか。まったく恐れを知らない男だな」
「自分の兄を恐れっぱなしの弟なんて、αにはいませんよ」
「わかった、わかった。キーシュには褒美をやるゆえ、ルルアーナの元に直接連れて来い。正妃たちへの挨拶は、また後日にしろと申し伝えておく」
「後日」ということは、先延ばしされるだけで確実にその日がやって来るということだ。「ルルアーナに会ったのだから、次はこちらへいらっしゃい」と直接声をかけられるに違いない。
(それはそれで面倒くさいな)
そもそも皇帝が寵妃を後宮から私室に避難させるなどあり得ないことだ。そのくらい正妃たちが新しい寵妃を構い倒したということだろう。想像するだけでうんざりするが、シュクラはキーシュが喜ぶ顔と自分の心労を天秤に掛けることにした。
(……やっぱりキーシュさんの笑顔のほうが大事かな)
正妃に呼ばれることになったらそのとき考えればいい。面倒なことになりそうだが、キーシュなら正妃の猛攻にも耐えられそうな気がする。
(俺のキーシュさんは優しいだけじゃなくて強さも兼ね備えているから)
金髪をさらりと揺らしながら緑眼を細めて微笑む姿を思い出し、シュクラの体がわずかに熱を帯びた。
「わかりました、連れて来ます」
「そうか! ルルも喜ぶ」
満面の笑みを浮かべる皇帝に「だから四十のおじさんが鼻の下伸ばすなって」と内心毒づいた。
(これで帝国最強のαなんてな)
たしかに見た目は若々しく、目鼻立ちも体格も優れたαだと一目瞭然だった。なによりもどんなαも従わざるを得ない気配を常に放っている。
そんな兄にシュクラはずっと憧れていた。こういうαになりたいと思いながら、同時にいつか超えたいとも思い続けていた。
(もしキーシュさんが手を付けられていたら、果たして兄上に勝てただろうか)
これまで何度か想像してみたものの、そのたびにゾッとした。
(それでも、いつか兄上を超えてみせる)
シュクラは別に皇帝になりたいわけではない。ただ、すぐそばに絶対的な存在がいることが許せなかった。怯えることも平伏することも納得できないと本能が訴えている。
そういった気概こそが上位αである証なのだが、シュクラはまだそのことに気づいていない。そんなシュクラのことを、血を分けた弟として皇帝は頼もしく感じていた。
屋敷に帰ったシュクラは、さっそくルルアーナに会うことになったとキーシュに伝えた。すると「僕もずっと気になってたんだ」と緑眼が優しく微笑む。
「周囲に馴染む前に僕がいなくなって、それからすぐに大輪宮に入るって聞いたから心配してたんだ」
「キーシュさんは相変わらず優しいですね」
「あ、変な意味で気にしてたんじゃないからな? ほら、あの子みたいな容姿は蕾宮でも珍しいだろう? だからほかの子たちと馴染めないみたいでさ。その点僕は同じ金髪だし、だから彼も僕には話しかけてくれてたんじゃないかな」
「僕も弟ができたみたいでちょっと嬉しかったんだ」と笑うキーシュに、シュクラは「お兄ちゃんっぽいキーシュさんも可愛いなぁ」と微笑ましくなった。同時に「本当は俺だけを見てほしいんだけど」と仄暗い気持ちもわき上がる。
「優しいキーシュさんも大好きですよ」
「でも、俺だけを見てくださいね」と内心付け足しながら抱きしめると、キーシュが少し照れたような声で「僕も、シュクラのこと大好きだよ」と言って抱きしめ返した。それだけでシュクラの心は澄んだ青空のように晴れ渡るのだった。
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