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事の発端は、私が隣町にある水族館の年間パスポートを落としてしまったことだった。
「やばい、やっぱりない」
放課後の教室で、机の上に鞄の中身を全部ひっくり返してみたけど見つからない。サイドポケットにも、ノートや教科書の隙間にもどこにもなかった。
無くなったことに気付いたのは昼休憩にお茶を買おうと財布を取り出したときだ。
その水族館の年パスは財布のカード入れに微妙に入らないサイズで、仕方なく札入れに保管していた。いつも札を取り出すたびに目に入る場所だ。
しかし今、そこに年パスはなかった。
「……え」
私は焦った。
お金が勿体なくて、ではない。近海の魚とペンギンとイルカくらいしかいない小さな水族館の年パスはそこまで高価じゃない。高校生には学割も適用するし、二回も行けば元が取れる。私は先月から八回行ってるので問題ない。
そんなことより問題なのは、顔写真が載っていることだった。
年パスを作る際、本人確認のためと言われて渋々写真機で撮ったのだ。まあ仕方ないことだと思う。悪用されたら大変だ。
けれど私の場合、悪用されなくても大変なのだ。
「工藤さん」
名前を呼ぶ声に振り向くと、クラスメイトの川口くんが立っていた。
うちの高校で有名なイケメン男子だ。
爽やかに分けた前髪、優しさを醸す眉、少し垂れ目がちな二重瞼は微笑みひとつで女子を射る。男女ともに分け隔てなく人気があり、彼と同じクラスになっただけで周りから妬まれるスクールカースト最上位。
クラスの華やかな女子と違い、普段からすっぴんで地味な私とは関わることのない存在。
「へ、川口くん」
「えっと、これ工藤さんの?」
「あ」
彼が差し出したのは、水族館の年パスだった。
名前欄には『工藤葵』と書かれている。私の探していたものだ。
「わ、ありがとう」
「いえいえ。学校来るときに駅の改札で拾ってさ」
そういえば今日でちょうど通学定期が切れたので更新しようと財布を出したっけ。そのときに落としたのかもしれない。
「ほんとにありがとね。それじゃ」
頭の中でアラートが鳴っている。これ以上ここにいるのは危険だ。はやく話を切り上げなきゃ。
私は川口くんにお礼を言いながら机の上の荷物を急いで鞄に詰め込んで、さっさと逃げ帰ろうとした。
しかし彼の言葉のほうが早かった。
「いやそれはいいんだけど……あの、さ」
川口くんは少し言いづらそうに口を開く。
頭の中に警告音が鳴り響く中、彼は容赦なく続けた。
「……これ、本当に工藤さん?」
川口くんは年パスの上の『これ』を指差す。
黒のアイラインに、深紅のアイシャドウとリップ。両眼にブルーのカラコンを装着したパンクメイクの私の顔写真に指先が乗っていた。
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